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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年4月11日月曜日

2016年4月11日月曜日22:18
こんにちは、Chocoです。
震災から5年がたちました。
3月26日には、JR仙石線の蛇田駅と陸前赤井駅の間に、新たに「石巻あゆみ野駅」が開業しました。
駅名には「復興・未来・新生活への歩み」を進めてほしいという想いが込められています。
私は、女川町で開催された女川町復幸祭に参加していたため式典には出られませんでしたが、
参加した方から話を聞くと、とてもにぎわっていたそうです。
駅の周りには広い公園があり、撮影した日も子どもたちが元気に遊んでいました。
駅前の新蛇田南地区は、将来的には約5500人が移住する集団移転団地です。
新たな市街地となる新蛇田地区。
次々と住居が建ち、そこで新たな生活のスタートを切った人々も増えています。
「誰が住んでいるのかわからないからね、お茶飲みする人もいないのよ」
昨年、石巻市蛇田地区で開催されたまちびらきの際、一人のおばあさんが言いました。
我が家から避難所、仮設住宅から復興住宅へ移住。
震災から5年、ようやく始まる生活と同時に、振り出しに戻るコミュニティ作りは、どこの地域にも共通してある現実です。

そんな中「カーシェアリング」が今、石巻地域の仮設住宅や新たにできた災害公営住宅でコミュニティ再生に活躍しています。
カーシェアリングとは、ヨーロッパで発祥したと言われるシステムで、
不特定で使えるレンタカーとは異なり、
会員制で自動車を共同使用することができます。

今回は、カーシェアリングシステムで復興支援活動をしている「一般社団法人 日本カーシェアリング協会」の代表 吉澤武彦にお話を聞いてきました。
HP参照
右:日本カーシェアリング協会代表 吉澤武彦さん

「カーシェアリングを始めたきっかけは」と聞いた時、吉澤さんは、1冊の本を持ってきて見せてくれました。
「山田バウさんっていう人がいて・・・」
と本の著者について説明してくれました。
山田バウ(本名・山田 明)さんは、日本のボランティア活動の基盤を作り上げた人です。
1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生した際、翌日には神戸に入り、民間ボランティアセンターの開設を始め、最大規模のボランティア団体「神戸元気村」を設立し、復興に必要なプロジェクトを次々と立ち上げ、震災直後から2002年までの7年半に渡り支援を続けました。
東日本大震災でもボランティア活動に山田さんが築き上げた土台があったのです。
吉澤さんは、2007年に山田さんと出会い、それ以降さまざまな活動を共にして、プロジェクトのノウハウを教えてもらいました。
それから4年後に東日本大震災が発生して、吉澤さんは、直後から福島県でボランティア活動を始めました。

1カ月が過ぎた頃、吉澤さんに一本の電話がありました。
「カーシェアリングを今のうちから仮設住宅の自治会長に提案する準備をしてみてはどうか」
避難所から仮設住宅に移り、そこで行政主導で自治会が作られることを見据えて、山田さんは提案しました。

「やります!」

ボランティア活動をしている中で大破している車を数え切れないほど目にしてきた吉澤さんは、山田さんの提案を引き受けることにしました。
そこからの吉澤さんの行動はとても早かったのです。
まずは車を提供してくれる人を探し、被災地では協力者や提供先を探し、カーシェアリングをする上での基盤を作るため、手続きを入念にしました。
HP参照

しかし「カーシェアリング」のシステムを理解してもらうのには時間がかかったと言います。
「初めての試みだったので、最初は手探り状態でした。
カーシェアリング自体も馴染みがないから抵抗を感じると言う意見や、複数の人で使ったら使いづらい、逆に揉め事になるんじゃないかという不安の声もありました」
導入する上での苦労はありつつも、始動して半年後の10月には、石巻市の万石浦団地で正式にカーシェアリングを始動させることができました。
さらに2012年2月には、石巻市の仮設住宅担当課が取り組みの必要性を理解し、サポート機関として「カーシェアリング・コミュニティ・サポートセンター」を設立しました。
吉澤さんの団体は、その運営を受託する形を取り、今まで利用者のみなさんはカーシェアリングのサポートスタッフとなり、地元の人と共に運営する基盤を作り上げました。
HP参照     
「石巻エコ EV(電気自動車) カーシェアリング検討委員会」会議の様子
さらに2014年11月には、石巻の行政・教育機関・住民団体・専門家らでカーシェアリングを継続的に推進できるモデル化に向けて検討を行う「石巻エコ EV(電気自動車) カーシェアリング検討委員会」を結成し、コミュニティサポートだけでなく、災害時にも役立つとして電気自動車を導入する取り組みが始まりました。

HP参照
現在は、電気自動車から電気を使う方法や電気自動車を使った防災訓練なども積極的に行われています。
HP参照

そこには、吉澤さんが考える「ひな形」という目的もありました。
「石巻はカーシェアリングシステムのひな形!
このシステムが定着すれば、同じような状況にある地域や今後の災害時にも対応することができます。
震災から5年、カーシェアリングのシステムもやっと一つの形ができてきました」
活動を始めて5年目、
吉澤さんは振り返ります。
「石巻が変える!!」
吉澤武彦さん
先日、利用者が集まり座談会が行われたので、私もお邪魔してきました。
復興公営住宅に入居した人たちは、カーシェアリングを通して親しくなりました。
会員同士で温泉に行ってきたと楽しそうに話してくれました。
車を共有するカーシェアリングが、新たなコミュニティ作りで石巻の住宅地で活躍しています。
カーシェアリングの利用者は、震災で車を失くし、経済的にも車の購入を断念した方だけでなく、外出支援活動としても活躍しています。
「◯◯号室のおばあさんが困っているみたい」
と聞きつけると、すぐに駆けつけて、要望を聞いてあげる・・・。
まるでスーパーマンのような人がカーシェアリングを通して現れました。
「人の役に立ちたい」
そう思う地元の人たちがここでは大活躍しています。
こうして住民同士が助け合うことで、強い信頼関係が生まれています。

現在は、石巻市内を中心に会員は200名以上、約86台の車が人々の生活の足として今日も活躍しています。
その背景には、たくさんの人々の思いやりの気持ちが込められていました。
HP参照
資金や車の提供だけでなく、車を定期的に点検する地元の大学生、メンテナンスの際に必要な部品やタイヤを提供する自動車業者や企業、データ整理や普及活動のために必要な商品を提供する企業など、カーシェアリングは「自分たちにできること」と率先して支援してくれた人や企業の想いが形となったものでもあります。

石巻から全国、全世界へ発信する新たなカーシェアリングのシステム。
それは、ただ単に便利、楽というものではなく、電気自動車は災害時での重要な役割を持ち、さらにコミュニティでは、常日頃から気遣う人付き合い、そして支え合える人と人を繋げる役割を果たしていました。
石巻に広がるカーシェアリング。
今後も人と人を繋いでいきます。

「一般社団法人 日本カーシェアリング協会」
http://www.japan-csa.org/index.html

(取材日 平成28年3月4日)