東日本大震災で被災し、今年度中に解体が決まっている名取市立閖上小学校で10月12日、小学校に感謝するイベントが行われ、地域住民やボランティアなど、総勢約300人が集まりにぎわいました。
☆ーー☆ーー「ありがとう!閖上小学校」ーー☆ーー☆
再会を再び、笑いと笑顔の交流
しかし地元の有志や、ボランティアなどの多くの人の手により、校庭の瓦礫拾い、花壇整備、校舎内清掃や補修、体育館掃除や補修などが繰り返し実施されました。
現在校庭では、スポーツ少年団のサッカーや野球の子どもたちが練習を行い、町内会の方がグラウンドゴルフなどを楽しむなどができるまでになっています。
今も閖上の地で愛され続けている小学校ですが、この日は校舎に別れを告げる最後の日になりました。
「今日は閖上小学校を開放し、窓ガラス拭きをしていただきます。思う存分小学校に感謝を込めていただいて、笑顔でさよならをしたいと思っています」
実行委員長の格井直光さんから挨拶がありました。
閖上小学校の卒業生が集まりました |
いろいろな年代の皆さんが、いろいろな思いを胸に窓拭きをしていました。
昭和38年度卒〜平成22年度卒まで、卒業年度ごとに割当てた表示がありました。 ここは昭和50〜52年度卒の皆さんが担当の教室 |
「昔は木造だったけれど、この校舎は3期ぐらいに分けて建てられました。私たちの頃は西校舎だけだったわ」
「閖上ってずっと1学年3クラスだったのよ。子どもの数は減りもせず増えもしない、そんな町でした。でも平成に入るとだんだん減っていましたね」
「特別教室や新入生の教室があったり、古い体育館は東側にあって、当時は校庭を囲むように校舎が建ってたわね」
当時の思い出を話していたのは、同級生だという3人の40代の女性たち。
その方たちのお子さんもこの小学校へ通ったそうです。
現役の小学生たち。 震災当時、まだ就学前だった子どもたちも一生懸命でした |
4人のお子さんが卒業したと話す女性。 自身は木造の校舎だった頃に通っていたそうです。 今は仮設住宅に住み、閖上朝市には時々足を運んでいるそうです |
あちこちで「久しぶり」という声が聞こえました。ここは図工室 |
「震災当時は小学1年生だった娘や、みんなを守ってくれた小学校には 『ありがとう』と言いたいですね」 |
付き添いで来て、帰りも迎えに来ていたので、私も6年間この教室に一緒に通っていました」
特別支援学級、「ひまわり学級」の棚に置かれている「日本むかしばなし」のビデオや、何冊もの紙芝居を懐かしそうに見ていた女性は、娘さんを連れて訪れていました。
格井さん自身も閖上小学校の卒業生です。
「私の場合、校舎は木造の時代だったので今とは違いますが、重要なのは『場所』なんですよね。
例えばサクラの木は、我々の年齢ととともに大きくなっているんですが、それも無くなってしまう。もしかしたら新しい学校がすぐにできればまた違うんでしょうけれど、まだ先が見えないから郷愁感が強いのかな……と思います。
でも今日は来ていただいた方に楽しいと思ってもらいたいですね。
ボランティアで参加した人も、『手伝って良かった、ここに来て良かったと』思ってもらえるように、やる側も楽しもうと思います。
そしてそんな姿を見られただけでもやって良かったかな……。
最後は学校に『ありがとう』と言ってもらえればいいですね」
最後は学校に『ありがとう』と言ってもらえればいいですね」
皆さんが校舎の窓ガラスを拭く姿を見ながら格井さんは言いました。
格井さんが代表を務める実行委員会の中心メンバーは約8名。
メンバーは、震災後からずっと「閖上地区の運動会」をやりたいと考えていたのだそうですが、実現されませんでした。
しかしこの日は窓ガラス拭き終了後、午後には念願の「ミニ運動会」が開催されたのです。
子どもたちを始め、さまざまな年代のたくさんの大人も参加し、紅白に分かれて行われた「ボール運び」「綱引き」では、白熱した戦いが繰り広げられました。
「ボール運びは」上、下と交互にボールを渡す競技ですが、子どもたちは 初めてだった様子。大人にやり方を教えてもらいました |
女の子が多いけど負けないわよ! |
もっと引っ張れー! |
大人たちによる「本気綱引き」。大人の本気は迫力満点! |
澄み渡った秋空と、楽しい歓声が響いた校庭。閖上小学校の校舎は何を思ったのでしょうか。
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校庭でのイベントが終了すると、体育館では閉会前の催しが行われました。
仙台市出身のピアニスト、和久佳奈さんによるピアノ演奏や、名取市小塚原のお母さんたちが作る「すみれ会」のレクダンス披露などがありました。
東日本大震災発生の午後2時46分には全員で黙祷。
最後に和久さんのピアノ伴奏に合わせ、全員で「花は咲く」を合唱しました。
そしてこの日、この場に集まった皆さんのそれぞれの心に何かを残し、惜しまれつつ、閖上小学校に感謝する会「ありがとう!閖上小学校」は終わりを告げたのでした。
「花は咲く」を合唱する皆さん |
「ありがとう!閖上小学校」を最初に発案したのは、「閖上復興だより」編集長の格井直光さんと、一般社団法人名取復興支援協会の太田幸男さん。
閖上の復興に心を砕くお二人にお話をお聞きしました。
太田幸男さん(左)と格井直光さん 再会と新たなつながりを感謝。ありがとう! |
格井さん:
「震災後、日本全国から名取市との間にいろんなつながりが生まれ、今日の日があります。
この場所では再会もあるけれど、いろんな所で個別に活動をしていた方々がこの場で出会い、新たなつながりも生まれているはずです。
そのちょっとしたきっかけになればと思います」
太田さん:
「復興支援協会を通して応援してきた、名取市で自力再建を果たした小塚原の人たちの踊りと歌が披露されました。
今回発表する機会を作ったのは、小塚原では生活再建が終わってきたので、同じ名取市の地域として、『閖上が頑張れよ。みんなで応援すっから』という意識作りになればと考えたからです。
これをきっかけに、今度は小塚原の人たちが閖上の人たちを受け入れてくれて、交流が生まれれば、いつでも名取に帰って来れますよね。たとえ家がなくても。
他の地域の人たちも来てほしいけれど、まだ再建は難しいところが多いですね」今後も閖上の人たちが集えるイベントを企画していかねば……と考えている格井さんと太田さん。
「後継者となってくれる人が現れない限り、続けなくちゃいけないんだろうね」
大漁旗で飾られた校舎を眺めながら、格井さんは言いました。
☆ 格井さんや太田さんの要請を受け、この日助けに駆けつけてくれた応援者については、会をあらためてお伝えしようと思います。
◆ 閖上復興だより
http://yuriage.org/
◆ 一般社団法人 名取復興支援協会
http://natorifukkou.com/
(取材日 平成27年10月12日)