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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年4月30日木曜日

2015年4月30日木曜日10:19
こんにちはエムです。

東日本大震災の地震とその後の余震によって石垣の崩落や変形などがあった仙台城跡で、復旧工事のために通行止めになっていた「市道仙台城跡線」が、去る2月25日に全線開通しました。
実に4年の歳月がかかった石垣等の復旧工事は、どのように進められたのでしょうか。

その詳細を知るために、仙台市教育委員会文化財課・仙台城史跡調査室に伺い、室長の渡部紀(わたべおさむ)さんにお話をお聞きしました。

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平成26年6月26日 木曜日
青葉城趾・石垣の現状探索(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_26.html
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仙台城跡の石垣に「るーぷる仙台」はよく似合います
「今回の災害復旧工事は、文字通り “旧に” “復する” という方針で工事を行いました。
つまり平成23年3月11日の東日本大震災で崩れる直前の段階に戻そうというものでした」

この震災で被災した石垣は本丸北西、酉門(とりのもん)、中門、清水門、他に大手門土塀とその石垣など、広範囲に及んでいます。

特に本丸北西の石垣は、全長200メートルのうち3カ所で合計60メートルが崩壊し、他に変形した箇所などがあったのだそうです。

 解体調査が始まった「本丸北西石垣」。地震で崩落した部分がそのまま残っています
撮影:平成24年(画像提供:仙台市教育委員会)

「石垣は崩れた部分だけを積み直せばよかったわけではありませんので、変形した範囲で解体し、石垣の背後の『裏込め』から直す必要がありました」

作業はまず石の正確な位置を測定、測量をし、石に番号を振る作業から始まりました。

「崩れた石、解体した石は土を落とし、石の形そのものが分かるようにしました。そして崩れる前の写真と見比べて、石がもともとあった場所を特定していきました。
石の形や生えている苔などから特徴のある石が見つかると、その石の周りの石も特定しやすくなります。
石は1つが500キロ〜1トン位はありますので、ほぼ真下に崩れます。問題なのは上なのかの下なのかといった見極めですね」

渡部さんは言いましたが、それは難解なパズルのような作業だったのではないでしょうか。想像しただけで気が遠くなります。

整然と並ぶ番号を振った石垣(撮影:平成26年4月20日)

その後いよいよ石垣を積んでゆく作業ですが、それは石をクレーンで吊り上げ、1つ1つ石工さんの手によって積んだのだそうです。

「クレーン1台に対して石工さんは2人。補助的にもう1人加わることもありますが、基本的に少ない人数で手作業で行っていました」

本丸北西石垣。平成26年6月18日
現在の様子。平成27年4月13日
平成23年12月に開始されたこの事業は、平成24年7月から石垣の解体に着手。24年度内には解体が完了しました。
その後2年をかけて積み直しが行われたのです。
一番被害が大きかった本丸北西石垣だけでも約5,000石の積み直しがあり、重機は使っていますが、その大部分が手作業というのは驚きでした。

本丸北西石垣、南部。平成23年3月(画像提供:仙台市教育委員会)
解体された状態。平成25年3月(画像提供:仙台市教育委員会)
石垣も道路も復旧された現在。平成27年4月13日

「土木関係者や石工さんには、大変な作業をやってもらい、本当に感謝しています」

株式会社大林組が工事を請け負い、石積みを担当したのは中村石材工業株式会社です。
中村石材工業は、大阪城や姫路城などの石垣の修理を行ったことのある大阪の石材会社。城郭の石垣を修理する専門の石工さんがいるのだそうです。

クレーンで吊り上げた石を手作業で積む石工さん
(画像提供:仙台市教育委員会)

最終的な工事面積は約1,200平方メートル、積み直した石の数は約6,600石に及びます。

すっかりきれいに復旧された現在、あらためて石垣を見てみると、四角く切られた人工的な石もあれば、自然のままのような丸みのある石もあります。
それはどうしてなのでしょうか。

本丸北西石垣、北部
本丸北西石垣、中央部
酉門

「博物館にある記録によると、江戸時代から何回も地震があり、仙台城の石垣にも被害があったようです。
そのたびに部分的にあちこち修理をしていたようですが、今回のように番号などを付けて修理をしていたわけではなさそうですね。
もともと丸い石を使っていたけれど、修理をする段階で今度はもっと角張った石を使ってみようとか、そんなふうに江戸時代から現代に至るまでに石垣の修理を何回も何回もやってきたらしいのです。
修理した時代の違いが、石の使い方に明確に現れています。

今回の復旧事業ではそういった、我々が手を掛ける以前のいろいろな世代の(江戸時代以来の)石工さんたちが何回か修理してきた、見た目が違う様相をそのまま復元しました。
もうちょっと石垣を観察すると、いつ頃の時代に直したものなのか、これから分かってくるかもしれません」

この解体工事では、部分的にコンクリートを使うなど、現代のやり方で直した形跡が見つかりました。昭和に入ってから修理をしたようだと渡部さんは言いました。

しかし今回は国の史跡に指定されている大事な文化財であるという観点から、原則として江戸時代の工法、やり方で修復を行ったのだそうです。
一部分では崩落防止のための現代工法を取り入れているそうですが、大部分は積み上げているだけなのです。

復旧工事中の「清水門」(撮影:平成26年6月18日)
現在の「清水門」。江戸時代の地面は
石垣の根元くらいの高さだったと推定されるそうです
(撮影:平成27年4月13日)

伊達政宗公が築城してから約270年にわたり、仙台藩の政庁として機能していた頃……。お城には常にたくさんの人がいて、その中には石垣の管理をする部署もあったはずだと渡部さんは言います。

「明治時代以降、お城に人がいなくなると、手入れが行き届かなくて木や草が生えたりして石垣が痛みやすくなってます。
特に今は石垣の根足を削って、低い位置に道路ができていますね。基礎の部分を削ったということはあまり良くないのです。
また、石垣のすぐ脇を車が通っているので、かなり大変な環境のところにお城の石垣があるということですね」

なるほど。ちょんまげに羽織袴の時代は徒歩や馬で移動していたのですから、石垣にはあまり影響はありません。現在市道となっている仙台城跡線はひっきりなしに自動車やバスが通っています。

仙台城跡片平入り口付近。画像左の白い土塀と石垣は
平成24年7月〜平成25年7月にかけて復旧されました

「我々としてはせっかく直したので、長い目で経過観察をしていくことを考えています。
特に今回はコンクリートで固めたわけではなく、積んでるだけなので長い年月の間にはどうしても変形や歪みが生じると思います。
復旧にあたっては石垣のそばにあった木も、かなり切りましたがこれからも自然と生えてきますから……」

今回は大きな被害は無かった「本丸北側」の石垣

復旧工事が終わり4年ぶりに見た石垣は美しく、新しく造ったのかと見違えるほどです。

仙台城跡を訪れる際は、仙台市博物館のある三の丸から、ゆっくり歩いて登るコースがお勧めです。季節ごとに変わる景色と、さまざまな時代の石垣が楽しめます。
遠い時代に思いを馳せながら、現代の石工さんの手で再現された石垣を見に、ぜひおいでください。

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仙台市中心部の観光スポットを巡るには「るーぷる仙台」が便利です。
一日乗車券(大人620円 小人310円)で、どこからでも乗り降り自由で乗り放題。
15~20分間隔運行しており、短時間で仙台の魅力を味わえるレトロな市営バスです。

詳しくはホームページを参照ください。
https://www.kotsu.city.sendai.jp/bus/loople/

(取材日 平成27年4月13日)