ザーリャです。
「日本三景」として、全国的な知名度を誇る松島。
その観光地「松島」は、実は松島湾を取り囲む6つの市町から成り立っています。
東日本大震災では松島湾エリア一帯も、甚大な被害を受けました。しかし、地域によって復興へのスピードは異なるものの、今年6月には松島観光の動脈「JR仙石線」が全線開通するなど、復興への歩みは着実に進んでいます。
自然、歴史、生活・文化、食、産業、温泉・・・など、もともと多様で魅力的な資源にあふれる「松島湾エリア」。今、地域の新たな魅力を創造し、観光誘致につなげるための新たな取り組みが進んでいます。
それが、「再発見!松島“湾”ダーランド構想」です。
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宮城まるごと探訪(公益社団法人宮城県観光連盟)
「再発見!松島“湾”ダーランド構想」
http://www.miyagi-kankou.or.jp/page/wonderland/
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みやぎ観光NAVi (経済商工観光部 / 観光課)
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平成26年、松島湾を望む3市3町(塩竈市、多賀城市、東松島市、松島町、七ヶ浜町、利府町)と宮城県によって打ち出されたこのプロジェクト。それまで、個々の自治体によって進められてきた観光振興策を、地域自治体が互いに広域で連携し、「エリア一体型観光」を推進しようとするものです。
先日、その第2回目となるフォーラムが、塩竈市で開催されました。
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会場には多くの参加者が訪れ、関心の高さをうかがえました。 宮城県松島高校に今年度新設された「観光科」の皆さんも出席しました |
開会で挨拶に立った、宮城県経済商工観光部次長の西村晃一さんは、宮城県が置かれている観光業界の現状について触れました。
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「これからは、民間との協力関係が大切」と話す、 西村晃一さん |
「宮城県を訪れた観光客の数を見てみると、最も多かった年(平成22年)の数に比べて、平成25年度は9パーセントの減少、松島エリアでは12パーセントの減少となっています。
震災以降、その数は徐々に回復してはいるものの、完全な回復には至っていません。
一方で、日本を訪れる外国人観光客は1000万人を超え、この2年で1.6倍になっています。
しかし、宮城県に宿泊した外国人の数は、震災前(16万人)の約半数の7万8千人にとどまっており、依然として東日本大震災の風評被害の影響が見られます。
そのような中で、平成25年、松島湾が「世界で最も美しい湾クラブ」(NGO、本部:フランス・ヴァンヌ市)に加盟しました。これは、日本では初めての加盟になります。
これをきっかけに、宮城県と3市3町は「世界の松島湾」を目指して、「再発見!松島“湾”ダーランド構想」の共同宣言を行いました。広域連携を大切にしながら、民間とも力を合わせて取り組んでまいります」
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「一度来た人が、2年以内にリピートするように考えることが大切」と語る、 矢ヶ崎紀子さん |
矢ヶ崎さんは、次の3つの視点からその解説を行いました。
1.「目線を上げる」(旅行市場の概観、インバウンドの取り込み)
2.「競争力の向上」(国内外のデスティネーションと戦うために必要なこと、物見遊山の一回限りの観光から、リピーター獲得戦略へのシフト)
3.「総力戦のための体制づくり」(地域経営の観点、強みを磨くための連携)
1時間にわたる講演では、最新のデータの分析に基づき、矢ヶ崎さんが関わったプロジェクトなど、豊富な具体例を織り交ぜながら進行しました。「松島湾エリア」が「エリア一体型観光」で成果を上げるための多くの“ヒント”が示されました。
そのいくつかをご紹介すると・・・
国内の観光地との競争に勝つための「競争力」。不可欠なのは、「初回訪問者に訴求すること」、また「リピーター率を高めること」であるという指摘がありました。
参加者へ「日本三景は、今でもブランドですか?」、「どれくらいのリピーターがいますか?」といった問いかけも。(若い世代では、「日本三景」を知らない人も多いそうです!)
広域連携の先行事例である「海の京都」(京都府)の取り組みや、「旅行に行かない人に訴求する」事例として、キャラクター(カピバラさん)を活用して成功した長野県渋温泉の取り組みなどが紹介されました。
また、「リピーター戦略」の重要性では、「『知ってもらう』という宣伝コストがかからない」、「価格競争の悪循環に陥ることがない」、「家族や友人など、リピーターが『営業』をしてくれる」などのメリットを指摘。
そのリピーター獲得のためには・・・
「回数が浅い旅行者をリピーター化するには、『満足度』が重要であること」
「地域との接点が少ない、単なる『観光地巡り』のプログラムでは、5年以内のリピート率が低いこと」
「初回の観光客のプログラムに、リピーターとなる『種』を入れること」
「地元の人々との『交流経験』がリピート率を上げる」
「そのためには、『ホスピタリティの向上』が“鍵”であること」
・・・といった、取り組みに必要な心構えも紹介されました。
統計によれば、初回訪問者が「リピーター」となって再び戻ってくる期限は、2年以内(!)。
「早いうちに手を打って2年以内にリピートしてもらうことが重要」だと矢ヶ崎さんは指摘します。
ちなみに、大分県湯布院温泉の場合、6割がリピーター(!)というデータがあります。
基調講演のまとめとして、最後に矢ヶ崎さんが「エリア一体型観光」に重要な3点をまとめました。
◎「一度見たら終わりの景色だけでの集客には限界がある」
⇒新規顧客獲得のプロモーション費用がかかり続ける。
◎「繰り返し来てもらうためには、地域の魅力が重層化した奥深さ(景色×体験)が必要」
⇒松島湾というまとまりのよいエリア内での総力戦の体制作り
そのためには・・・
◎「魅力づくりには、地域の多様な主体の参画が必要」
⇒若者からお年寄りまで、旅行者の目線に立てる人の活動。
基調講演の終了後、引き続き松島湾エリアで活躍する皆さんによるパネルディスカッションが行われました。その模様は、後編でご紹介いたします。
(後編へ続く)
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<まつしま・ちょっと豆知識>
「日本三景」って、誰が決めたの?
「日本三景」といえば、「松島(宮城県松島町)」、「宮島(広島県廿日市市)」、「天橋立( 京都府宮津市)」の3カ所をいいますが・・・、しかし・・・!
今でこそ有名な、「日本三景」という呼び名。
いったいいつから、誰によってそう呼ばれるようになったのでしょう?
実は、非常に古い歴史をもっているそうです。
今をさかのぼること、400年。
江戸時代初期に幕府で活躍し、全国を行脚した儒学者、林春斎(林 鵞峰)。
彼の著書で、「松島」を「卓越した三つの景観のひとつ」として紹介されたことが始まりだと言われています(「日本国事跡考」:1643年)。
その約50年後の元禄時代。
天橋立を訪れた儒学者、貝原益軒は、「天橋立」を「日本の三景の一とするも宜也」と記しています(『己巳紀行』(きしきこう):1689年)。
これが、「日本三景」という言葉の初見だそうです。
この時代には既に、日本人の間で「日本三景」が普及していたのですね。
「日本三景」公式サイト
http://nihonsankei.sakura.ne.jp/index.html
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(取材日 平成27年2月4日)