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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年10月23日木曜日

2014年10月23日木曜日22:21
姿をとりもどした、寒風沢島の水田。全て雨水のみの天水耕作が行われています
(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)
ザーリャです。
塩竃市の東約10キロの沖合。松島湾内に点在する緑の島々、浦戸諸島。
 4つの主要な有人島である、桂島、野々島、寒風沢島(さぶさわじま)、朴島(ほおじま)と、200以上の島々からなります。
主要4島の面積を合わせても、わずか3平方kmにも満たない島々です。

その中の寒風沢島で、新しい「島民」になるために、修行に励む4人がいます。

彼らを側面から支援するのが、NPO法人「浦戸アイランド倶楽部」
震災前の2007年以来、地元の産業界や行政、そして市民と共に議論を重ねながら 「自然環境との共生した対流型の島づくり」、「地域社会との連携による持続可能社会の実現」 に向けて取り組んできました。

その活動の拠点となる寒風沢島は、浦戸諸島最大の有人島。塩竈市と共に、「離島振興」に取り組む舞台です。新しい「島民」の育成支援も、その事業の一環です。

「自分以外の人に必要とされているから、踏ん張れるし、一歩を踏み出せる」。そう話す大津晃一さん。
自らが経営する会社も、津波で甚大な被害を受けました

「寒風沢島は、仙台の中心部から、電車と市営汽船を乗りついで1時間ちょっと。都心からこれほど近い『離島』は、日本にもなかなかありません。にもかかわらず、手つかずの自然がそっくり残り、そこに暮らす人々が『自給自足』する島なのです」

寒風沢島をそう説明するのは、NPO法人浦戸アイランド倶楽部の理事長、大津晃一さん
「寒風沢島には、人を引き付ける大きな『資源』と、農業が直面している解決すべき『テーマ』の2つがある」と語ります。

「田舎暮らしや、農山漁村、自給自足、食の安全性など、社会的に注目されるテーマが、島の暮らし方の中に詰まっています。特に、『農業』というものをもう一度真剣に考えるとき、寒風沢島が置かれている現状は、今の日本の縮図であるとも言えるのです」

◆99%の農地が耕作放棄地
活動の拠点となっている寒風沢島は、周囲13.5km、面積は1.45平方km。そこに90世帯、100人弱の人々が暮らしています。藩政時代には品川へ運ぶ年貢米の集積地として繁栄した島も、今では、高齢化と過疎化に歯止めがかからず、30ヘクタールある農地も、その99%が耕作放棄地。また、県立自然公園内の「風致地区」として、島の人々以外は自由に家を建てることができません。

「震災前まで、島の人々は自分で畑を作り、米を育て、漁業で現金収入を得ることで生活してきました。それが、『自給自足の島』と言われるゆえんです。しかしながら、島の現状を見ると、漁業は後継者不足のために衰退し、農業に関しても、自分で食べるだけの水田が、かろうじて残っているだけ。私たちが入ったころには、その農地も『ゼロ』になる直前でした」

浦戸アイランド倶楽部によって再生した、昔ながらの美しい水田(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)
そうした島で、「何が振興策につながるのか」。
NPO法人浦戸アイランド倶楽部(以下、浦戸アイランド倶楽部)では、有識者を交えた検討を重ね、その初めの事業として、まず耕作放棄地の再生に取り組むことを目標に据えました。寒風沢島は塩竈市唯一の米の生産地。市場に出回ることが無い「希少性」が、後のブランド化にも有効なこと、また、島の自然環境の再生につながることが大きな理由でした。

「事業着手が決定し、『よし! やるぞ! まずは、耕作放棄地の開拓だ!』と準備を進めている最中に、東日本大震災が起こりました」

◆8mの津波と、事業の継続
浦戸諸島に押し寄せた津波の高さは8m。寒風沢島では、31戸 が全壊、2名の方が亡くなり、1名の方が行方不明者となりました。また、堤防の決壊と約1mの地盤沈下が発生、海岸部の水田の多くが海中に沈みました。

その被害の大きさに危ぶまれた事業の存続。大津さんも、「その判断に悩んだ」と言います。しかし、島の産業は津波により壊滅。島の新たな「雇用の場」として、事業継続が決まりました。

震災から3年半。少しずつよみがえる耕作地では、新しいブランド、「寒風沢茶豆」やサツマイモなど、米に代わる換金性の高い作物の生産も始まっています。

新たに作付けした「寒風沢茶豆」は、関係者に好評でした。
アミノ酸や糖分が多いため、甘味が強いのが特徴です
(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)
耕作放棄や震災によって荒れ果てていた農地は、平成28年までに、21ヘクタールが再生し、翌年からは新たな作付けが始まる計画です。

「豊かな自然がある東北でも、農地というのは、人が手をかけて『農地』にしたもの。だからこそ、『農地』は『農地』として維持する。それが、自然と人が共生する『持続可能な島の再生』にもつながります」

新しく人が移り住み、島の持続可能性を維持しながら、農業、漁業で生業を立てる。

大津さんは、「すべてが、そのための新しい挑戦」だと語ります。


◆農業と漁業を、「世襲」するために
その作業の中心を担うのが、今年から浦戸アイランド倶楽部に加わった30~50代の4人の社員です。
現在その4人は、農地の再生作業に従事しながら、島の主幹産業でもある漁業の権利、「漁業権」の取得を目指しています。

その取得に必要なのが、漁業の「経験」と、関係者の「評価」。
大津さんは、その取得の難しさを次のように話します。

「『漁業権』を得るためには、一定期間、漁業関係者の元に弟子入りし、周囲に『認められること』が絶対条件なのです。しかし、その修行期間である数年間は、実質的に『無報酬』。だから『転職』して『漁師になる』ということは、よほどの準備がなければ非常に難しいことなのです」

手つかずの自然に囲まれ、田植えを待つ春の水田(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)

そもそも農業や漁業の「権利」は、家族に継承される「世襲制」が前提の制度。つまり、「その地に根付かなければ手に入れることができない権利」だと、大津さんは言います。

その独立までの「無報酬」の期間を、4人はNPO社員としての給与で生活します。スタートラインに立つまでの弟子入り期間を、余計な心配なく修行に集中できるのです。

修行を終え、漁業権と農地を扱う権利を取得した4人は、NPOから独立。新しい農業法人の経営主体を担います。そこからは、自らが主体となって、収入を得る手立てを考えなくてはなりません。

「たとえ数人であっても、自立できる『新しい農業』の形が寒風沢島から生まれる。そうすることで、きっと同じような問題を抱える地域や人々に、大きな希望が発信できる」。
大津さんが見つめるのは、傷ついた東北の農業の未来です。

◆自立を支える、「純米吟醸酒 寒風沢」
浦戸アイランド倶楽部では、2013年から収穫米を「浦霞」で知られる塩竈市内の酒蔵「(株)佐浦」へ販売。その寒風沢島の酒米から作られたのが、「純米吟醸酒 寒風沢」です。塩竈の酒販店にのみ卸した初年度は、瞬く間に完売しました。

酒造りに使われるのは、震災後、復興と復活を懸けて寒風沢で作付けを始めた、ササニシキ。
酒蔵「(株)佐浦」が、酒造りを得意とする酒米です。

酒造り体験の様子(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)

「私たちにとって非常に重要なのは、生産したお米を佐浦さんに毎年買っていただけるというということなのです」

年々下がり続ける米価と、農産物の換金率の低下は、農家の生活を圧迫しています。

その苦境の中で、「生産したお米が、毎年、一定の価格で、確実に買い取ってもらえる。この恵まれた仕組みができたことは、4人の自立を支える大きな力になる」と大津さんは言います。

今後計画される「グリーンツーリズム」でも、浦戸アイランド倶楽部の事業基軸となる、米作りと酒造り体験。間もなく、首都圏の酒販店でもPRが始まります。

生産量が限られるため、すぐに売り切れてしまう「純米吟醸酒 寒風沢」。
原料の酒米は、島のスタッフが丹精を込めて育てたものです
(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)

◆寒風沢島を、もうひとつの「ふるさと」に
 塩竈市が桂島と寒風沢島に整備を進める施設、「浦戸ステイ・ステーション(仮称)」。
廃校となった、旧浦戸第一小学校(寒風沢島)・旧浦戸第二小学校(桂島)を活用した施設です。漁業体験者の滞在施設として、新たな担い手の確保につなげます。

浦戸諸島の魅力は、「日本三景」の美しい海と、手つかずの自然の中で、さまざまな体験ができること。

浦戸アイランド倶楽部では、民宿やステイ・ステーションを活用し、農業や漁業を体験するグリーンツーリズムを企画しています。

「島に滞在した方が、『島の良さ』や『思い出』を持ってそれぞれの地元に帰ります。そこに新たなつながりが生まれる。いわば、浦戸諸島がもうひとつの『ふるさと』になるのです。その方々が島を支える『会員』となり、われわれは生産した農作物や海産物など、地元の食を提供するのです」

そうして得られた収入が、自立する4人の生活と島の経済を支えます。

再生した21ヘクタールの農地を、アイデアと会員のサポートで維持してゆく。
「これが本当の島の再生であり、復興だ」。
大津さんはそう考えています。

手つかずの自然の中で、さまざまな体験ができるのが寒風沢島の特徴です
(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)

◆次世代へ、「普通の人が、普通に暮らせる社会」を
合理化を推し進めた結果、取り残され、置き去りになった東北の農地。
そうした社会環境に加えて発生した、度重なる自然災害。そして、原発事故による、止むことのない風評被害。

傷は、まだ癒えることなく、東北の農業が置かれる状況は、むしろ年々厳しくなっています。

「『生産性や換金性が悪い』。ただそれだけで“排除”されてきた地域がたくさんあります。しかし、それでいいとは、
私には思えないのです」

浦戸アイランド倶楽部が実践する農業は、すべてを雨水に頼る露地栽培。「生産性」という物差しで見た場合、必ずしも「合理的」ではないかもしれません。しかしそれは、「自然と向き合った農業、その可能性を探る試み」だと、大津さんは言います。

再生された水田は、今年も黄金色に染まりました
(写真提供:NPO法人浦戸アイランド倶楽部)

「島の人たちは、後で自分たちに跳ね返ってくるような、そんな自然の『いじめ方』はしていません。昔からの設備のいらない農業で、どれだけ成果を上げられるのか。自然と共生した中で、今は持続できる農業の形を見極める大事な時期なのです」

数年後、新たな島の住民となる4人。彼らが島で生業を立て、次世代につなぐ。
大津さんが目指すのは、「普通の人が、普通に暮らせる社会」だと言います。

「『東北のこんなに小さな島でも、人はちゃんと生活できている』。それを発信することは、実は多くの方々に、希望と勇気を届けることになる。そう思っています」

本当の「復興」とは、そこに人が入り、そこに人が住み、産業として元の状況以上になることだ。
大津さんが、そう信じる復興の姿。それは被災地のみならず、日本の「地域」の再生でもあります。

東北の農業をよみがえらせるという、小さな島での、大きな挑戦。

その思いを胸に、4人は今日も、沖合に浮かぶ緑の島へ渡ります。


(取材日 平成26年9月11日)