「想いが一杯ありすぎて、言葉にならない」
我歴stockを無事終えた時に、福幸丸船長の佐藤友視さんは言いました。
3年前の震災で町の80%が被害を受け、多くの人々が犠牲となった中、誰もが悲しみ、絶望的に思っていた時、佐藤さんは、ラジオから流れる音楽を耳にしました。そして心が癒されているのを感じました。
「女川が大好きで、町のために何かをしたい。音楽の力で町を元気にしよう!!」
そう思った佐藤さんは3人の同級生とともに「福幸丸」を結成しました。
「女川の福幸(復興)に向かって出航しよう」という想いが込められた名前は、漁業が盛んな町にちなみ、船の名前に使われる「~丸」を付けています。
そして結成から約3カ月後に行われたのが、我歴stockです。
その頃には、福幸丸のメンバーも増え、その想いに賛同したアーティストも参加してくれました。
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2011年10月30日 我歴stock |
という想いで、我歴stockは今年4度目を迎えました。
今年も福幸丸の皆さんは、それぞれの仕事が終わった後に集り、会議を進めてきました。
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そして当日、たくさんのお客さんが集り、アーティストが会場を盛り上げ、子どもたちはいろんなところで遊び、笑顔あふれるイベントとなりました。
そして陰でイベントを支えていたのは、県内外から集ったボランティアの皆さんでした。炎天下の中、福幸丸とともに、駐車場整備、ゴミ管理などを行っていました。
最後に校庭を皆でゴミ拾いをしていました。 |
そして、片付けが終わった時、 「お疲れさまでした」と言いながら、ハイタッチをしました。 |
「地元がメインのイベントとしてやっているので、久しぶりに会う人が多く、暑い中で大変だったけど、人と会うと笑顔になったし、本当にたくさんの笑顔を見ることができました。
それは、同窓会のようなものだと思います」
それは、同窓会のようなものだと思います」
イベントを通して人々と想いが繋がり続けていました。
我歴stuckは、福幸丸にとっても、アーティストや、イベントをサポートしていたボランティア、お客さんにとっても、
「久しぶり!」と言って笑顔になる場所でした。
我歴stuckは、福幸丸にとっても、アーティストや、イベントをサポートしていたボランティア、お客さんにとっても、
「久しぶり!」と言って笑顔になる場所でした。
「4回目の我歴stock!大成功 ありがとう!!
みなさんの笑顔がたくさん見れて幸せです」
船長 佐藤 友視 さん
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「来年も今年みたいに皆に協力してもらいながらになりますが、皆で作り上げるというのも我歴stockの醍醐味なので、みんなでやっていきたい!」
実は、佐藤さんのお腹には赤ちゃんがいるんです。
毎年、イベントでは走り回る佐藤さんでしたが、今回は福幸丸の仲間たちが走り回っていました。
「今回動けなかった分、一人一人が頑張ってくれたおかげでとても良いイベントになりました。
皆でやればイベントそのものがすごく良いものになっていくことを実感しました」
4度目の我歴stock、時間はあっという間に流れていきました。
しかし、2011年から始めた想いはずっとずっと大切にされています。
始めた当初から、福幸丸の想いに賛同したアーティストは、我歴stockへ参加し、被災地への応援ソングや、我歴stockをテーマに楽曲を制作する人たちもいました。
「音楽で地元の人たちを元気にしたい!!」という想いは、福幸丸が抱く想いと共通していました。
参加した全ての人たちが音楽の力を感じたと思います。
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我歴stockは、2011年10月30日に第1回目が開催されました。 そこに書かれていたのは、我歴(ガレキ)の想いでした。 |
けれど、それはただのガレキではなく、「生きてきた証」です。
「我歴」
たった4人で始めた活動が、今はたくさんの人と繋がり、たくさんの人たちが仲間となり、音楽で女川を盛り上げています。
来年、再来年も・・・おなじみの顔で皆さんを迎えます。
ぜひ、来年も我歴stockへいらしてください。
(取材日 平成26年6月1日)