今回は、南三陸町へボランティアに来られる方々と、地元の皆さんのマッチングにご活躍されている方を紹介します。
昨秋、愛知県から南三陸町に応援職員として派遣されていた篠原英明さんという方を紹介させていただきました。
「出会いこそ支援。派遣職員大活躍!」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_331.html
篠原さんが「僕よりもっとスゴイ人がいます」とご紹介くださったのが、岡山県から石巻市の県事務所へ派遣されていた小野亮さん。
「世の中は「おたがいさま」 ~派遣職員大活躍!その2」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
そして、その小野さんが「僕よりもっとスゴイ方」とおっしゃるのが、今回、取材させていただいた及川学さんです。
被災地では、誰かのお手伝いが欲しいという方が、今もたくさんいらっしゃいます。
ボランティアさんと、現地の方々を繋いでいるのは、町のボランティアセンター(=ボラセン)や、NPO団体などですが、中にはどこにも所属せず、個人的な人脈を使って「ボランティアを繋ぐボランティア・コーディネーターさん」もいます。
ボランティアの現地コーディネーターさんを通じると、ボラセンなどの団体を経由するよりも、直接、地元の方と触れ合える機会が多く、「地元の方と交流したい、お話がしたい」と考えるボランティアさんに好評なのだとか。
「地元の方と交流したい、お話がしたい」。そう考えるボランティアさんは多く、そして実際、ボランティア活動をキッカケに、今では家族ぐるみで行き来している・・・なんていう方々もたくさんいらっしゃいます。
5月4日。南三陸町歌津の馬場中山地区で 関東・関西から来られたボランティア「チームミタ」の皆さんが 田んぼの横に芝桜を植えてくださいました。 |
でも、震災から3年が過ぎて、仕事や家業や家事が忙しくなり、ボランティアさんの〝取り次ぎ〟が難しくなってしまったという方も少なくありません。
だけど、これまでの経緯から、お断りはしたくない・・・。
そんなとき、とても頼りになる方が、及川学さんなのです。
多くの方を結びつけるバイタリティー。だけど力の入りすぎていない自然体。飄々としているけれど胸は熱い――。
歌手・河島英五さんの『時代おくれ』の歌詞を思い出させるような方です
(歌詞は検索してみてください)
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真ん中の赤い服の方が及川学さん。目が光に弱いとのことでサングラスをかけていますが、 これが及川さんのトレードマークにもなっています。 「たばごどき(休憩時間)」のおやつは、ボランティアさんのおみやげの笹団子 |
及川さんは、南三陸町・歌津の馬場中山地区でワカメ漁家を営む方です。
馬場中山地区は、被災直後、道が崩落して孤立したため、地区の方々が自ら重機やスコップをふるって「未来道」という避難道路を開削したことでも知られています。
「未来道」については・・・
2013年11月22日 金曜日
ひとつになったふたりの「未来道」(南三陸町歌津)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_7723.html
震災から数週間後、及川さんは、営業を休止していた国道沿いのコンビニで車を停めていたグループに声を掛けました。「この町に炊き出しに来た」という北海道のボランティアの方々でした。
「じゃあ、その炊き出しを、ぜひ、ここでやってください」
及川さんはコンビニの店主さん、地主さんと相談し、駐車所を片付け、水を集め、仮設トイレも持ってきて炊き出しをサポート。
北海道のボランティアの方の炊き出しはそれから約半年間続き、さらにはラーメン協会の方がこれを引き継いでくださって、実に2年間も続けられたのでした。
及川さんがコーディネートされた多くの方が、 帰宅後、こんなフォトアルバムを作って送ってくださるそうです |
その活動がテレビで紹介され、番組を見た人たちが「南三陸でボランティアをしたい」と、及川さんに連絡する人たちが増えたのだそうです。
及川さんは、基本的にお断りすることがありませんでした。
そうしているうちに、及川さんは、ちょっとした有名人になってしまい、「ヒーロー」的に報道されたこともあったそうです。でも、及川さんはそうした周りの評価に違和感があったとか。
九州の大学生チーム。彼らと及川さんのステキなエピソードもあるのですが それはまたの機会に紹介させていただけたらと思います |
「自分はヒーローなんかじゃないです。見返りを求めてやってたワケでもない。ボランティアの方に、南三陸に来てよかったって喜んでもらえたら・・・そう思って続けてきたんです」
また、ある時には「ボランティアをたくさん受け入れて、地元の人間を甘やかしている」なんて言われたこともあったそうです。
「震災直後には笑えなくなった自分がいました。でも、今は声を出して笑える。自分たちを笑顔にしてくれたのはボランティアの皆さんのおかげ。僕の思いは一つ。南三陸の人たちも、ここに来てくれたボランティアさんも笑顔になってほしい。ただ、それだけです」
地域に花を植えたい・・・。 生活に直結した切実な〝仕事〟ではないのかもしれないけれど、 そんな人々の願いをお手伝いするボランティアもあるのです。 地域のニーズはさまざま。お手伝いできることはまだまだいっぱいあります。 |
及川さんに連絡をくれる方は、ボラセンを通さない方がほとんど。大人数のちょっとした団体さんから数人のグループまでさまざまです。
でも、「パソコンも使ってないし、フェイスブックとかもやってない。連絡は携帯一本です。そして、誰と誰を結びつければいいか、全部、頭の中に入ってます」
パソコンは便利だけど、ほんとうの結びつきじゃない感じがする、と及川さん。
「ボランティアの皆さんには、出会った地元のじいちゃん、ばあちゃんに、あとで手紙かハガキを出してくださいねって言います。お年寄りたちは、SNSもメールも使わない。孫ほど歳の離れた若い人たちからもらう手紙やハガキは、みんなの宝物になります」
及川さんに届けられた手紙の一部。 もう段ボール数箱分になっているそうです |
手書きの文字で綴られた思いや感謝は、電子画面のフォントでは伝わらないぬくもりも伝えてくれます。
「〝思い〟や〝心〟は目に見えません。でも、〝思いやり〟や〝心遣い〟は形になって見えるし、残る。『来てくれたあの子たちに、また会いたい』って思えることは、お年寄りの生き甲斐になるんです」
南三陸に来てくれる人のために、南三陸の人間ががんばらないといけない、と及川さんは言います。
「目の前は『太平洋銀行』。そこにある貯蓄は誰でも引き出せる。多くの人が自立に向けてがんばっていますが、できていない人は誰かの力を借りればいい。手を借りながらの復興は、まだまだ続きます」
5月4日、馬場中山で芝桜を植えてくださった「チームミタ」の皆さんと及川さん。 前列左から、ゆりっぺ、及川さん、エビちゃん、後列左からナカタッチ、ミタさん、ゆっきーです。 |
ボランティア活動も、出会いとふれあいの場です。
心と心を結びつけ、ひとりでも多くの人が笑顔になってくれたらいい。
でも、できないことはできないと言うし、ムリはしない。目立ったりもしたくない。
みんなの心を見つめ続けて、出会いへの感謝は忘れない――。
『時代おくれ』の男に会いました。
(取材日 平成26年5月4日)