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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年10月30日水曜日

2013年10月30日水曜日16:11
こんにちは。kaiiです。

東日本大震災から2年7カ月。
平成25年10月24日、気仙沼市の市街地に打ち上げられていた第18共徳丸の解体工事が終わりました。
工事のために設置されていたパーテションも外され,現場は更地になりました。

第18共徳丸が撤去され更地も戻った打ち上げ現場(平成25年10月28日撮影)

平成25年10月28日、.解体工事の終了に伴い、打ち上げ現場周辺で震災不明者の集中捜索が気仙沼警察署の署員16人体制で行われました。

共徳丸が撤去された現場での集中捜索(平成25年10月28日)

共徳丸周辺での捜索はこれまでにも行われてきました。この日の捜索では不明者の手掛かりになるものの発見には至りませんでした。

記者の質問に答える気仙沼警察署警備課奥田祐次課長

気仙沼警察署警備課の奥田祐次課長は、
「私たちの同僚も未だ不明のままです。震災不明者を一日も早く家族の元に帰したいと思います。今日の捜索では衣類などは発見されましたが、衣類などには記名されていることが少ないので不明の方の手がかりになるものかどうかは現段階では分かりません」
と話しました。

共徳丸の思い出を話した熊谷さん

気仙沼市の中心部から捜索の様子と共徳丸の撤去作業を見に来たという熊谷さん(78)は、
「やっとあの船がなくなってよかった」と話しました。

解体前の共徳丸(平成25年9月9日撮影)
20年前まで気仙沼魚市場で働いていた熊谷さんは、第18共徳丸の思い出と共徳丸への思いをこう語りました。

「共徳丸は大漁をする船で金華山沖や八戸沖の漁場で漁をして、漁場からエンジンをうならせて12時間ほどで気仙沼魚市場に入港して水揚げをしました。市場にこの船が入港するのを昔はとても楽しみにしていました。津波でこの場所に打ち上げられてからは共徳丸を見ると悲しくなりました」


解体前の共徳丸(平成25年9月9日撮影)

「観光客が、ビールを片手にピースサインをして写真を撮っている姿を見るたびに憤りも覚えました。観光客は震災での私たちの苦労も共徳丸への思いも知りません」

「共徳丸は気仙沼魚市場と私たちの生活を潤してくれた恩人です。周囲に打ち上げられた船は沖に戻されたのに、この船だけがこの場所に2年7カ月も置き去りにされました。その姿がとても悲しかった。やっと心が痛む風景がこの場所からなくなりました」

解体が始まって操舵室が解体された共徳丸(平成25年10月4日撮影)


共徳丸が撤去された現場(平成25年10月28日撮影)
「船は陸に揚げられて5年もすると使えないものになります。共徳丸の解体作業を幾度も見にきましたが、丁寧に行われていました。船体もエンジンも再利用されると聞いています。海に帰ってまた仕事ができることを共徳丸も喜んでいると思います」


共徳丸の下敷きになっていた自動車(平成25年10月28日撮影)

船体に下敷きにされていた自動車の撤去が行われました。
自動車が撤去された跡からは、震災当時気仙沼の町に漂っていたオイルなどの臭いが混ざった不快な臭いが立ち込めました。

共徳丸が撤去された現場(平成25年10月28日撮影)

 船体が打ち上げられていた場所の地面には、くぼみができていました。

気仙沼警察署鹿折駐在所の跡地
今も門馬巡査部長を悼む花が手向けられています
(平成25年10月28日撮影)
鹿折地域では鹿折駐在所に震災当時勤務していた門馬巡査部長も含め未だに30人ほどの震災不明者がいます。
不明者になっている方々が一日も早く家族の元に帰れるようにkaiiも祈っています。

(取材日 平成25年10月28日)