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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年6月27日木曜日

2013年6月27日木曜日9:35

「本日は、ご乗船をいただきありがとうございました。30分の船旅はいかがだったでしょうか? 実は私がこうしてご案内をしながら運行するのは、まだ今日で3日目なんです。とても緊張していて、上手にご説明ができなかったかもしれませんが、どうかお許しください」

「えっ? 3日目だって? ずいぶん慣れている感じなのに」
金華山から女川港へと帰る高速船「ベガ」のデッキで、私は思わず耳を疑いました。


ココロデスクです。
巳年御縁年の神輿渡御でにぎわう黄金山神社の様子を見るためにChocoと入れ替わりに金華山に渡った私は、最終便に乗船して女川に戻りました。

金華山へは、これまでは鮎川港から海上タクシー(モーターボート)に乗って渡っていましたが、このゴールデンウィークから女川航路も再開すると聞いて、乗ってみることにしました。

金華山に渡る、2つ目のルートの復活です。


ベガは時速50km。「中型船としては北海道東北管内では最速」だそうです。


前日に乗ったのは、女川発15時10分発の最終便でした。
途中、ちょっとした渋滞に巻き込まれて、
「乗り遅れたらどうしよう」
「満員で乗せてもらえなかったらどうしよう。予約しておけばよかったかな」
と案じつつも、どうにか10分前に乗り場に到着。

乗船券を発券しているプレハブの事務所に行って切符の購入を申し込むと、係の人は怪訝(けげん)そうに
「お客さん、今から乗るの? 本当に?」

聞くと、この便に乗ってもすぐに折り返し便になるので、宿泊する人以外は乗らないだろう、ということでした。宿泊予定人数の情報は事前に把握しており、私が来ることは聞いていなかったので心配してくれたのでした。

「私はボランティア団体に合流することになっているので」と説明をしたらようやく納得していただきました。(たぶん大部屋雑魚寝となるので、まともな宿泊者の数に入っていないのです)

というわけで、往路の乗客は私1人だけ。
客室もデッキも自由自在に動き回ることができ、視界360度の風景を満喫できました。
船員の皆さんも最終便の復路に備えて、忙しくてとりそびれた昼食を急いでかきこんでいました。

「大きさの割にずいぶん速い船だなあ」
それが、この船に初めて乗った私の第一印象でした。

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海へと向かって参道を下る神輿

鮎川七福神舞保存会による七福神舞奉納

参詣者を迎えるための弁当の準備、境内や社殿の清掃、客の案内、売店の店番・・・
前夜からめまぐるしく動き回り、神輿渡御の1日がようやく終わった5月5日16時。
金華山発女川行き最終便は、満員の70名の乗客を乗せて出航しました。


「ベガ」に乗り込む乗客


船が出ると、ほどなくして船長のあいさつが始まりました。

ひとしきりあいさつが済むと、船長自ら観光ガイドです。、
右に見える金華山、左に見える牡鹿半島、岬や入り江が視界に入ってくるたびに、その名前やいわれを一つ一つ説明していきます。

そして、震災当時のさまざまな出来事、全国から寄せられた支援のへの感謝、復興の現状なども。


この日、波は静かでした。

30分の航海のあいだ、ガイドは休むことなく続けられました。
「往路では、このようなガイドは無かったな・・・」
そんなことをぼんやりと考えていた時に聞こえてきたのが、冒頭の言葉だったのです。

「えっ? 3日目だって? ずいぶん慣れている感じなのに」

何だかとても興味が湧いてきて、私はインタビューを申し込むことに決めました。

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「久しぶりに金華山をお参りできた」と喜ぶ皆さん

下船して船を見ていると、乗客を降ろした後も、船員の皆さんは船内外の清掃や切符の整理、運航記録などのために忙しく働いていました。

ようやく仕事が完了して降りてきた船長に声を掛けると、突然の申込にもかかわらず快く取材を了解してくださいました。


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船長の持田耕明さんには、2つの肩書があります。

1つは、金華山航路を運航する「株式会社潮プランニング」の「取締役」。
もう1つは、女川町からの委託で離島航路を運航する「シーパル女川汽船株式会社」の「総務部長兼安全統括管理者」。

肩書が2つあること。
そこに、5月3日に2年2カ月ぶりに再開した女川=金華山航路の、復活の秘密がありました。

「震災では、2隻の船は無事だったものの、役員や従業員の何人かが犠牲になりました。港も壊滅したため、すぐには金華山航路を復活できるような状況ではありませんでした」
と持田さん。
そんな持田さんに女川町役場から、2つの離島である出島と江島を結ぶ離島航路の運航が要請されました。

乗客を送り出した後も、整備などの作業は続きます


「専務さんが亡くなった今、代わりを務められるのは君しかいないだろう、と。以来、1日3便を運航しています」

離島航路の運営は、国からの補助で成り立っています。自由度が小さく、ちょっとペンキを塗り替えるだけでも規制やら申請やら大変な手間が掛かるのだそうです。

「2年間、モヤモヤした思いがありました。早く、震災前のように自由な営業がしたい、と」

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実は、持田さんは地元ではなく東京の出身です。

根っからのヨットマンで、2年毎に転々と港を引っ越してきました。
女川に来る前にいたのは、茨城県内の港。
5年前の冬、2週間ほどかけてゆっくりと北上し金華山へ。
「せっかくだから女川にも行ってみろ」と人から勧められ来てみたのだそうです。

「港に着いてみたら、大晦日だというのに流れてきた自分を歓待してもらえ、いっぺんで女川が好きになりました。翌年もその翌年も訪れ、とうとう3年目には”一緒にやらないか”と誘われたんです」

その少し前に女川では別の船会社が経営破たんして、金華山航路は休止していました。
持田さんが誘われた会社が運航を引き継いで再開したところ、寂れていた港に客が集まり、賑わいが戻り始めたのだそうです。

「やっぱり、港に人が来ないことには女川の町は」

入社した持田さんは、集客のための企画をいろいろと工夫しました。
例えば、毎月13日は「10(とお)」と「3(さん)」で「登山の日」といったように、金華山登山を提案するなど。
工夫と努力の甲斐があって、業績は毎年3割も向上したそうです。

洋上で眺める金華山

そうして好調に発展しつつあったその時に襲ったのが、東日本大震災だったのです。

大切な仲間を失いましたが、生き残った住民の大切な足である船の運航は続けていかなければなりません。

幸い、金華山航路の「ベガ」と「アルテイア」の2隻も、離島航路の船も無事でした。残された船をやりくりして、復活のための懸命の格闘が始まりました。

まずは、収入を得ることとコストの削減。
とはいってもそれは、リストラや何かを捨てることではなく、残されたものの有効活用でした。

行き先である金華山の港は被災したまま手付かずの状態。
女川港は岸壁工事が進んでいましたが、工事区画が変わるたびに船を移動しなければなりません。頻繁に行われる岸壁移動の度に2隻を1人で管理するのは大変な仕事でした。

それに、港が復旧しないことにはせっかく残った船も使い道がありません。

そこで2011年の11月まで、アルテイアを気仙沼の大島汽船に貸し出しました。そしてベガは、出島と江島の離島航路に。

1日3便の離島航路を運航しながら、持田さんは金華山航路再開のために智恵を絞り続けました。
そしてたどり着いた結論は・・・・・・

自らが、会社の役員に就任することにしたのです。それも、人件費を削減するために。

私も初めて知ったのですが、船の乗組員には国が最低賃金を決めています。
女川の場合は、月額237,650円。
たとえ月に1回の乗船だとしても、満額を支払わなければなりません。

金華山の観光復興はまだまだこれから。毎日運航しても十分な乗客数はとても期待できません。
せいぜい、週末に1往復がいいところ。
それだけのために乗組員を何人も雇うことは無理です。

そこで、「自分自身が役員になれば、最低賃金には縛られない。人件費を増やさずに済む。経営していくためにはそうするしかない」と持田さんは決断したのです。

そもそも定期航路とは毎日決まった時刻に運航することが原則であり、週1往復だけの「定期航路」は、異例中の異例なのだそうです。
これも「前例がないからダメは、大嫌い。何だって、初めての時があったはず」と国交省を相手に粘り強く交渉した持田さんの頑張りの成果です。

「日本初ですよ。”定期航路”と名の付いた日祝だけの航路は」

「せっかくいらっしゃったお客さまに、ちょっとでも楽しんで帰っていただきたいんです。船内ガイドも、これまではCDに録音した簡単なアナウンスを流すだけでした。それではつまらなかっただろうと反省し、観光情報に加えて震災の話題も盛り込みながら、できるだけたくさんお話をすることにしました。まだ3日目で、なかなか慣れませんけれど(笑)」

今後は?

「金華山航路は震災前は1日2便。元のように増やせるものなら増やしたいです。ただ、金華山自体も人を引き付ける力が年々衰えている感があります。特に、若い人が減っていることが気になります。関わりのある人たち皆で考えていかなければ」

離島にとって、航路は希望そのものです。
鮎川港に加えてここ女川からの航路が復活したおかげで、「希望」は一層ふくらみました。
2年2カ月を経て再びよみがえった、2つ目の希望が、人々を勇気づけることでしょう。。

金華山 行くときっといいことある”島”
株式会社潮プランニング 取締役 持田耕明さん

ところで、ベガ(織女)の恋人アルテイア(牽牛)は今どこに?

「アルテイアは今、岩手県久慈市の小袖海岸で、観光遊覧船として頑張っています。現在放映しているNHK連続テレビ小説”あまちゃん”のロケ地です(ドラマでは「袖が浜」)」

じぇじぇ~。
じぇじぇじぇっじぇ~!


NHK連続テレビ小説「あまちゃん」


「現地の”ヒカリ総合交通”さんがレンタル先として引き受けてくださいました。久慈市も全面的にバックアップしてくださいました。とてもありがたい話です」

これから「あまちゃん」の後半のロケが再開するそうです。
もしかしたらアルテイアの勇姿が画面に登場するかもしれませんね。
今から楽しみで、目が離せません。


そして何よりも、1日も早く金華山航路が再び盛んになって、ベガとアルテイアが仲睦まじく太平洋をデートできますように。

今年の七夕の願い事が、1つ決まりました。


株式会社潮プランニング
http://www.ushio-planning.co.jp/
※現在、女川-金華山航路は、日祝のみ1日1往復の運行です。詳しくはサイトでご確認ください。

(取材日 平成25年5月5日)