春の陽が気仙沼湾をキラキラ照らしています。この美しい海のある地域がkaiiの故郷です。
気仙沼湾の東側、気仙沼市二ノ浜の小高い場所に建ち、地域の教育・文化の拠点としての地域と共に発展してきた気仙沼市立浦島小学校が平成25年3月23日、63年の歴史に幕を下ろしました。
浦島小学校は、昭和25年(1950年)4月に全校生徒216名で独立開校しました。
昭和26年4月、町制施行に伴い「宮城県本吉郡鹿折町立浦島小学校」と改称し、更に昭和28年6月には気仙沼市制施行に伴い「気仙沼市立浦島小学校」と改称して今に至ります。
昭和39年3月に卒業した卒業生の文集には、大雨が降ると雨漏りする木造の旧校舎と、工事が進んでいく鉄筋コンクリートの新校舎の様子が描かれています。読めば、子どもたちがバケツや洗面器を雨漏りする場所に置きながら勉強していた様子が伝わってきます。
昭和56年の8月、市内水泳大会で団体全種目優勝。
「あの時の練習はきつかった」
「あの練習に耐えられて、忍耐強くなったように感じるんです」
恩師に感謝の言葉を伝える姿がありました。
開式前の会場には再会を喜ぶ人の声が響いていました。
昭和31年度卒業生の恩師藤野卓児先生は、昨年の秋に亡くなられました。ご家族が亡くなった藤野先生の遺影を胸に閉校式の様子を見守りました。
教え子が「藤野先生にそろばんを教えてもらったの。就職する時にとても助かったんです」と奥さんに当時の先生の思い出を話していました。
午後1時30分から閉校式が挙行されました。
気仙沼市長が式辞の中で「震災後の住宅の減少や長年続いてきた少子化の実態に直面し、気仙沼市の未来を託す将来性豊かな子どもたちの教育環境を考えるとき決断を先送りするいとまはありませんでした。保護者の皆さまと地域の皆さまのご理解にあらためて感謝の意を表します」と話しました。
地域への感謝を述べる菅原 茂 気仙沼市長 |
「浦島小学校、ここにあり。地域の皆さんの学校への理解と協力に感謝しています。校歌の一節に『いつかあの海乗り切るぞ』とありますがまさしく浦島っ子は、自分自身の人生という海を自らの力で乗り切っているのです」
と話し、地域への感謝を表しました。
平成25年度卒業生と、来年度から鹿折小学校に通うことになった在校生2人は、浦島小学校での思い出を「お別れのことば」として話しました。
浦島小学校最後の児童7人の「お別れのことば」 |
浦島小学校の校旗が市長に納められ、63年間の浦島小学校の歴史の幕が閉じられました。
校旗が納められ市長に返されました |
浦島小学校の校歌の中には「ぽんぽんぽーん」と発動機船のエンジンの音がよみこまれています。
漁業と共に地域が発展し、地域の発展と共に小学校が発展してきたことが表現されています。
浦島小学校 校歌 |
朝日かがやく 四つの浜
いつも亀山 前にして
ぽんぽんぽーん
ぽんぽんぽーん
発動機船に 夜が明ける
これぞ浦島 わが母校
高みにあるのが うれしいな
地域の文化の拠点だった小学校施設の一部は保存され、地域文化やコミュニティの発展の拠点として新たな歴史を歩むことになりました。
浦島小学校の校歌と沿革が刻まれた石碑 |
浦島小学校の歴史は校庭の隅にある2本の松の下に石碑に刻まれて残されました。
春のうららかな日差しの中で、当日会場を訪れた300人ほどの人たちが、いつまでも思い出を語り合っていました。
震災当時、校長だった齋藤 寧さん |
思い出いっぱいの浦島小学校に感謝 |
(取材日 平成25年3月23日)