こんにちは、kaiiです。
「太平洋の緑の真珠」気仙沼市大島。
その北部、気仙沼市亀山地区で昭和9年からカキの養殖業を続けているヤマヨ水産は、平成22年のチリ地震津波で養殖施設が被害に遭いました。
そこからようやく復旧した矢先の平成23年、東日本大震災が発生して養殖施設、作業場、船、家屋などを全て失いました。
現在は家族6人で仮設住宅で暮らしながら、養殖業の再建に取り組んでいます。
「太平洋の緑の真珠」気仙沼市大島。
その北部、気仙沼市亀山地区で昭和9年からカキの養殖業を続けているヤマヨ水産は、平成22年のチリ地震津波で養殖施設が被害に遭いました。
そこからようやく復旧した矢先の平成23年、東日本大震災が発生して養殖施設、作業場、船、家屋などを全て失いました。
現在は家族6人で仮設住宅で暮らしながら、養殖業の再建に取り組んでいます。
代表の小松武さんは、今を「震災からの復興、勝負の5年間」ととらえて、「復興・オーナー制度」という大島カキのオーナー制度をスタートさせました。
「私たちには熱い思いと養殖の技術があります。しかし復興していくためには資金面での高いハードルがあります。水産業復興の必要性と養殖業者が抱える資金調達の難しさを理解していただける方に先に支払いをしてもらい、収穫期に殻つきのカキ20個〈加熱調理用〉を(1回のみ)送ることにして1口1万円でオーナーを募っています。2017年までには自立、復興することを目標に努力していきます。この5年間は本意ではなくても、オーナーさんにもリスクを一緒に背負ってもらうことをお願いするしかありません」
「私たちには熱い思いと養殖の技術があります。しかし復興していくためには資金面での高いハードルがあります。水産業復興の必要性と養殖業者が抱える資金調達の難しさを理解していただける方に先に支払いをしてもらい、収穫期に殻つきのカキ20個〈加熱調理用〉を(1回のみ)送ることにして1口1万円でオーナーを募っています。2017年までには自立、復興することを目標に努力していきます。この5年間は本意ではなくても、オーナーさんにもリスクを一緒に背負ってもらうことをお願いするしかありません」
海は、震災の影響などで変化したそうです。漁場の復旧は考えていたよりも遅れていると言います。
「オーナー制度は縛りがなく、自分たちの助けにもなりますが励みにもなります。復旧作業を助けてくれた多くのボランティアさんたちが、大島のカキやホタテを食べたいと言ってくれました。そのことがきっかけでオーナー制度も始まりました。現在500人ほどのオーナーさんに登録していただいています」
創業当時から顔の見えるお付き合いを大切にし、カキやホタテの養殖を中心にして生産から加工、販売までをしていたヤマヨ水産。
そのお客様第一主義の方針が、オーナー制度の中にも含まれています。
仕事の様子やカキの育成状況などをオーナーさんにメールや手紙などで届け、大島に足を運んで来られるオーナーさんには、希望があれば作業の体験をしてもらうことも考えています。
そのお客様第一主義の方針が、オーナー制度の中にも含まれています。
仕事の様子やカキの育成状況などをオーナーさんにメールや手紙などで届け、大島に足を運んで来られるオーナーさんには、希望があれば作業の体験をしてもらうことも考えています。
「人と自然の調和が大切ですね」
小松さんは、復興とオーナー制度への思いを真摯に話しました。
小松さんは、復興とオーナー制度への思いを真摯に話しました。
計画から45年が経過した大島架橋の建設がようやく進められることになり、本土と大島が橋で繋がることになりました。
数年後には大島に車で渡れる日が来ます。その時にはまた気仙沼湾で育てられたおいしい海産物が震災前のように食べられると思います。
小松さんの取り組みは気仙沼の漁業復興には小さな1歩ですが、流通の変化に伴う新しい漁業を進めていくには大きな1歩になります。
数年後には大島に車で渡れる日が来ます。その時にはまた気仙沼湾で育てられたおいしい海産物が震災前のように食べられると思います。
小松さんの取り組みは気仙沼の漁業復興には小さな1歩ですが、流通の変化に伴う新しい漁業を進めていくには大きな1歩になります。
kaiiの伯父が働いていた大島瀬戸を眺めていると、お正月近くになると手を紅くして冷たい海の中から水揚げしたばかりのカキを届けてくれた伯父の姿を思い出しました。カキナイフの使い方を幾度も幾度も根気よく教えてもらってもうまく剥くことができませんでした。三陸海岸のおいしい海産物が震災前のようにまた収穫できることを願っています。
(取材日 平成24年12月13日)