海岸線から3㎞ほど内陸に入った岩沼市の押分地区。もともと田んぼだったこの一角は長方形で縁取られ、外周を工事用の塀が取り囲んでいます。
昨年8月上旬に宅地の造成工事が始まり、現在、盛り土工事が急ピッチで進んでいます。19.96haという面積は相当広大に感じられます。
この造成地は、「玉浦西」地区と命名されます。付近の小中学校の名前になっているものの、地名としては無くなった旧玉浦村に由来する「玉浦」を、再生しようという願いが込められているといいます。
東側に隣接する既設の土地区画整理事業の保留地である「三軒茶屋西」地区(0.78ha)と合わせ、東日本大震災で壊滅的被害を受けた市内沿岸部6地区の共同の集団移転先となっているのです。
両地区には、来年4月以降に328世帯、960人が移り住む予定になっています。
岩沼市が事業を先行できた理由の1つは、平坦な土地に恵まれて いたことがあるといいます |
岩沼市が行う「防災集団移転促進事業」が、全国的に高い注目を集めています。
国土交通大臣による事業計画の同意(平成24年3月下旬)、宮城県知事による開発行為の許可(同年5月下旬)などに加え、着工までもが、被災地の中では先陣を切って進展してきました。さらに、移転住民の意向が色濃く反映されるまちづくりが計画されています。
「行政が主導的に計画していくのは手っ取り早い方法です。しかし、持続的なまちをつくっていくためには、多少時間がかかっても、住民自らが決めていくことが最適だと判断しました」
同事業に当たる岩沼市の復興整備課では、こう説明します。
岩沼市では、造成工事と並行して、新たなまちづくりの全体計画を策定する「玉浦西地区まちづくり検討委員会」を昨年6月中旬に立ち上げました。委員会を構成するのは、移転する6地区の住民18人と移転先周辺の住民3人、学識経験者2人の合計23人です。市は事務局という位置付けです。
移転の各地区では3人が委員に選出されています。町内会長のほかに、生活感にあふれるとして女性を、そして、次代を担うとして40歳未満の若手を対象にしたといいます。学識経験者は委員長と副委員長に就任。
このほか、平成23年8月に市の震災復興計画をまとめ、その後に市内でまちづくりのワークショップを続けてきた石川幹子・東京大学大学院教授ら3人が、都市計画、宅地造成、建築といった各専門家の立場からアドバイザーを務めています。
検討委員会はほぼ2週間に1回の割合で開催されています。昨年9月中旬に、「まちづくりの方針」と土地利用計画を市長に提言し、住宅造成整備の大枠が方向付けられました。
「まちづくり検討委員会」の委員である菊地さん。 「住民、行政の議論はかみ合ってきた」と言います |
「2時間、場合によっては3時間をかけた委員会は、いつも時間が足りないくらいです。委員会が終わったとしても、意見を述べたいと残る方は多いです。3班に分かれてグループワークを行っていますが、だれもが積極的に発言してきました」
まちづくりの方針の検討では、まず、集団移転する人に限らず、移転先周辺の人や、他の場所に個別移転する人の意見を反映できるよう、まちづくりのアンケートを行いました。その上で、委員各自の思いを「まちづくりカード」によって発表しました。内容を「コミュニティ」「土地利用」「景観」などのテーマごとに分類し、委員全員が共有。班での絞り込みを行い、「自然災害に強い安全・安心なまち」「緑豊かで水辺のある景観のよいまち」など7つの項目を決定したといいます。
住宅、道路、公園などの施設をどのように配置するかを決めるのが、土地利用計画です。その検討では、各班が先ほどのまちづくりの方針を踏まえて、イメージを何度か図案化しました。自宅やまちを失った委員の思いは切実で、再建に向けて、アイデアはふんだんに出されたといいます。
各イメージ案には、「地区ごとに中心部で緑地を確保している」「南北に幹線道路を通す」などの共通項があり、最終的には1つの案に集約されました。市からは、地区内幹線道路、区画道路、緑道、公園兼調整池、街区公園、生活利便施設のそれぞれについて、法規制などが加味された上での考え方が示されました。
「住民は住民で知恵を絞り、地元に持ち帰る。行政は行政で検討し、たたき台をつくる。互いに、より近い関係を保ってきたのではないかと考えています。議論はうまくかみ合ってきたと思います」(委員の菊地さん)
住宅や道路、公園などの施設の配置をまとめた土地利用計画図(右) |
土地利用計画図を元にした完成イメージ図 |
震災では、居住していた471戸すべてが全壊し、市全体の6割強に当たる118人の方々が犠牲になりました。
沿岸の6地区(北から順に「相野釜」「藤曽根」「二野倉」「長谷釜」「蒲崎」「新浜」)が共同で、中央の「玉浦西」 (西側)と隣接の「三軒茶屋西」に集団移転します※平成24年11月2日岩沼市復興整備計画(第2回変更)から引用 |
地区をめぐる決定で、もめることはなかったといいます。新造成地では、従来のコミュニティを最大限に尊重することにしていて、地区ごとに街区を形成しますが、その選択で異論が出ることはまったくありませんでした。
6地区は平成23年10月に共同移転の結論に達し、直後の12月には「玉浦西」への移転も決定しました。
相野釜区長の桜井さんは、個別移転した人も、 集団移転先で一緒に住むことを願っています |
相野釜区長の桜井清さん(70)は、稲作のほか葉物のハウス栽培を行っています。移転の思いをこう述べます。
「地区では震災直後から、地元にはもう住めないという意見が大多数でした。はじめに集団移転ありきでした。他の地区とは、より多く話し合ってきたつもりです。私たちは壊滅的な打撃を受けました。一時は立ち直りをあきらめかけていた中での移転を喜びたいと思います」
6地区の住民の大半が農家です。所有する農地のほとんどは、災害危険区域となった被災地(移転跡地)の周辺ではなく、内陸部に点在しているといいます。
防災集団移転促進事業は当初、地元自治体に対しては事業費の4分の1の負担が課せられていました。こうした中で、市は早い段階で、なかなか集団移転の方針を明確に打ち出せなかったといいます。また、移転を希望する地区側でも、当初は住民全員の合意が必要とされたことから、6地区のうち2地区が断念する事態が生じたといいます。
「独創的なまちづくりを」と、二野倉区長の小林さん |
二野倉区長の小林喜美雄さん(65)はこう話します。
「集落ごとの開発コストは高くつくので、全地区がまとまれば安くなるのだろうと考えていました。移転先の周辺は過疎が進んでいますが、沿岸部の住民が学校に通うなど慣れ親しんだところです。岩沼発展の礎となった玉浦を無くしたくないな、という思いがありました」
小林さんは60歳の定年まで、会社勤めをしながら農業を続けてきました。しかし、今回の震災は兼業農家を辞めるきっかけになったといいます。流出した農機具を再び買いそろえるのは容易ではないといいます。6地区の中で農業の再開をあきらめる人は少なくなく、農地の売却か、今後に見込まれる大規模圃場組合への委託かの選択に迫られています。
誰がどの区画に住むかを決める「画地」は、すでに昨年12月の段階で地区ごとに終了し、移転住民が個別にハウスメーカーと建築契約の交渉に当たれる状況にあります。画地の選考ではほぼ希望通りとなり、複数応募で抽選となったのは1カ所のみだったといいます。
奥が東側で、既設区画整理事業の保留地「三軒茶屋西」地区と隣接しています |
防災集団移転促進事業では、地元自治体が移転先を整備・所有し、移転希望者が購入または借地を行うことになります。岩沼市では購入する場合にかぎり、面積の制限を設けなかったといいますが、80坪から200坪の範囲に、平均で100坪程度に収まったといいます。借地は100坪まで可能であり、それを超える分は購入となります。
同事業によれば、一方で、宅地の購入・賃借の原資には、岩沼市による移転跡地の買い取りが充当されます。対象となるのは、宅地に加え、宅地に近接する「介在農地」です。今年1月から順次、土地の買取契約が始まっています。買取価格は震災前の鑑定価格を基準に、宅地が80%、介在農地が75%といいます。集団移転では、移転に要する諸費用、新たな住宅ローンに対する利子相当額などを対象に、1世帯当たり最大で786万円の助成も行われています。
現在、まちづくり検討委員会では公共・公益施設の整備方針が検討されていて、2月初旬に市に提言される段取りになっています。同施設の目玉は以下のようなものなどが挙げられています。
調整池は、降雨時に水に浸かる部分とそうでない部分に分ける階段式とし、公園を兼ねるものとします。「貞山運河」の線形をかたどった緑道が幅のある東西方向をつなぎ、沿道には各地区のシンボルを置きます。風雪の強い北側と西側の外周には、「居久根」の植栽が検討されています。
提言を受け、今年度内に詳細設計に入るといいます。この4月から予定される同施設の施工によって、いよいよ、まちづくりは本格化することになります。
一部地盤には、砕石を杭状に深く打ち込む、 地盤強化の工法が採用されました |
今後の検討課題とされているのが、まちづくりのルールとなる都市計画法上の「地区計画」です。建物の外壁の色や屋根の形状をはじめ、隣地との境界で設置される垣や柵の構造などが問われるようです。
「一般的な住宅団地とは違って、住む人がすでに決まっているという、まったくのオーダーメイドのものです。ルールづくりをしっかりと行っていきたい」(市復興整備課)
岩沼市の防災集団移転事業の総工費は、土地の取得費用を含め152億円。すべて、復興交付金と震災復興特別交付税によって賄われています。今後、多少でも懸念されているのが、資器機材の不足による工期の遅れです。
本来なら3年はかかるという地盤処理には、液状化で耐性が実証された「グラベルコンパクションパイル工法」を採用するなどして、工期の大幅な短縮を図ったといいます。
順調に推移すれば、今年11月から各戸で住宅建築が可能となる見込みです。造成地内には国の別予算で災害公営住宅が建設され、今年秋ごろの着工の予定です。
「これまでの造成地にはない独創的なまちを、皆でつくっていきたい」(二野倉区長の小林さん)
「先祖が良いものをつくってくれたと子孫が喜んでくれるような、未来に誇れるまちづくりを目指したい。事業は3年度で終わらせるのではなく、継続性のあるものにしてほしい」(検討委員会の菊地さん)
「せっかくの移転です。若い世代が引っ張っていって、ぜひ栄えていくまちをつくってほしい。また、さまざまな事情から、いったんはよそへ移転した方にしても、いずれ玉浦西に戻ってきてくれることを願っています」(相野釜区長の桜井さん)
新しいまちの実現が待望されています。同時に、今後に続く防災集団移転促進事業のよき手本となることが期待されています。
(取材日 平成25年1月10、19日)