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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年10月29日月曜日

2012年10月29日月曜日20:27
えみです。

最近は朝晩ちょっと冷えますが、日中は秋晴れが続き今日もとても暖かな日でした。
今日は、仙石線で本塩釜駅まで行って来ました。


塩竈市に未曾有の災害をもたらした東日本大震災。
「写真集 塩竈 東日本大震災の記録」を塩竈市の市民団体、「特定非営利活動法人NPOみなとしほがま」が、震災からちょうど1年半目に当たる9月11日に出版しました。




写真集の編集を担当されたのは「みなとしほがま」会員の三浦一泰さんです。
今日は三浦さんに、出版するまでの経緯などのお話を聞いて来ました。

「みなとしほがま」は、塩釜の歴史的建造物の保存活動やボランティアガイドなどの活動を行っている団体です。三浦さんもその一員として、塩竈市に訪れた観光客のまち歩きガイドとして活動しています。






三浦さんのお話です。

県民はもちろんのこと多くの方が塩竈市に訪れます。しかし、時の経過とともにきれいに片付けられた街並みを見て、塩竈市は震災(津波)の被害はなかったのではないか? と思われている方が多くいることが分かりました。
観光ボランティアガイドを行なっているので、震災時のことを聞かれるたびに、訪れた方に震災の情報を正しくお伝えしなくてはいけないという、ガイドとしての使命感がありました。

そのためには、誰でもいつでも見ることができる塩竈市の大震災の被災状況などを記録した写真集を作成し、多くの方が情報を共有できるようにしなくてはいけない、と考えました。

復興とともに塩竈市の街並みもどんどん変わっていくと、震災当時の街の様子も皆さんの記憶から無くなってしまうでしょう。写真を掲載し、記憶として皆さんの心に残さなくてはという思いがありました。

編集は昨年の12月ごろから始めました。市役所などに集められた写真•情報などを使わせていただき、一件一件掲載の了解を得るところから編集作業を行いました。
情報が抜けているところは写真提供の呼び掛けを行ない集めました。これはとても時間がかかる大変な作業でした。






三浦さんはこの編集作業を行なっている間、震災からの時間の経過とともに被災の痕跡がなくなり、またその記憶も薄れてしまう危機感と同時に、編集や出版をすること自体が被災された方に対して失礼ではないかという2つの気持ちがあったそうです。

しかし、2年も過ぎると街並みも変わり記憶からも薄れてしまいます。そこで、タイミングを見計らって震災からちょうど1年半目の9月11日に出版することに決めたそうです。

写真集では、市内を13の地区に分けてそれぞれの地区の歴史や特徴を紹介しています。
そして、津波襲来時の状況やその後の復旧状況などを写真で解説しています。
震災の被害を示し、街並みがどのように変わっていったのかを浮き彫りにしました。
新聞各紙の記事を掲載し、大震災の被災状況も収録しました。






こちらの『写真集 塩竈 東日本大震災の記録』は、塩竈市内の書店の他、
同NPO事務局がある『亀井邸』(022-364-0686)で販売しています。



最後に三浦さんはこうおっしゃいました。

昔から塩竈市は「天然の良港」といわれてきました。今回の大震災で塩竈市は他の港と比べ被災が少なかったといわれています。あらためて、現代においてこの「天然の良港」の意味が再認識できたのではないかと思います。天然の良港・塩竈市を今後復旧•復興させるためにはどういう方向を目指すべきなのか? 塩竈の港としてだけとらえるのではなく、広く宮城県の港として、「天然の良港」の役割として担うべきではないか。そのためには、県内の他の港の被災状況も十分に理解しなくてはならないと思います。


お話を聞いて   ••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••••

写真集を手に取り中身を拝見すると、災害の恐ろしさを再確認するとともに塩竈市の被災状況を鮮明に知ることができました。

多くの方に歴史のある塩竈市の大震災の被災状況を正確に知っていただき、同時に震災前の街の様子を記録として残していくことは、塩竈市民のみならず訪れた観光客にとっても貴重な資料となるでしょう。

「写真集 塩竈 東日本大震災の記録」を出版するまでのお話を聞いて三浦さんのご苦労を知り、また三浦さんご自身が住んでいる塩竈市への愛着•思いが伝わってきました。お話を聞かせていただきありがとうございました。



取材を終えて、塩釜港を右手に見ながら仙石線本塩釜駅までゆっくり歩いて帰りました。
少しずつですが、着実に塩竈市は復旧•復興が進んでいました。

写真集を編集された三浦一泰さんがお勤めしている塩釜商工会議所には
津波が4mまで達したそうです。入り口のドアの横に赤いラインが引いてありました。


マリンゲート塩釜にも津波の到達ラインが引いてありました。




しおがま•みなと復興市場も賑わっていました。

塩釜港の目の前にあるイオンタウン。
震災時は屋上駐車場にたくさんの人々が避難しました。




仙石線、本塩釜駅の通路には、
『幸せを呼ぼう ハンカチ 大漁旗』
全国から心温まるメッセージも書かれていました。







(取材日 平成24年10月22日)