こんにちは。けいこです。
この日は東日本大震災について詠まれた句集「負げねっちゃ」について、制作・編集をされた「方言を語り残そう会」のみなさまにお話を伺いに名取へ向かいました。
「方言を語り残そう会」は2009年に結成され、現在会員は20名。
「方言を語り残そう会」は2009年に結成され、現在会員は20名。
方言を話す方の高齢化が進むためだんだんと方言を耳にする事が少なくなった今、方言で書かれた「名取方言かるた」や民話集を作成するなどの活動を通して、名取の言葉を守り、広め、後世へ繋げていこうとされています。
この日は、代表の金岡律子さんをはじめ、会のメンバーである金岡さんのご主人、清水さん、本郷さん、伊藤さんにお話を伺いました。
取材中は名取の方言が飛び交い、非常に朗らかな雰囲気となりました。
震災後、「負げねっちゃ」を作ろうと思ったきっかけは、名取の方言を後世に伝えたいという思いに加え、この震災の記憶も残していきたいという2つの思いがあったからだという金岡さん。
被災された方々が体験を寄せた句や、「方言を語り残そう会」の方がボランティアで仮設住宅で生活をされている方々に伺った話を元にまとめた句が掲載されています。
ボランティアの方が来れば、どうしても笑顔を向けてしまう。
落ち込んだ表情を周りに見せるわけにもいかない。
そんな張りつめた状況の中、本当の気持ちを、本当の言葉で表現することで、心の中の重荷を少しでも軽くしてほしいという願いもあったそうです。
当初は、自費出版で300部制作されたものの、神奈川県鎌倉市にある出版社「銀の鈴社」から書籍として発行したいという強い希望を受け、全国に広まるようになりました。
「銀の鈴社」では、「負げねっちゃ」に込められた想いを多くの人々に届けることを目的とし、被災地の継続的な産業支援を考えており、その支援の一つとしてこの「負げねっちゃ」の製本を名取市にある工場に依頼しました。
一緒に仕事をすることで、被災された方が前を向き少しでも希望を持って前進していけたら、と考えているようです。
掲載されている句は、震災の恐怖、津波の恐ろしさ、亡くなった家族への思い、避難所での不便な生活などを詠んだ句が多いものの、決してそれだけではありません。
避難生活の中で感じた人と人との繋がり、その温かさ、感謝の気持ち、地元への愛なども綴られ、これからの未来に向けた希望ある句も多く掲載されています。
温かみのある方言で書かれた17文字の奥にある、人々のそれぞれの思いが手に取るように感じられます。
その一部をご紹介します。
『おがちゃん(母ちゃん)は 俺がら離れ 星になる』
『まざらいん(仲間に入りませんか) 誰かれ言わず 大家族』
『閖上よ 泣ぎべそかぐな 恵みの海』
また、今後東日本大震災のような大きな災害がまた起こった時にどのように過ごせばいいのか、どんな気持ちで対応すればいいのかなど、震災に対するノウハウを教え、教訓となるような句も多くあります。
たとえば、
「津波きた てんでに(ばらばらに)逃げろ 高げどごさ(高いところに)」
これには、地震が起きたらあらかじめ家族で決めておいた避難場所に逃げ、とにかく自分の命だけは守るんだ、というような教訓が含まれています。
岩手県釜石市でも、この教訓が生かされ多くの命が助かったという話がありましたね。
この本が出版されたあと、県内だけではなく全国から「ありのままの言葉が心に響いた」という反響が100通以上寄せられたそうです。
他県の方には、なかなか理解しがたい言葉が多くあると思います。
しかし、被災者の心の中の気持ちをストレートに吐き出し、被災された方たちが使っている言葉で書かれていることで、その気持ちがひしひしと伝わったのではないでしょうか。
金岡さんはじめ、会のみなさんはこの反響に驚いていると同時に、とても嬉しいことだと話していました。
名取方言かるたは2011年3月5日に完成。 小学校でこのかるたを使った活動を広めようと考えていた矢先に東日本大震災が発生しました。 |
震災後、「負げねっちゃ」を作ろうと思ったきっかけは、名取の方言を後世に伝えたいという思いに加え、この震災の記憶も残していきたいという2つの思いがあったからだという金岡さん。
被災された方々が体験を寄せた句や、「方言を語り残そう会」の方がボランティアで仮設住宅で生活をされている方々に伺った話を元にまとめた句が掲載されています。
ボランティアの方が来れば、どうしても笑顔を向けてしまう。
落ち込んだ表情を周りに見せるわけにもいかない。
そんな張りつめた状況の中、本当の気持ちを、本当の言葉で表現することで、心の中の重荷を少しでも軽くしてほしいという願いもあったそうです。
当初は、自費出版で300部制作されたものの、神奈川県鎌倉市にある出版社「銀の鈴社」から書籍として発行したいという強い希望を受け、全国に広まるようになりました。
「銀の鈴社」では、「負げねっちゃ」に込められた想いを多くの人々に届けることを目的とし、被災地の継続的な産業支援を考えており、その支援の一つとしてこの「負げねっちゃ」の製本を名取市にある工場に依頼しました。
一緒に仕事をすることで、被災された方が前を向き少しでも希望を持って前進していけたら、と考えているようです。
手のひらに収まるサイズの小さな書籍。 震災について詠んだ135句が掲載されています。 |
掲載されている句は、震災の恐怖、津波の恐ろしさ、亡くなった家族への思い、避難所での不便な生活などを詠んだ句が多いものの、決してそれだけではありません。
避難生活の中で感じた人と人との繋がり、その温かさ、感謝の気持ち、地元への愛なども綴られ、これからの未来に向けた希望ある句も多く掲載されています。
温かみのある方言で書かれた17文字の奥にある、人々のそれぞれの思いが手に取るように感じられます。
その一部をご紹介します。
『おがちゃん(母ちゃん)は 俺がら離れ 星になる』
『まざらいん(仲間に入りませんか) 誰かれ言わず 大家族』
『閖上よ 泣ぎべそかぐな 恵みの海』
『あぎらめねぇ 生まれた町は 捨てらんね』
「負げねっちゃ」に掲載されている句の一部。 |
また、今後東日本大震災のような大きな災害がまた起こった時にどのように過ごせばいいのか、どんな気持ちで対応すればいいのかなど、震災に対するノウハウを教え、教訓となるような句も多くあります。
たとえば、
「津波きた てんでに(ばらばらに)逃げろ 高げどごさ(高いところに)」
これには、地震が起きたらあらかじめ家族で決めておいた避難場所に逃げ、とにかく自分の命だけは守るんだ、というような教訓が含まれています。
岩手県釜石市でも、この教訓が生かされ多くの命が助かったという話がありましたね。
この本が出版されたあと、県内だけではなく全国から「ありのままの言葉が心に響いた」という反響が100通以上寄せられたそうです。
他県の方には、なかなか理解しがたい言葉が多くあると思います。
しかし、被災者の心の中の気持ちをストレートに吐き出し、被災された方たちが使っている言葉で書かれていることで、その気持ちがひしひしと伝わったのではないでしょうか。
金岡さんはじめ、会のみなさんはこの反響に驚いていると同時に、とても嬉しいことだと話していました。
『負げねっちゃ 諦めねっちゃ 生ぎるっちゃ』 方言は心のふるさと (左から清水さん、本郷さん、金岡さん、伊藤さん) |
『負げねっちゃ 諦めねっちゃ 生ぎるっちゃ』
この句は、「負げねっちゃ」を代表する句とも言えます。
復興に向けた思いや諦めずに前に進もうとする力に溢れ、被災された方、また、復興に関わる全ての人々の心に突き刺さります。
受け身になるのではなく前に進んでいこうという意気込みが感じられます。
「方言を使うことは、田舎者で恥ずかしいものだと思っていました」
と、清水さんが仰っていました。
私も、標準語に囲まれた生活が続くとどうしても方言を話すことが恥ずかしくなって、口に出す事をためらっていました。
震災によって町それぞれの魅力に気付く事が多い今、この句集を通して自分たちの源である馴染みの深い「方言」についてもう一度考えてみると同時に、震災の記憶を思い起こし、またいつ来るかわからない大災害への備えを再確認する機会となれば、と強く感じます。
今後は名取の民話を方言でまとめた冊子が完成し、さらに来年2月には震災の詩集をまとめた「生ぎるっちゃ」が発行される予定だそうです。
また、美田園にある仮設集会所で毎月1回朗読会を開催するなど、方言を通じた活動が今後も広がっていきそうです。
(取材日 平成24年10月5日)