「元気でしたか?今年もよろしくお願いします」
笑顔のエステーラさんが迎えてくれました。
18年前、フィリピンから気仙沼の鮮魚店に嫁いだエステーラさん。
くじけそうな時にkaiiが一番会いたい人です。
会うたびに、その笑顔を見るたび、
「この人はなんでこんなに頑張れるのか?どこにこのパワーが秘められているのか?」
そんなことを思わせる人がエステーラさんです。
「今年はね、お正月に東京へ行ってゆっくりしてきたの。お店をしているときにはなかなかできないことだけど、お父さんがプレゼントしてくれました」
行ってきた場所の思い出を楽しくしてくれる彼女の笑顔は、新しい希望に満ちたものでした。
昨年の夏
鰹の水揚げ再開のニュースが流れ始めた頃の彼女は、震災などのストレスで胃潰瘍になり顔に大きな傷跡がありました。
「頑張りすぎ」その言葉を向けると
「そうね~」と笑顔。
なんとも底抜けの明るさです。
「休んでくださいね」そんなことを話し、互いの無謀さを笑いました。
エステーラさんは、市内川口町に工場を構え「海の市」で販売をしていた佐々東商店の若女将です。
なかなか気仙沼では巡り会えない美人さんですが、市場に立っている彼女は長靴・長カッパの水産スタイルで頑張っていました。
震災の津波はそんな彼女の自宅・工場・冷蔵庫・店、全てを壊しました。
大きな揺れに驚きながらも自宅へと戻ろうとしましたが「逃げろ~」の声に従い、無事だったそうです。
再開した日
「生きていて本当によかった」
と抱き合いお互いの頑張り過ぎを笑いまいた。
仕事に復帰した彼女に電話をすると
「市場で鰹を箱つめしていると海水が足元まで迫ってくるんです」
そんなことを教えてくれました。
ここまで頑張れる彼女は、気仙沼の女性の強さの象徴のように私には写ります。
今年2月からまた、自宅のあった川口町で業務再開をするために工場の建設を予定していると話してくれたエステーラさん。
「なんとか今年の鰹のシーズンには、工場を本格的に再開したいです」
今のエステーラさんの目標は?
「まず、仕事をがんばって、また家族みんなで住める家を建てたいです。食べられるだけで幸せ、そう思って夢をもって頑張ります」
日本に来たばかりの頃は、文化の違い、言葉の違いに泣いてばかり暮らしたそうです。
「復興」に向けられている彼女の笑顔は、その大変な時を家族や多くの友達などに支えられて乗り越えたから、そして人間として彼女が持っている強さに基づいているのかもしれません。
「今年は頑張ろう~」と励まされて帰りました。
エステーラさんは、女性として私が尊敬する人です。
彼女の「負けない心」を手本にして
生きていければと思うkaiiでした。
(平成24年1月10日)