「あの日を思うとよく逃げられたな~」と思うよ。
相場美幸さんときょうすけくんに会いに行ってきました。
市内内の脇のアパートで家族4人で暮らしていた美幸さん。
震災の日、市役所へ出かけようかと思いながら、
きょうすけくんが眠そうだったのでお昼寝をさせていて大きな地震に遭いました。
この子を守らなければ・・・そんな思いで、
お昼寝中のきょうすけくんを体で被い揺れの収まるのを待ちました。
揺れが落ち着いて、必要最低限のものを持ち出し、車で山沿いの実家へ向かいました。
途中渋滞に巻き込まれれば大変なことになっていたのですが、
幸い通ったルートがよく、無事に逃げられました。
実家のおじいちゃんとおばあちゃんが、幼稚園へお兄ちゃんを実家へ連れて来てくれました。
実家で子供たちと会いほっとする間もなく
唐桑の旦那さんの実家の家族が心配になりました。
残念なことに、今回の震災で唐桑のお母さんが犠牲になりました。
「お母さんのことを考えると、まだ言葉にならない思いがあるんだ~
旦那がどんな思いでいるのか? とか、
お父さんの辛さのこととかね」
震災から約11カ月。
家族を失った人たちにはこんな行き場のない思いがあります。
無邪気なきょうすけくんの笑顔もそこにあります。
「あのね~救急車だよ~消防車だよ~」
おもちゃを持ってきては、たくさんのお話をしてくれます。
「この子達が彼女のそばにいてくれて、本当によかった~」と思いながら
笑顔のきょうすけくんと遊んできました。
これから、この子どもたちが生きていく中には
私たちが生きてきた中にはなかった困難があると思うけれど
何かこの子どもたちの生きる力になりたいと願ってきました。
「笑顔でね~元気でね~」
子どもたちと自分たちがそれぞれ自分の担う役割を生きていけるように。
数日後、また偶然会ったきょうすけくんが
「あのね~」とお話してくれたことは、子どもらしくとてもかわいいものでした。
元気に、笑顔に、前向きに、そんな思いを話しながらいられる
友達がここにいることをうれしく思います。
自分の生活さえ大変だった頃
「今でこそ笑えるけど・・・」と美幸さんと話したこと。
震災当時、連絡がつかないと、遺体安置所を探しに行ってくれた友達。
警視庁のホームページを探して見つからず「生きていて」の願いを続けてくれた友達。
そんな友達がいることがうれしかったね。
生きることにみんなが精一杯だったあの頃に。
今は、なかなかお互いが忙しくて会えない友達だけど
そんな友達でも
「友達っていいよね~」と話しました。
また会いに来るね~きょうすけくん。
おばちゃんと遊んでね~
(平成24年1月30日)