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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年3月26日土曜日

2016年3月26日土曜日10:03
こんにちはエムです。

東日本大震災のような大きな災害が発生したとき、私たちが飼っているイヌやネコ、ウサギやハムスター、その他の生き物はどのように避難させ、避難生活はどのようにしたらいいのでしょうか。

「公益社団法人 宮城県獣医師会」によると、東日本大震災で犠牲になった動物は、宮城県内で飼育されていた乳牛212頭、肉用牛364頭、豚2,887頭、馬88頭、ブロイラー707,297羽、採卵鶏785,230羽、ミツバチ405群、イヌ約10,000頭、ネコも同じく約10,000匹に上ります。
その中には、動物たちと一緒の避難の方法を事前に知っていれば、もしかしたら犠牲にならずに済んだ命もあったのかもしれません。


「災害時の救護活動に必要なことは、『スピード感行動することよく考える事決断することこれがすごく大事です」

今回お話をお聞きしたのは利府町で開業している獣医師、花園動物病院の中川正裕先生です。
宮城県獣医師会に所属し、東日本大震災発災当時は会の理事を務めていた中川先生は、保護され飼い主の分からない、あるいは飼い主が事情で飼えなくなったイヌ・ネコの保護センターを開設しました。宮城県職員と有志の獣医師会のメンバー、動物病院スタッフや一般のボランティアの連携した管理で運営。1年後に閉所するまでに、ほぼ全員に新しい里親を見つけることに成功したのです。

中川先生はその後も現在に至るまでの5年間、緊急災害時の動物救護と避難、避難生活などについて、その対策を考える活動を継続して行っています。
それは「他で同じような失敗を繰り返してほしくない」
「この大災害を体験したのだから、今後の役に立たないなら意味がない」との思いからなのだと言います。
中川先生は、皆さんに知ってもらえるならと、ココロプレスの取材に応じてくださいました。

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(※ 以降、中川先生の話です)


【大震災が起こって分かったこと】
宮城県獣医師会では以前から、阪神淡路大震災や新潟中越沖地震を教訓として、宮城県沖地震が起こることを想定して学んできました。災害を体験した獣医師の先生を呼んで話を聞いたり、市町村の役場などで一般の方に向けた啓蒙活動もしていたのです。

そして実際に体験することになったのですが、危機管理を担当している総務委員会もあったし、いろいろ話し合って準備は一応していたのに実はあまり機能しなかったのです。
被災の大きさもあるけれど我々の出した結論は、「これまでの活動はあまり役に立たない」でした。災害は規模も、被災したメンバーも、状況も違ってくる。多少の教訓や勉強になっても、次来るものは全く違うものだと分かったんです。被災って全部違うのです。

2011年・避難所での様子

【発災当時の行動】
宮城県では災害が起こったとき、現地に動物救護センター(1次シェルター)が立ち上がる事になっていますが、実際に立ち上がったのは石巻救護センターと岩沼救護センターだけでした。
石巻救護センターは他県からのボランティアの獣医師が立ち上げたものだったので、県や石巻市との連携ができなかったのは、反省すべき教訓があるところですが……。

七ヶ浜と多賀城、塩竈が被害が大きく、僕はすぐに1,000人規模の避難所を回りました。
そこで動物の数と種類を全部調査して、多賀城と七ヶ浜には獣医師を1人づつ担当を当て指導をし、担当の獣医師とスタッフには2、3日ごとに必ず避難所巡回をさせました。自分は全体を見て、必要に応じて指示を出すだけにしていました。

発災した時にはやる気のある人を集め、資金は100~200万あれば多くの命を救えます。でも人材がいてこその話です。組織は迅速に機能しないのが分かりました。

避難所での無料健康相談会

【宮城県被災動物保護センター(2次シェルター)を立ち上げる】
4月に入ってある程度避難所も落ち着いてきた頃、個人的に石巻市救護センターを見に行きました。
すると1カ月たっているのに電気、ガス、水道などのインフラが無い状態の中、保護する動物が100頭、150頭、200頭とどんどん増えていて、さらにボランティアも集まっている。石巻市や宮城県との連携もせずに個人でやっているその状態を見て「本当にこれを長く維持できるのか」心配になりました。
最悪の状況を想定して、ここを引き受けられる規模のシェルターが必要だと考えて2次シェルターを立ち上げたのです。

被災動物保護センター全景

場所は黒川郡富谷町にある「宮城県動物愛護センター」の敷地内に作りました。
当時動物愛護センターは通常業務を停止して、県内の各保健所から動物を受け入れていましたが、職員だけでは手に負えなくなっていた状態でした。そこでその動物たちを、「宮城県獣医師会」として新たに設置した2次シェルターに移し、新たなスタッフによる運営と管理体制のもとにスタートしました。

平成23年7月1日~24年3月11日まで開設しました。
イヌ64頭、ネコ15匹を保護し、イヌ44頭、ネコ7頭を譲渡、飼い主に返還したケースや、老衰で死んでしまった子もいましたが、最終的に残ったイヌ3頭は僕が引き取り、開設1年で閉所することができました。

夜間にイヌを収容する為のビニールハウス

[ビニールハウスの利点]
最初から期限付きで2次シェルターを設置しましたので、役目が終われば潰せるビニールハウスで作りました。普通の農業用のビニールハウスなのでどこでも手に入るし、建築確認もいらないので簡単です。
それにこの設備を、 “他で災害が起こった時にも使える” と言えるように試験的な意味もあって、夏・冬を経験しました。工夫すると夏でも扇風機を1日しか使わずに過ごせましたし、冬も小さなストーブ1台で暖かくできました。結構快適でしたよ。

ハウスは両サイド開きますので風通しは問題ありません。ただ屋根には、救援物資で送られてきたテントのサイドウォールをかけ、冬は毛布をそれぞれのゲージにかけたり、中にもバスタオルを入れました。
周りにある桜の木のおかげで、葉が茂ると直射日光が当たらない場所だったのも幸いしました。場所があれば、木があるところに建てる工夫をするのも大事な点です。

実は神戸では、救護センターの建物を多額の義援金で建てた経緯を僕らは学んで知っていましたが、今はそこで運営することもできないし、必要もないので重荷になっているんです。そのことは我々の教訓となっていました。

ハウスの中。棚は2段にしてゲージを設置。棚は基礎工事用のパネルを
使っています。写真は夏の時期なので扇風機が1台置いてあります

他には設備として「炊事場」「洗濯場」は必要ですし、「事務所用」にスーパーハウスを2棟建てました。
この他に隣接する約300坪の畑を持ち主に借り、他の1次シェルターがパンクした時のために土地を確保しました。そこはハウスは作らずにテントでやるつもりでしたが、来なければドッグランとして活用できます。パンクして受け入れ先が無いという状態は避けたかったので、全てに何か起こった時の保険のように考えて準備をしていました。

今回のケースのように、愛護センターなど既にある施設の敷地に作る利点は、発災直後からそこで収容している間にシェルターを作れることです。さらに同じ環境で継続飼養できることが最大のメリットです。

炊事場

バスタオルやゲージなどを洗う洗濯場

受け入れ対象は、県内全域の保健所経由で愛護センターに連れて来られるイヌ・ネコでした。大事なのは「飼い主がいる」「飼い主がいない」など、素性が分かってなきゃいけないこと。
飼い主がいない子は早めに里親を捜してあげる作業が必要です。

勘違いしてほしくないのは、動物たちはたまにしか顔を見せない飼い主よりも、毎日ご飯をくれて、毎日散歩してくれる人の方がうれしいに決まってるということ。たとえ毎日違う人が来ても、その人たちが来た方がうれしいみたいです。
飼い主が自立できずいつまでも引き取れないないなら、早めに、ちゃんと自立した飼い主に里親になってもらった方が、動物が幸せなんですよ。飼い主の権利と言うけれど、一緒に住めない人は権利主張できないはずです。

そう思っているので、6月の末には譲渡会を大きく開いて飼い主を捜しました。その時は27頭が里親を見つけることができたのです。その後は譲渡会は開かず、希望を受け付けてその都度個別に面談し、マッチングを行い譲渡しました。

昼間は外に設置したテントの下で過ごすイヌたち

寒い冬も経験しました

【スタッフに恵まれる】
2次シェルターの責任者を1人、正式に雇用する形で置こうと考え、面接してお願いして決めました。以前ペットライフアドバイザー的な仕事をしていて、動物看護学校の講師を8年ほど務めた経験を持つ人でしたが、彼女が優秀な逸材だったので、人間関係のトラブルなどの問題は起きませんでした。

彼女をサポートしてくれる存在も必要でしたので、愛護センターで登録されているボランティアの中から状況を見ながら2人を選び、パートとして働いてもらいました。この3人のスタッフの人材に恵まれたおかげでうまくいった部分は大きいと思います。

センター長は僕ですが、当獣医師会の会員に副センター長になってもらい、獣医療関係者も特にシフトなど決めずに入ってもらいました。ボランティアの登録数は88名。愛護センターの職員も積極的に手伝ってくれていましたので、お互いに助かりましたね。
僕自身はあまりボランティアスタッフと接点を持たず、3人のスタッフにほぼ任せていたのが、うまくいったようです。

散歩はボランティアの主な仕事です。ボランティアの少ない日は
愛護センター職員も積極的に手伝ってくれました

【保護期間の線引き】
閉所の日程が決まっていたので飼い主が見つかる期間を逆算して、個人の預かりは2011年12月までとしました

素性をきちっと調べて、飼い主がいる動物は動物病院の院長先生が保証人・後継人となり責任を持つというシステムにし、譲渡先を見つけるなり積極的に関わるというルールを決めていました。
なぜかというと、動物が将来幸せに暮らすにはどうしたら良いかを最優先に考えているからです。

動物って人が手助けしないと生きていけないですよね。だから助けなきゃって思いはありますし、しゃべれない事を理由にそれを都合良いように利用するのは嫌いなんですよ。

避難所で定期的に活動を続ける獣病院関係者

【1次シェルターで起きてしまった問題点を考える〜ボランティアハイ】
この震災で起こったことで教訓としなければならない1つに、ボランティアで入って活動していた人の中にたまに見られる、ある問題があります。

「ボランティアハイ」というものがあって、現在心理学者と研究中なんですが、ボランティアとしてその1つに対してやってることで、自分自身の高揚感が高まることです。
石巻のケースですと、飼い主からも「助かった」と言われて感謝されるし、マスコミなどにも取り上げられて舞い上がってしまい、「最後の1頭までがんばります」なんて言ってしまう。これは問題があって、自分の思い入れが強くなりすぎて間違った方向に走りやすくなってしまうのです。新潟中越沖地震・阪神淡路大震災でも聞いていたことです。

この教訓から、動物病院関係者や市町村職員そして一般の人に至るまで、動物と暮らすということに対して平時から意識を変える必要性があり、それが災害時にもとても役立つのではないかと考えました。

(※ 画像提供:宮城県獣医師会)
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次回では、中川先生を中心に現在取り組んでいる “意識を変える活動” についてお伝えしようと思います。


◆ 公益財団法人 宮城県獣医師会
http://miyaju.jp/

◇ 宮城県動物愛護センター
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/doubutuaigo/

◇ 花園動物病院
宮城郡利府町花園3丁目12-3
電話/022-356-7699

(取材日 平成28年3月3日)