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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年3月15日火曜日

2016年3月15日火曜日9:11
こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から5年がたちました。5年間、世界中からたくさんのご支援をいただきました。あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

私が震災後に、生活や取材活動などを通じて、自分の命を守るために大切だと感じてきたことを前編に続いて話します。

2016年3月11日金曜日
東日本大震災から5年~自分の命を守るために(前編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/5_11.html


東日本大震災から1週間後の
気仙沼市大浦地区の様子


平成23年3月11日午後5時ごろ、避難した中学校の体育館が避難所として開放されました。
私の周りには、親戚や親類、近所から避難した人が集まっていました。
大きな余震と爆発音、火災によって発生した煙が近くまで漂っていることを感じました。
体育館には、大人だけでなく、中学生、近くの高校の高校生も避難していました。

余震が起こるたびに、体育館には悲鳴が響きます。

避難して1時間ほどが過ぎて、中学校に備蓄されていた毛布1枚と乾パン1缶が、高齢者、子ども、子どものいる人、避難している全ての人に順に配られました。

「おっかないね」「まだゆれだ」「火事どごまでもえでんだべ」「家族はどこにいるかな」などと、口々に話しながらの時間が過ぎました。

午後8時を過ぎたころ、避難所から700mほど離れた配食業者さんがおむすびを届けてくださいました。まだ少し温かさの残るおむすびに生きる勇気をもらいました。


配られた小さなおむすびには
温かさが残っていました


ココロプレスの記事(2014年7月23日)困っている人がいれば行動するのが当たり前
http://kokoropress.blogspot.com/2014/07/blog-post_23.html

ココロプレス記事(2014年7月25日)
http://kokoropress.blogspot.com/2014/07/blog-post_25.html


おむすびを食べた後、毛布と叔父からもらった布団を重ね、親戚などと体を寄せ合い横になりました。
体育館の窓からは、延焼する火災が空を赤く焦がす様子が見えました。
「避難所で2週間暮らし、私の運動神経でも安全に帰れるようになったら、いちど家に帰ろう。家族の安否を確認しよう」そう心を決めました。

体育館の中は一晩中どよめいていました。
トイレに頻繁に行く人、外を眺める人、ため息を吐く人、奇声を発する人、濡れて低体温になっている人を中学生が着替えさせ温めている様子などが感じ取れました。

トイレに行く人も、外に行く人も、徘徊する人も他の人が寝ていることに注意を払う余裕などありません。幾度も踏まれ、ぶつかられました。

断水になったトイレには排泄物が溜まっていました。

避難所で一晩を明かし、明るくなってから体育館から外へ出ました。
高台の避難先から見下ろした風景は、昨日の朝まで私たちが生活していた町ではありませんでした。
火災がくすぶり、津波が押し寄せて壊した建物がガレキと名前を変えて横たわっていました。
眼下の風景が、夢なのか現実なのか理解できませんでした。

それでも人々は、そんな町の中を、家族を探すために歩いていました。無数の小さな足跡が泥の上に残っていました。

それから3時間ほどが過ぎてから、私の住んでいる地域から避難所に避難して来た人から、家族が無事であること、近所と我が家に合わせて18人が避難していることなどを教えていただきました。

「18人が避難している。家に帰ろう。今日は無理でも、もう少し状況が分かったら家に帰ろう」
「ここにいる間に、地域の子どもたちの安否を確認しよう。避難している子どもたちの不安を少しでも軽減できるように話し掛けよう」
私は、私自身が挫けずその日を生きるための目標を毎日決めました。

東日本大震災から5年が過ぎた
気仙沼市大浦地区の様子
避難所は2日目から近くの老人施設、障がい者施設などからの避難者が増え、1日目よりも混乱が酷くなっていました。体調を崩す人や高齢者が増えたため、中高生は校舎へ避難場所が移りました。

気仙沼市朝日町には防潮堤の整備が進められています

避難生活3日目の朝、避難者名簿の作成が始まりました。

この日の早朝、同じ場所に避難していたある人の様子の異変に気が付きました。
意識と呼吸、脈拍を確認し、行政職員に申し送っている間に、意識がなくなりました。
その直後、医療チームが到着し、医療支援が始まりました。

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避難所に避難した時、避難所がどんな状況になるのか? 考えたことはありますか。
東日本大震災後、トイレの環境の改善についてはさまざまな取り組みがされています。
しかし、指定避難場所に避難できるとは限りません。女性の皆さん、自身でトイレと排泄の問題に意識を向けてください。

入浴、着替えができない環境、トイレの不衛生、排泄のがまんなどで膀胱炎などの感染症のリスクが高まります。
リスクを減らす工夫を自分ごととして考えてみませんか?

皆さんは、いつも服用する薬を携帯していますか?
向精神薬、アレルギー薬、気管支拡張剤などを服用している皆さんは薬の携帯の仕方を考えていますか?
服用薬を伝えるものを携帯していますか?

ココロプレスで以前紹介した記事(2013年9月25日)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/09/blog-post_1660.html


行政職員の皆さんも、災害時には同じ被災者だと考えられますか?

眼鏡を掛けている皆さん、不特定多数の人が避難する避難所で、仮眠する時、めがねの保管はどうすればいいでしょうか?
コンタクトの皆さんは眼鏡を携帯していますか?
眼鏡を守ることが避難所では意外に大変でした。その方法を考えてみませんか?

アレルギー体質の方、自分のアレルギーについて伝えられるものをもっていますか?

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自身の命を守るためには大切なことは、みんな違います。自分を守るために何ができるのか?
意識がある時、意識喪失の時のシュミレーションも大切だと思います。

東日本大震災を経験し、私は災害に遭遇したら自分の体に名前、連絡先、血液型、アレルギーの有とだけはマジックで書こうと決めています。

意識不明での搬送、遺体となっての発見でも、私と分かる手掛かりがあれば、家族との連絡に役立つと考えているからです。

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私を探してくれた友達は、避難者名簿で消息がつかめなかったため、私を遺体安置所に探しにいったそうです。
遺体安置所で「生きているよ、無事だよ」と知人から情報を得て、遺体と対面することはなかったそうです。その話しを友達から聞いて、手掛かりを残すことの大切さを痛感しました。

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災害発生、避難開始、緊急避難先に到着、緊急避難生活開始。

夏でも低体温症になることがあります。思いがけない事件に巻き込まれることもあります。
自分の命を守るために、自分のストレスを一つも減らすために、自分ごととしてリスクを考え、備えることが「命を守る」ことだと、私は思います。



(続編はこちら)
2016年3月29日火曜日
災害から自分の命を守るために~東日本大震災の記憶~(後編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/blog-post_54.html


(取材日 平成28年3月12日)