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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年3月11日金曜日

2016年3月11日金曜日15:06
こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から5年がたちました。
5年間、世界中からたくさんのご支援をいただきました。
あらためて感謝申し上げます。
ありがとうございました。


私の住んでいる地域は津波と津波火災で壊滅的な被害を受けました
津波で宅地が消えた場所があります
津波の大きなエネルギーを感じる場所です

私が震災後、生活、取材活動などを通じて、自分の命を守るために大切だと感じてきたことをお話しさせていただきます。
皆さんの防災の一助になればと思います。

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私は、平成23年3月11日まで気仙沼市内の水産加工会社に勤務していました。
11日の朝の天気は晴れ。会社までの道を、津波が来て逃げるとしたら、会社から一番近い親戚の所までどのくらいかかるのか? その道順は? そんなことを考えながら歩いていました。

近くのコンビニエンスストアーに寄り、購入したのは、アメ、チョコレート2箱、水、カルボナーラソースの5点。
「これで2人で1週間生きられる」そんな安心感を胸に出勤しました。

通常通り仕事がスタートしました。繁忙期の社内はテンヤワンヤ。
あっという間に時間が流れ、午後2時46分を迎えました。
午後からは小雪が舞い、窓から見える風景がとても寒そうだったことを覚えています。

大きな大きな地鳴りと経験したことのない大地震に、社内には女性たちの悲鳴と物が倒れ崩れる音が響きました。

まず火の始末。身の安全を確保できる場所へ移動、建物はタイル貼りで大きな窓がある、外には出ないほうがいい、自動扉を電源を下ろし手動で開けて・・・・・・

頭の中は冷静そのものでした。

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一度揺れが収まってから屋外へ避難しました。
外に出るとまた大きな揺れが繰り返し襲います。
海の近くに住む私には、帰宅するという選択はありませんでした。

頭の中で幾度も、「高い所へ逃げよう! ばあちゃんがそう言ってた、どうして逃げたらいいか考えよう」と繰り返し、自分の次の行動を落ち着いて考えました。

1.足元を安全な靴に履き替えよう。
2.水と食べ物をバックに入れよう。
3.保温できるように服を着込もう。
4.道順を確認して声掛けして前に進もう。
5.叔母の家から、保温できるように布団をもらおう。
6.近所から来ている同僚を、家族のところに無事に連れて帰ろう。


おばあちゃんは、子どもの私にこんなことを繰り返し語り聞かせ、教えてくれました。

「おっきなじしんきたらな~いっとぎにつなみくんだからな~かわやうみのみずがひいたら、たかいところににげんだぞ~きたりかぶったりして、みずばりもってな。おぢづいでな」

(訳)
大きな地震が起きたら、すぐに津波が起こる。川や海の水がひき始めたらすぐに高い所に逃げなさい。できるだけのものを着て、頭を保護して、水だけを持って。落ち着いて。

祖母は自身の生涯で3度の大きな津波を経験しました。津波から命を守るための教えを、子どもの私に分かりやすい言葉で話してくれていました。

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地震が発生し、大津波警報が発令されて30分後に会社から帰宅指示がありました。

周辺の道は渋滞していました。
ロッカー内にあった着られるだけの洋服を着て、食糧と水、生理用品などをバックに詰めて、徒歩で会社を出ました。
その時、近くを流れている2級河川の水は退いていて、川底が見えていました。
同僚と離れないように確認しながら高台の叔母の家を目指しました。

叔父から布団をもらい、庭を出たところで再び大きな揺れを感じました。
骨折音のような鈍い音と「津波だ早く逃げろ~高いところに逃げろ」という叫び声が聞こえました。

更に高い中学校を目指して坂を登りました。携帯電話の電源を入れワンセグに映し出された映像は、自宅前の海が津波で渦を巻く様子でした。

地震発生が午後2時46分、帰宅指示が3時16分。避難した親戚の家まで7分。
気仙沼湾の津波の第一波到達が地震発生から44分後。
避難して布団を受け取り、高台の中学校へ避難を開始してすぐに、海から1kmほど離れた場所に津波が押し寄せました。

いっしょに中学校へ避難する道を、お年寄りを乗せた車椅子を押して歩いていた女性が、「おばあさんが寒いとかわいそう」と言って車椅子を安全な場所に止めて布団をとりに自宅へ戻り、犠牲になりました。

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皆さんは、自分の勤務先から一番近い避難所までの避難路をご存じですか。
避難所までの道にどんな危険が潜んでいるか考えたことはありますか。

津波で発生した火災は林に飛び火しました

割れたガラスの飛散、建物の倒壊、断線した電線や倒壊した電柱のある道、渋滞した道路。
津波は時速700kmで押し寄せると言われています。避難所まで無事に避難できますか。

家族と連絡を取る手段や集合場所を決めていますか。

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気仙沼の女性たちに、震災当時困ったことを尋ねると、トイレ、携帯の充電、ガソリンの不足、食料、子どものミルクやオムツ、下着などの着替えという答えが返ってきます。

私は取材バックの中に、ペット用シーツとポリ袋、マスクなどを携帯しています
保温、清潔が1つでも多く保てることが避難生活のストレス軽減になります
マジックは、もし自分が死を覚悟しなければならなくなった時に身元を書くために
震災後入れるようになりました

自分の命を守るために、安全に避難する方法、避難後、自分ができる自分の命を守ることを考えてみてはいかがでしょうか。

(続編はこちら)
2016年3月15日火曜日
東日本大震災から5年~自分の命を守るために(中編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/5_15.html

2016年3月29日火曜日
災害から自分の命を守るために~東日本大震災の記憶~(後編)(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2016/03/blog-post_54.html


(取材日 平成28年3月11日)