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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年3月1日火曜日

2016年3月1日火曜日9:51
こんにちは。kaiiです。
東日本大震災からもうすぐ5年になります。
震災を経験した私たちは、「災害時にどう命を守るのか」「その時何が必要なのか」「その後の備え」はなど、時間の経過とともに起こるさまざまな問題や課題に向き合ってきました。

「その時、何が必要なのか」をあらためて考えてみようと思います。
今回はその1回目。

気仙沼市在住でフィリピン人女性の震災の経験を通じて、外国籍の方の避難行動、避難のために何が必要かを考えてみます。
彼女が経験した、震災後の生活再建について、今後の夢も伺いました。



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「私は『ツナミ』がどんなことかよく分かりませんでした」

東日本大震災の経験を話してくれたのは、軍司マリヴィエルさんです。

マリヴィエルさんは、東日本大震災が発生した時、気仙沼市沿岸地域の水産加工会社で仕事をしていました。
来日して18年目、水産加工会社で仕事を始めて3年目のことでした。

マリヴィエルさんは東日本大震災の大地震が発生した時、加工場で仕事をしていました。経験したことのない大きな地震が続きました。

勤務先の人に「津波が来るから逃げろ!」と言われましたが、彼女は「ツナミ」がどういうものか分からず、どうしていいのかよく分かりませんでした。

「とにかく逃げろ!」
車に乗って沿岸の会社から気仙沼市立病院の方向に向かって逃げました。

しかし、会社から直線400mほど車で走った場所で渋滞に巻き込まれて、動けなくなりました。
マリヴィエルさんは近くのアパートの駐車場に駐車しました。
引き返しを繰り返していた津波がどんどん高くなって、車の周りで渦を巻き逃げられなくなりました。


その様子を近くのアパートの2階に避難していた人たちが見ていました。
避難していた人たちは、マリヴィエルさんに逃げるように促しましたが、泳げないマリヴィエルさんは恐怖で動けなくなりました。

押し寄せてくる津波で車が浮き上がりグルグルと回りました。

マリヴィエルさんは、車の外の様子を見て、死を覚悟しました。
避難を促されても、外に出て溺れてしまうより、車内にいれば遺体で発見されても自分だと分わかってもらえると考え、シートベルトを強く締め車内に留まりました。

その後、津波が退いたのを見たアパートに避難していた人たちが、マリヴィエルさんに「逃げて来い」と声を掛けました。
車の後部の窓から車外へ脱出し、ガレキの上を歩いてアパートの近くまで行くと、避難していた人たちが2階に引き上げてくれました。
津波で衣服は濡れましたが、命は助かりました。
翌日、自衛隊にアパートから救助されて、市立病院まで避難しました。

その後、マリヴィエルさんは一時避難した市立病院から中山間地域にある自宅を目指して歩きました。
2時間以上かけて徒歩で自宅に戻りました。家族は全員無事でした。

マリヴィエルさんはその時の様子を、
「ツナミは、自分の方向に向かってくる悪魔にしか感じられませんでした。今でも地震が起きるとパニックになります。怖い」
と話します。

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マリヴィエルさんの東日本大震災の経験をうかがい、外国籍の方の避難について、自分の命を守るために何が必要かを教えていただきました。


マリヴィエルさんは、外国籍の人のための防災教育が必要だと話します。

外国籍の人の中には、「ツナミ」を知らない人います。
災害が起こった時に、自分の命を守るために、情報をどう集めるか、避難所はどこなのかなど居住先で学ぶ機会があればと言います。

また、宗教や文化が違うことなども理解し、自分の命を守るために必要なものは何か、自分の命を守るためにできることなあ何かを自分でも考える必要があるといいます。

また、外国籍の人たちの避難が速やかにできるように、避難所までの道順を示す標識に多言語の表示が必要だと話します。

マリヴィエルさんは、在日外国人は、「恥ずかしい」という気持ちが強いため、なかなか自分の気持ちを日本人に伝えられないと感じています。

外国籍の人たちにも自己努力として、自分の気持ちを日本の人たちに伝えてほしい、上手く伝わらなくても分かり合うことができると話します。

マリヴィエルさんは震災の記憶を辿りながら外国籍の人の避難の難しさを教えてくれました。


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気仙沼市では震災で職を失い帰国した外国人も多く、震災前の平成23年2月末に464人いた外国人が、平成24年7月末で263人と半分近くにまで減りました。
水産加工場の再建には時間がかかることが予測され、再就職が難しいと考えられたことも一因です。


震災後、マリヴィエルさんも水産加工場を解雇されました。
現在は、介護職員として市内の老人介護施設で働いています。

震災後、認定NPO法人「難民支援協会(JARーjapan association refugees)」(東京都新宿区)とLETS WALKなどが外国人が再就職できるよう資格の取得を支援する取り組みを始めました。
気仙沼市では39人の外国人がホームヘルパー2級の資格を取得しました。

マリヴィエルさんは、介護の仕事をすることは、震災の時に命を助けていただいたことへの感謝と、社会への恩返しだと話します。

「私たちは大切な家族(利用者)を預かっています。利用者さんの家族に安心してもらえる介護、家族のように心を込めた介護を心掛けています」
とマリヴィエルさんは話します。


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私たちの震災の記憶は風化し始めています。

あの時をどうして生きたのか。
どんな助けが必要だったのか。
自分の命を守るために何が必要なのか。

震災から5年。災害から命を守るためにもう一度、見つめ直してみてはいかがでしょうか。


(取材日 平成28年2月5日)