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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2016年1月21日木曜日

2016年1月21日木曜日10:41
こんにちは、YMです。
今回は、津波で被災し、避難生活で散り散りになってしまった地区の住民同士をずっと結び続けてきた、ある「新聞」をご紹介します。

■結束力が強かった「西原町内会」
仙台港すぐ近く、仙台市宮城野区中野の「西原地区」。海からは1.5kmほどの距離です。そこに「西原町内会」がありました。みんな昔からの顔なじみ同士で、まとまりのある町内会だったそうです。
しかし津波で地区全体が被災。避難した住民たちは仮設住宅やみなし仮設住宅などに移り住み、バラバラになってしまいました。
そこで今まで築き上げてきたコミュニティを繋ぎ続けるために「西原(にしっぱら)新聞」が誕生しました。

■西原(にしっぱら)新聞
内容は主に、新たに何かを始めたり、仕事を再開したりなど、困難の中から次のステップへ進んだ町内会の人たちの様子や近況を伝えてきました。さらにイベント案内や仮設での生活に役立つ情報、読者からの投稿もあり、情報交換・共有の場としても活躍してきました。

ライター経験など全くなかった町内会の女性たちが記者となり、2011年11月からスタート。ほぼ毎月1回のペースで発行し、現在第48号まであります。

▼西原新聞はここで読めます!

西原新聞を作ってきた編集委員の皆さん

■西原町内会の解散
しかし西原地区は「災害危険区域」に指定されたため、人の居住ができなくなってしまいました。さらに仮設住宅などに入居していた住民の多くが新居に移る見通しが立ったため、西原町内会は2016年3月で解散することになりました。
今まで町内会の人々を繋げてきた西原新聞も「その役目を果たした」として、2月14日に発行される第49号をもって終刊となります。
その最後の編集会議があり、お邪魔してきました。

■最後の編集会議
笑いが起きる楽しい編集会議でした
編集会議は毎月1回行われ、この日も鶴巻一丁目東公園仮設住宅の集会所にみんなが集まりました。
最終号は編集委員、そして町内会を支えてくれた人たちからのメッセージで締めくくろうということになりました。

編集長の下山栄子さんは、
「ここまでよく続いたなと思います。この編集会議が毎月の楽しみでした。会議は30分も掛からずに終わるけど、その後の四方山話が面白いのよ!」
すると「そうなのよね!」と、他の女性たちが大きく頷きました。全員一致で「おしゃべりが楽しかった」と話していました。

——反対に大変だったことは?
「特にないよ!取材と言っても、みんな顔なじみだったから、気軽に行って、しゃべっていましたね」

——今後について。
「解散するのは寂しい部分もあるけど、これからもみんなで定期的に集まるつもりです」
するとまた「どこに集まろうか?」「じゃあ下山さんの新しい家に集まるわ~!」と話が続き、笑いと会話が絶えないアフタートークでした。

下山さんはこの編集会議のちょうど1カ月前に、ようやく仮設住宅を出て、新居での生活を始めたばかり。他の皆さんも新居が完成し、それぞれ新天地で新たな生活を送っています。西原地区の人たちは集団移転のため、「近所に顔見知りがたくさんいるので寂しくないよ」と皆さん話していました。

■裏で支えてきた人たち
女性たちで作ってきたとご紹介しましたが、会議では男性が2人参加していますね。
この2人は事務局として、発足からずっと支えてきた佐藤研さん(写真右)と、大学生の矢部優さんです。

「地域に根差した活動をする」というスローガンを持った会社に所属していた佐藤さんは、当初は仮設住宅での支援を目的に「何かできることはないか」と相談したところ、「住宅の支援というよりも、バラバラになった町内会全体のまとまりを作ることが課題だ」という話を聞き、それで「新聞作りをしよう」ということになりました。
「震災後は住民同士で気軽に集まることが難しくなったので、この新聞はそれを補うための役割を果たしたと思っています。発行も”月1ペースでモノクロ印刷”という無理のない範囲でやってきたので、続けられたのかなと思います」

——大変だったことは?
「ネタ探しですね。私がネタを出し、それをみんなで分担して取材してもらいました」

このことについて、編集長・下山さんは「佐藤さんがテーマを考えてきてくれたから、私たちもスムーズにやることができました。経験のない私たちだけでネタまで考えるなんて、できなかったでしょうね。佐藤さんや他のメンバーが頑張ってくれたから、ここまでやってこれたんだと思います」と話していました。


一方、東北大学に通う矢部さんは、北海道出身で、大学入学を期に宮城県へ来たため、西原地区との繋がりは全くありませんでした。まちづくりに関わるサークルに入り、そこで佐藤さんから誘いを受けて、2012年から大学生活の3年間ずっとこの新聞作りに参加してきました。矢部さんは、提出された手書き原稿の文字起こしを主に担当してきました。
「みんな親戚のようで、会議というよりは、なんだか実家に帰ってきたような感じでした。ここに来るのが楽しみだったので、無くなるのが寂しいです」と残念そうでした。

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余談になりますが、こちらは元・西原集会所にあった表札です。津波で流され、数日後にがれきの中からこの表札だけ見つかりました。現在はここの集会所に置かれています。
表札の話は新聞の第1号に載っています。「いつか生まれ変わった西原集会所に掲げたい」と書かれていますが、それが実現できなくなってしまったのが残念に思います。この表札も移転先を検討中です。
【2/1追記】表札は西原町内会最後の総会の会場となった「宮城野区高砂市民センター」に寄贈されました。

(取材日 平成27年12月13日)