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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年12月27日日曜日

2015年12月27日日曜日9:03
こんにちはエムです。

先日お届けした[前編]では、東日本大震災で被災し「自力再建」が進む名取市小塚原北地区の被災当時の状況や苦労などを紹介しました。
この回では、さらに力強い再建を進めるため、皆さんがどんなことを行ってきたのかをご紹介します。

前回の記事===============
2015年12月23日 水曜日
ふるさと再生~自立再建地区の取り組み[前編](名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/12/blog-post_23.html
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お話は[前編]と同じく、小塚原北地区の前町内会長の三浦利昭さん、現町内会長の引地誠一さん、レクダンス「小塚原すみれ会」指導員の伊東京子さんの3人です。

左から三浦利昭さん、引地誠一さん、伊東京子さん

再建へ向けての取り組み 「小塚原北集会所」完成  

三浦
「当時、一番最初に部落の要望として市に懇願したのは、みんなが集まって会合をできる場所を作ってほしいということでした。
プレハブでも良いからなんとかしてくださいと頼んでいたところ、国からの復興支援金をいただけることができ、この集会所を建てることができました。
2013年3月に完成しましたが、そのときの地域の皆さん喜びは、本当に言葉で言い表せないくらいでした」

小塚原北集会所があるのは震災前にも集会所のあった場所。
地域の氏神様「熊野神社」の敷地内です

引地
「全ての拠点はここなんです。ここが無かったら人が集まれる場所が無いので、立ち直りは遅かったでしょうね。そういった意味でもとても重要な場所でした」

集会所では婦人部や老人クラブ、消防団などの会合の他、「収穫祭」などの季節の行事や、時には「飲み会」などもして、日頃言いたいことを話せる場にもなっているとのことです。

2015年11月2日「収穫祭」(画像提供:名取復興支援協会)

また伊東さんは、この地域で約15年前から指導していたレクダンスを再開させました。

レクダンスとは「レクリエーションダンス」の略で、公益財団法人日本フォークダンス連盟が、ダンスを通してレクレーション運動を普及することを目的に提唱しているものです。
流行の歌や民謡などに合わせて踊る創作ダンスのため、伝統にとらわれず踊れる楽しみがあり、全国的に愛好者が増えています。

伊東
「震災後は私自身、気持ちの切り替えがなかなかできず、不安とイライラとで不安定な精神状態の日が多かったんです。
心の病になっている人もいましたし、今もそうです。
それを防ぐには、嫌なことを忘れさせてくれる楽しいひとときが必要だと考え、レクダンスを再開しようと決心したんです。

レクダンスは自分のお気に入りの曲に振り付けしてみんなで踊れますので楽しいですし、筋トレとダンスをベースにした健康管理にもなります。
被災者同士の仲間意識が強くなり、凍り付いた心と体が少しづつ変わって、元気になっていく姿が見られたのはとてもうれしかったです」

集会所はレクダンスを練習する場所にもなっています
(画像提供:名取復興支援協会)

引地
「私は歌や踊りで立ち直る気持ちなど与えられるのか……と、正直疑問視してたんですけど、“歌と踊りでも勇気付け、立ち直らせる力があるものだ” と初めて感じました」

三浦
「勇気づけられたね……いつも心癒されていたね。その踊っている元気な姿を見ると、みんなも元気もらうから」

それまで舞台に立って人前で何かやるなど考えられなかった小塚原の女性たちは、今や名取市市民会館の大ホールや、仙台空港でのイベントなどで堂々と踊りを披露するほどになりました。
レクダンスは踊る本人だけではなく、同じ地域の男性や多くの住民の方々に希望や勇気を与えると同時に、心身のケアにもなっていると伊東さんは確信しています。

閖上小学校で行われたイベント「ありがとう閖上小学校」でもレクダンスを披露しました
(撮影:2015年10月12日)

引地
「この小塚原北地区は、震災前に組織していた団体は全部復活したんですよ」

先述した婦人部や老人クラブ、消防団、レクダンスのすみれ会の他、農業関係や神社を祀っている組織など、全部で8種の団体があるのだそうです。
人口が減少していることもあり、1人でいくつかの組織に関わる人もいるそうですが、それが逆に幸いし、各種の会合を重ねるたびに結びつきが強くなっていると皆さんは感じています。

「こうやって集まることが元気の源ですね。
集会所では他に、毎週何かのイベントをやるよう企画しています。興味があることに参加してもらうことによって知り合いができ、そこで人と人がつながり、あの人に会いたいからまた行こうという気持ちになるんですよ。
こんな活動の積み重ねで将来のこともみんなで考える土壌ができ、まとまりがある集落に再生したと思います」

震災直後から何度も小塚原北地区を訪れ、みなさんに元気を与えてくれている
「カナ&ゴロー」の2人。新しい集会所にも来てくれました
(2013年7月24日 画像提供:名取復興支援協会)

笑いは元気の元!ですね(画像提供:名取復興支援協会)

また、小塚原北・南地区や隣の牛野地区の自力再建地区の生活再建や、コミュニティ再生には、一般社団法人 名取復興支援協会が協力しており、地域にとって大きな存在になっています。
名取復興支援協会の理事、太田幸男さんは震災を振り返り言いました。

「日本人は過去にも幾多の天災を乗り越えて、子孫をつなぎ繁栄してきました。
その原点は何かと考えたとき、それはコミュニティの再生能力とふるさとへの思いです。
震災を経験して私はそれを学びました」

太田さんは震災後、支援物資の提供やイベントなどの支援を考えていた団体や個人を名取市の地域と結びつける活動などをしてきました。
現在も事ある度に足を運び、2015年夏には音響機器などを集会所へ寄付する橋渡しをするなど、役所ではできない角度から、地域復興の活性化に尽力しています。

名取復興支援協会・前回の記事
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2015年1月27日 火曜日
復興は支援者と手をつなぎ~名取復興支援協会〜その3(名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/01/3.html
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前列右が太田幸男さん
2012年6月24日/カナ&ゴロー初めての訪問画像提供:名取復興支援協会)


[現在抱える問題とは]

このような取り組みで地域が活性化し、再建が順調に進んでいるように見えますが、実は深刻な問題も抱えています。

代々農業を営んでいた地域住民は、大震災の津波によって農業(主に稲作)に必要な機械や設備を全て失いました。農業を続けるために必要なそれらをそろえることは、経済的な問題や高齢化などの問題から、もはや個人では不可能な状況になってしまったのです。

そのため現在は、国が進める圃場整備事業の支援を受け、中間管理機構である公益社団法人 みやぎ農業振興公社を通して農地を集積・集約化。面積の広い水田を作り、集団で栽培する仕組みを取り入れました。
小塚原北地区では2014年10月に地元有志が農事組合法人「ファーム閖上」を設立し、みやぎ農業振興公社から農地を委託される形で稲作を再開させました。

土地所有者は農地をみやぎ農業振興公社に賃貸し賃貸料を受け取ります。
ファーム閖上は地域の農地をまとめて管理・栽培を任されますが、農繁期には土地所有者などを雇用する計画があり、これは農家の存続が危ぶまれる地域にとっては画期的な対策になっています。

新たな問題とは、働く場所が無くなり、それに伴い収入も得られない人が大勢いることだと三浦さんは心配します。

三浦
「若い人は外で働けますが、どこでも働けない高齢者の収入はほとんど、わずかな年金とわずかな賃貸料だけですので、本当に苦しくなるのはこれから。だから非常に不安を持っているわけなんです。
今までも充分な収入ではなかったけれど、とにかく働く農地があったし、定年も無いのでみんななんとか元気にやってきましたが、何もやることが無くなると、これからは行く場所は病院だけになってしまうかもしれない」

伊東
「それに体力の無くなった人や病気の人は、自分の家でやるのであれば体力に合わせてできますが、組織の中でやるのはそれはできませんよね。
『仕事が無いってことはこんなに辛いことなのだな』という言葉が耳に入ってきます。
そういった大変な問題がまだまだ残されています。
震災の傷跡っていうのは一生続くのかな……と思います」

引地
「でも、それでもなんとかかんとか、何しても生きていかねばならないんです。
生活基盤は変わりますけど、自営業が労働力を売るような形に変えていくしかない。農繁期の作業や、温室での花の摘み取り、そういったことをやりながら『なんとかしなくちゃ』って頑張ってる最中なんです。
直売所を作って野菜を売る、などの案も出てきていますよ」

震災後、64世帯から42世帯に減った小塚原北地区ですが、皆さんの温かな心と前を向こうとする団結力には、たくさん教えられることがありました。
こうした皆さんが住む場所、それこそが “ふるさと” なのだと感じました。

「みんなとにかく笑顔で頑張っています!」

2013年春、この辺では確認されていなかったハクチョウが初めて飛来しました。北へ帰る途中だったのでしょう。数百羽のハクチョウが降り立ち羽を休める姿に、住民の皆さんは感動したのだそうです。
ハクチョウのために1枚の田んぼは田植えを遅らせ、水を入れてハクチョウを飛び立たせました。


今年もなぜか1羽が飛来していました

「この地区のみんなの気持ちの温かさを象徴するエピソードなんです」

最後に伊東さんは笑顔で話してくれました。

(取材日 平成27年11月18日)