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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年12月23日水曜日

2015年12月23日水曜日8:05
こんにちはエムです。

東日本大震災から、もうすぐ5年を迎えようとしています。
今回は「自力再建」が進む、名取市小塚原北地区の現状をお届けしようと思います。

「自力再建」とは、震災で半壊や全壊した自宅を修理、または新築して居住することで、国が所有者から土地を買い上げる移転事業や、災害公営住宅(復興住宅)の入居の対象になっていない世帯を言います。
自力再建の対象世帯でも、1世帯あたり最大300万円の支援金が受けられますが、経済的な理由で自力再建を諦めざるをえない住民もあり、自力再建の地区では若年層などの人口の流出と高齢化が新たな問題にもなっています。


大震災での被害と自力再建地区の当時の状況

仙台東部道路の東に位置する名取市小塚原北地区は、甚大な被害があった沿岸の町「閖上」 から約2キロメートル内陸に位置する、穏やかな暮らしの残る農村です。

2011年3月11日、東日本大震災で発生した大津波は、東部道路が陸の防波堤になり、それより西の内陸には大きな被害はもたらしませんでした。
しかし同時に、東部道路まで押し寄せた想像を絶する大量の瓦礫もまた、そこで止まったのです。

仙台東部道路で津波は止まりました(画像提供:名取復興支援協会)

現在の東部道路。小塚原地区側から撮影

この地区では住民のほとんどが農家を営み、カーネーションなどを育てる花卉(かき)栽培農家や、水田単作の農家でした。特に名取市のカーネーションの生産量では東北一を誇っています。
兼業農家も多く、経済的には楽ではないながらも穏やかな暮らしを続けていました。

広がる水田と集落。民家が肩を寄せて暮らす昔ながらの日本の農村の風景は、大津波の襲来とともに一転、変わってしまったのです。

(画像提供:名取復興支援協会)

約3メートルの津波による浸水と、押し寄せた大量の瓦礫のためにほとんどの家が半壊や全壊の被害がありました。

「逃げた人もいたが、家に残っていた人もいました。
床上約2メートルの浸水があり、かろうじて2階に上がって助かりましたが、そこに火のついた家が流れてきたりボンベが爆発したり、船もくるくる回りながら流れて来た。その時は死を覚悟しました」

「家は潰れたり壊れたり壁に穴が開いたりしました。瓦礫とヘドロで土も見えない……そこからの立ち上げでした」

「思い出すのも嫌だね。あの頃は頭がおかしくなった。
それにいろんな瓦礫で地面が埋もれていて、農地の復旧や復耕ができるのか非常に不安でした。再び農業やれるかどうかみんな疑問を持った」

(画像提供:名取復興支援協会)

当時の様子を話してくださったのは、小塚原北地区の前町内会長の三浦利昭さん、現町内会長の引地誠一さん、レクダンス「小塚原すみれ会」指導員の伊東京子さんの3人です。

震災当時の映像として私たちが覚えているのは、国内外から届いたたくさんの支援物資が配られている場面です。
ですが実は、自力再建者には、支援物資や食料がほとんど届きませんでした。

小塚原北、前町内会長の三浦利昭さん。2013年3月まで務めました
三浦
「自力再建者にはほとんど支援がなかったので、本当は一番苦労したんです。

実際、食べ物には困っていました。
ミソ・お米・梅干しなど、お互いに残っているものを分け合いながらなんとかやっていましたが大変でした。
農家の人っていうのは辛抱強くて控えめな人が多いもんですから、『あれ欲しいこれ欲しい』って言わないんです。そして自分のことは自分でしようとするんですよ」

そんな中、支援物資を届けてくれる人も現れました。
一般社団法人 名取復興支援協会の太田幸男さんです。

引地
「小塚原北・小塚原南・牛野地区の被害が大きかったところに、『ここは何人いますか』と言って、がんばって物資を集めてくれました。
そして荷物をまとめて持って来て配ってもらった。太田さんには随分助けてもらいました」

2014年4月から町内会長を務めている引地誠一さんと
レクダンス指導員の伊東京子さん
瓦礫撤去には全国から大勢のボランティアの人たちが助けに来てくれました。

三浦
「ボランティアの方たちには本当にお世話になりました。
体惜しみなく頑張って一生懸命やってもらいました。縁の下に入ってヘドロ取ってもらったり、地域のほとんどの人がお世話になりました。
ボランティアの方には、もし何かあったら恩返しする……その気持ちは持っています。本当にお世話になりました。

そして私たちも泥だらけになりながらみんなでがんばって瓦礫を片付けたのです。『復興のためにガンバッペ!』という気持ちでした。
あの時の気持ちがあったからなおさら、みんなの気持ちが強い絆になってるんじゃないかな……と思ってるね」

しかし一番力強く感じたのは、地元女性の団結力だったと引地さんは言います。

引地
「男はこれからどうしようかと議論はするけれど、なかなか行動まで結びつかないものなんですね。ところがここの婦人部の人たちの団結力はすごいです。
何かやるとなると、先頭に立ってまとめてくれた。
前会長の奥さん、踊りの京子さん、婦人部の会長、この山の神の会長などが一気に集まったんです。
我々はそれを見て、すごい力になりました」

伊東
「やっぱり殿方に元気になってもらわないと。
縁の下の柄を支えるのは女性です。女性が支えれば殿方は一生懸命働いてくれるのかなと思いますよ」


このような経過を経て、少しづつ気持ちを立て直しながら前を向こうと頑張ってきた小塚原北地区の皆さん。

[後編]では、さらにたくさんの活動を通して、地域住民をまとめてきた様子を紹介します。その様子は、大災害後のコミュニティ再生の方法として見本となるのではないかと思います。
どうぞお楽しみに。


2015年12月27日 日曜日
ふるさと再生~自立再建地区の取り組み[後編](名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/12/blog-post_85.html


(取材日 平成25年11月18日)