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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年12月18日金曜日

2015年12月18日金曜日8:11
石野葉穂香です。

11月25日、南三陸町に新しい病院が完成し、その落成式が行われました。

新しい病院の名前は「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」。
病院としての機能のほかに、地域の保健や福祉といった行政サービスの拠点も加えられた施設として誕生しました。

病院が建てられた場所は、南三陸町志津川の沼田地区。
防災集団移転事業における「東地区」と呼ばれるエリアです。
南三陸町役場、南三陸町総合体育館「ベイサイドアリーナ」の近くで、やや高台に位置します。

このエリアでは、現在、戸数265戸の災害公営住宅の建設も進められていて、平成28年度から29年度中に入居可能となる見込みです。
また、町役場の新しい庁舎も建設される予定です。

やがては志津川地区の新しい中心地となっていくかもしれません。

病院とケアセンターの建物は、鉄筋一部鉄骨の3階建て。ひとつ屋根の下に同居します。
延べ床面積は1万2270㎡。
俗な比較で恐縮ですが・・・。東京ドームのグラウンド部分(1万3000㎡)よりひとまわり小さいほどです(あくまでも延べ床面積ですが)。

建設費は55億8000万円で、国や宮城県はもちろん、日本赤十字や台湾紅十字(日本でいう赤十字)など、内外から寄せられた多くの支援によって建てられました。

落成式は、午後1時30分から、新しい施設の正面玄関前で行われました。
また、テープカットに先だって、病院建設に対して22億円もの資金を支出してくれた台湾紅十字の支援への感謝の気持ちを表す記念碑の除幕式もありました。

病院建設のために大きな支援をいただいた
台湾紅十字組織の王清峰会長と佐藤仁町長
オープニングは、志津川地区で活躍する「大森創作太鼓」の演奏。
そして、町長や紅十字組織会長、イスラエル駐日大使ら11名によってテープカットが行われました。

このあと、総合ケアセンター大会議室に会場を移して、落成記念式典です。
まず、佐藤仁町長の式辞です。

「あの日も、たいへん寒い日でした。・・・押し寄せた津波で、公立志津川病院が飲み込まれる様子を目の当たりにしました。生涯忘れることのできない光景です。」

佐藤仁町長は、あの日、公立志津川病院にほど近い町役場敷地内にあった「防災対策庁舎」の、高さ約12mの屋上にいました。
津波は庁舎をも飲み込み、屋上にいた町長も津波に流されて、屋上のフェンスに引っかかるようにして助かったのでした。

4階まで津波が襲った病院にいて助かった人たちと「大丈夫かぁ?」「がんばれよ」と声を掛け合い、未曾有の大津波と、凍えるような寒さの一夜から生還しました。
落成式式典で挨拶する佐藤仁町長
「あの日から4年8カ月。・・・感無量・・・」言葉が一瞬、途絶えてしまいました。
「感慨、ひとしおであります」

「・・・(中略)この新しい施設が町民の皆様に親しまれ、愛される建物となりますよう、南三陸町を応援してくださる全国、世界中の皆様への感謝を忘れず運営してまいります。(中略)先人が残してきた貴重な海と山からの恵みに感謝しつつ、町の産業を再生し自然と共生するなりわいとにぎわいのまちづくりを進めてまいります。」
と式辞を述べました。


ルツ・カハノフイスラエル駐日大使

南三陸町から贈られた記念品は感謝の大漁旗でした

来賓祝辞のあとは、病院の建設や、町の医療の維持に力を尽くしてくれた関係機関への感謝状の贈呈も行われました。

式典のあとは内覧会です。
建物の内装には、南三陸産の杉が使われていて、木の香りがふわりと漂います。

木の床が温かい印象の病院エントランス
診療科は内科、外科、小児科、眼科、耳鼻科、歯科口腔外科、皮膚科、婦人科、整形外科、泌尿器科の10科。かつての公立志津川病院と同じです。
ただ、病床(入院ベッド)の数は、人口減を見越して、震災前より36床少ない90床となりました。

くつろげそうなフォローリングの談話室(2階)
志津川湾が見える病室もあります
吹き抜けのホールは「みなさん通り」という名称
 保健福祉分野の拠点となる総合ケアセンターには、保健センター、地域包括支援センター、子育て支援センター、障害者地域活動センターなどの機能が集約され、社会福祉協議会も入居。
被災者支援係、社会福祉係、子ども家庭係などの窓口もできました。

住民の健康づくりと福祉政策を進める行政としての効果的な体制は「「地域包括ケアシステム」と呼ばれています。
宮城県では涌谷町がトップランナーとされ、同町では昭和63年(1988)に「町民医療福祉センター」を開設し、このシステムづくりをスタートさせました。
保健福祉課事務室。長いカウンターに窓口が並びました
まず、健康づくりや生きがいづくり、食生活などを指導、推進、提唱して、病気にならない身体づくり(病気やケガの予防)を目指す「保健」。

万が一、病気になってしまったときに診察を受けることができる「医療」。

そして、老人福祉や在宅ケア、さらなる健康と生きがいづくり、障害者の支援などを行う「福祉」。

この「保健」「医療」「福祉」が、従来ありがちだった縦割りではなく、横の連携もありながら有効的かつ効率的にサービスの提供を行うシステム。

それが「地域包括ケアシステム」です。


南三陸町は、平成17年、旧歌津町と旧志津川町が合併して誕生。今年、平成27年、合併から10周年を迎えました。
合併後、様々な行政サービスが本格化されようとしていた矢先、東日本大震災が発生し、地域包括ケアシステムもまた、ベースとなる施設ばかりでなく、人材や経験なども失われてしまい、4年以上も「足踏み」するような状態が続いていました。

それだけに、この「南三陸病院・総合ケアセンター南三陸」に寄せられる期待には大きなものがあります。

福祉施策は「一人ひとりの人間ありき」という考えを基本に、行政と住民がともに築き上げていくもの。

祝賀演奏で合唱を披露した志津川小学校4年生の皆さん。
彼らの笑顔がいつまでも輝き続けますように
町まかせでもダメです。
また、一人の努力にも限界や予期せぬアクシデントが発生したりするかもしれません。

行政と住民が、あるいは住民同士が、支えて支え合ってこその「福祉のまち」づくり。

病院とセンターは、そんな「まちづくり」推進の中心となっていくはず。

まちの復興を大きく支える施設。
12月14日、ついに開設・スタート。

16日からは外来受付も始まっています。

(取材日 平成27年11月25日)