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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年10月1日木曜日

2015年10月1日木曜日8:00
こんにちは。kaiiです。
東日本大震災の後、広島県、岡山県、大阪府の人たちで結成された「チーム気仙沼」の人たちが、気仙沼市の少年野球チームに支援金と「広島風お好み焼き」を届けるため、気仙沼市を訪れました。

中国地方、関西地方から気仙沼に駆けつけた
「チーム気仙沼」のメンバー
チーム気仙沼のメンバー瀬尾法行(せのお のりゆき)さんは、息子の康平さんの遺志を継いで東日本大震災被災地気仙沼市へ通い始めて4年目になります。

東日本大震災の支援活動をしていた瀬尾康平さん
(写真提供:瀬尾法行さん)
息子の康平さんは、東日本大震災が発生した当時、オーストラリアにホームスティ中でした。

オーストラリアに留学していた頃の瀬尾康平さん
(写真提供:瀬尾法行さん)

ホームスティ先で日本で大震災が発生したことを知った康平さんは、帰国後、大学の仲間と共に被災地への支援活動を開始しました。

東日本大震災の支援活動をしていた頃の瀬尾康平さんと友人の皆さん
(写真提供:瀬尾法行さん)
精力的に仲間と活動していた康平さんは、平成23年7月21日、呼吸器系の病気で突然亡くなりました。大学3年生でした。

高校時代康平さんは高校球児として甲子園を目指していました
父親の瀬尾法行さんは、康平さんとの突然の別れを受け入れることができませんでした。


SNSを通じて、広島県から気仙沼市の野球少年たちに支援を続けていた山田一雄さんと出会い、野球が好きだった康平さんの遺志を継いで「チーム気仙沼」としての活動を開始しました。

「チーム気仙沼」の監督山田一雄さんは
平成26年8月に起った「広島豪雨災害の一周年の法要を終えてすぐ気仙沼市へ駆けつけました

東日本大震災から4年5カ月、広島県の豪雨災害から1年が過ぎた、平成27年8月22日、「チーム気仙沼」のメンバーが、気仙沼リトルシニア野球チームのために「広島風お好み焼き」を焼く姿がありました。

広島県が原爆から復興する時の復興食として
「広島風お好み焼き」は定着しました

「チーム気仙沼」から励ましを受ける
気仙沼リトルシニア野球チームの皆さん

瀬尾さんは、今年も康平さんの遺志を継いで、東日本大震災被災地、気仙沼市でボランティア活動を続けています。

息子康平さんの意志をついで被災地支援を続ける瀬尾法行さん
「『支援』なんておこがましいことではなくて、康平と一緒に、気仙沼の心友(しんゆう)たちに会いにきて皆さんの笑顔に会えるのが幸せなんですよ」

康平の母校岡山学芸館高校野球部が平成27年夏の甲子園へ出場しました
瀬尾さんは奥さんと康平さんのユニフォームを着て応援しました。
(写真提供:瀬尾法行さん)
「今年は康平の母校岡山学芸館高校野球部が甲子園に出場しました。奥さんと康平のユニホームを着て応援したけど残念ながら一回戦敗退でした。野球をする少年たちの憧れの甲子園球場」

気仙沼リトルシニア野球チームのメンバーを励ます瀬尾さん
「気仙沼リトルシニア野球チームのOBも今年は、岩手県代表として甲子園に出場しました。気仙沼の子ども達には震災に負けず、甲子園への夢を持ち続けてほしいです」

瀬尾さんは、仲間たちと一緒に、「広島風お好み焼き」200枚を焼き、野球少年たちや「チーム気仙沼」の皆さんが焼くお好み焼きを毎年楽しみにしているという市民たちに振る舞いました。

広島風お好み焼きの作り方を学ぶ
気仙沼リトルシニア野球チームの保護者たち
「チーム気仙沼」の皆さんが焼くお好み焼きを食べた、60代の女性は、「自分では作れないから、毎年皆さんが来てくれるのを楽しみにしています。」
「広島風お好み焼きが、原爆を投下された広島の戦後の復興食だということを初めて知りました。去年は広島県の人たちが豪雨災害で大変な思いをしたのに、今年もこうして気仙沼に来てくれたことがとてもうれしいです」と話していました。


(取材日 平成27年8月22日)