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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年8月14日金曜日

2015年8月14日金曜日19:39
石野葉穂香です。

2年前の5月、ギターケースを担いで志津川の国道を歩いている男性を見掛け、声掛けさせていただいて、お話を伺ったことがあります。

そのときの記事がこちらです。

2013年5月13日(月曜日)
「514万歩の『歌い旅』 (南三陸町志津川)」
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/05/514.html

男性は、歌手の「むらなが吟」さん。
本記事では「吟さん」と書かせていただきます。

吟さんは、2013年の春~夏、北海道宗谷岬から鹿児島県佐多田岬まで、3600㎞を徒歩で旅をしました。
2013年3月11日。北海道宗谷岬
「あの日」からちょうど2年後のこの日、吟さんの「日本縦断 徒歩 歌い旅」がスタートしました
日本最北端の地は、「あの日」もこんな景色だったのでしょうか?
雪と風の中、宗谷岬をスタート。午前9時でした
途中でミニライブやコンサートを開いて、東日本大震災の被災地をはじめ、全国で、たくさんの人たちと出会い、歌と言葉でエールを交わし、そして8月18日、無事に佐多岬にゴールしました。
2013年8月18日。本土の最南端である鹿児島県大隅半島の佐多岬。
161日間、歩数にして約514万歩の「徒歩の旅」は終わりましたが、
このあと船で沖縄へ渡り、波照間島まで「歌い旅」は続きました
その吟さんが、7月17日、南三陸町へ帰ってきてくださいました。
「おおもり食堂で飲み会を開きます!」というご案内をいただき、私、石野も吟さんに会いに行ってまいりました。
以下、飲み会のレポートです(笑)。

吟さんは、前日、仙台でライブを開催。そしてこの日は「あの日(2年前の5月7日)、会ったメンバーにもう一度会いたくて、南三陸にやって来ました」とのこと。
「マスター、これ、チューニング合ってないよ(笑)」
おおもり食堂のギターを弾く吟さん
2年前は「おおもり食堂」でミニライブが行われたのでしたが、そのときも、ライブというよりもほぼ飲み会。
5時間のミニライブで歌われたのは6曲というのんびりライブ。

そして、この日は、初めから「飲み会」です。

吟さんにとって懐かしい顔が並んだテーブル。
「今日は楽しい!」と、南三陸の海の幸をいただきながら、「514万歩の歌い旅」のこと、被災地の今についてなどをお話しくださいました。
2年前のメンバーに新しい顔も加わって、
志津川湾の海鮮でお酒を楽しみました。
「オレ、ホヤは苦手なんだよ~」と言っていた吟さんでしたが
一口食べて「・・・うまい! これ何? ホントにホヤ ! ?」
「岩手、宮城、福島では『来てくれてありがとう』と、泣きながら握手を求められたりしました。でも、関東に入ると、そんな風に声をかけてくれる人は減って『頑張ってね』という声に変わりました。
さらに西へ行くと、『何で歩いているの?』とか『震災? もう復興しているんじゃないの?』なんて言われたり・・・。宮城の沿岸部などは、やっとガレキが片付いて、がらーんとした景色が広がっているころでした」
石巻駅前です
吟さんは「今を発信する映像が少ない」と感じているそうです。

「テレビなどは、今も津波のシーンやガレキの映像はよく流しています。でも、『今』を知らせていないと思います。それは2年間にも感じたことです。復興が進んでいること、でもまだ大変な思いをしている人が多いこと・・・など、『今』を伝えてほしいなって思いますね」
多くの人たちとエールを交わしました
吟さんには、被災地の「今」はどんな風に映っていますか?
「初めて来たのは2011年の初夏でした。水堺峠を越えて南三陸町に入ったとき、風景が一変したことを覚えています。ガレキもゴミも片付いていなくて、臭いもすごい。ハエも多かった・・・。
今では、町も、町の人たちの表情も明るくなっているなって感じます。でも現実の復興はまだまだ途中。やっぱり『今』を伝えないと、他地方の人にとっては、現在の支援の方法も分からないと思います」

「僕は、歩いて旅することができました。歩きながら見たこと、聞いたこと、歩くスピードで感じたこと、東北の人たちの経験を皆に伝えたい。それが僕の役割かなって思っています」

吟さんがおっしゃるとおり、被災地には、まだまだ応援や支援を必要としている人たちもいます。
でも、震災から5年目となって、被災地に目を向けたり、関心を持ち続けてくださる人は、やっぱり減っているのかな・・・とも感じます。

今夏は、いつにもまして大きなニュースがたくさん飛び交っている気がします。
そんな中で、被災地の「『今』を発信する大切さ」を、吟さんに教えていただきました。
宿泊はテント泊が基本でした。
マネージャーの平山智美さんが
吟さんの旅をしっかりとサポート
「〝みんなが見ているからね、忘れていないよ、何度でも助けたい〟。そう思っています。たくさんの人に南三陸の『今』を見てほしい。『今』を届けたい。いちばんは、やっぱり人と人とが直接、顔を合わせること。だから、今日はうれしくて、楽しい(笑)」。
左からともひろさん、吟さん、畠山ゆかりさん、
おおもり食堂のマスター・渡辺清吾さん、齋籐和生さん、吟さんのマネージャー・平山智美さん。

2年間のミニライブのときは、愛知県豊川市からの派遣職員・篠原英明さん、
石材店の鈴木隆志さん、南三陸町議の小野寺久幸さんもいらっしゃいました。
鈴木さん、小野寺さんも、この日、いらしていたのですが、この写真は
お二人が帰った後に撮影しました。ごめんなさい。

絵はマスターが描いてくださいました。
飲み会は12時近くまで続きましたが、最後に吟さんは一曲だけ歌ってくださいました。
曲は、おおもり食堂のマスターが大好きな「テネシー・ワルツ」。

震災なんて、なければよかったことです。
でも、震災がなければ、出会わなかったかもしれない友だち、仲間も、たくさんできました。

「吟」という字は、口偏に「今」と書きます。

強くてやさしい声に「今」という時代をのせて、吟さんの歌い旅は、これからも、まだまだ続いていきます。

(取材日 平成27年7月17日)