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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年8月12日水曜日

2015年8月12日水曜日14:00
石野葉穂香です。

7月19日、岩沼市で、防災集団移転促進事業によって誕生した新しいまち・「玉浦西」のまち開きイベントが行われました。

昨冬、地区では子どもたちの植樹祭も開催され、そのときの模様は『宮城から感謝をこめて』で、記事として紹介させていただきました。
ぜひこちらもご覧ください。

『宮城から感謝をこめて』 ~岩沼市玉浦西地区
https://sites.google.com/site/kanshamiyagi2/home/iwanuma

昼間では雲が多めでしたが、だんだん晴れてきて、空もまち開きを祝福してくれました
玉浦西地区は、津波で被災した、市域沿岸部6地区の皆さんが、避難所や仮設住宅での生活を通じてずっと守ってきた震災前の地域コミュニティを、ほぼそのまま移植したまちです。
「皆が一緒に暮らせるまちを、もう一度つくろう」という希望が実現しました。
記念碑も設置されています
「復興のトップランナー」といわれる岩沼市。
そう呼ばれるのには、住民の皆さんと市が一緒になって、議論を交わし、互いに寄り添い、支え合いながら、早くから一つの目標に向かってきた成果があるからです。

「建物は流されたけれど、コミュニティの絆は流されてねぇ」
住民の皆さんは、震災後、「もともとのコミュニティを、もう一度、復活させたい」と願い、すぐスクラムを組んだのでした。
楽々(らら)公園(中央)の上空から見た新しいまち。左は大型商業施設。奥は岩沼市街地方面です
写真は首都大学東京の泉岳樹先生よりご提供いただきました。
なお、泉先生と岩沼市の関わりについては、下記記事をご覧ください

2015年4月1日水曜日
『無人ヘリで現代版の「火の見櫓」を!』
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/04/blog-post_22.html



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市域の東部が太平洋に面する岩沼市。
東日本大震災に伴って発生した大津波は、市域の半分近い約29平方㎞もの土地に浸水しました。

岩沼市は水田や畑が多い平野のまち。大地に襲いかかってくる津波を防いでくれる丘や山などはありません。
29平方㎞という浸水面積は、市域の48%に相当します。これは被災して沿岸の市町村で最大でした。

市域で亡くなった方は、市民133人を含む181人。
そして、全壊736戸、大規模半壊509戸を含む5428戸もの住宅が一部損壊までの被害を受けました。
記念碑には移転6地区の位置を示したプレートが
はめ込まれています
特に被害が甚大だったのは、やはり海沿いの地区です。
震災前、岩沼市の海辺には、藩政時代に築かれた水路である「貞山堀」に沿うようにして、北から相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜・・・という6地区が並んでいたのですが、津波はこの6つの地区に容赦なく襲いかかり、熊手でかきむしったように、家屋も農地も、イグネ(屋敷林)も、すべてをさらってしまったのでした。

大津波から2カ月半後の平成23年5月26日には、長谷釜地区から市に対して、早くも「集団移転」に関する要望書が提出されました。
以降、他の5地区もこれに続き、同年11月には、集団移転先として玉浦西が選定されました。
楽々公園上空から見た東側の方角。地平の向こう、約3㎞先はもう海です
(写真提供/首都大学東京 泉岳樹先生)
翌年、平成24年3月には法的な手続きに着手し、同年8月5日、平野達男復興担当大臣をはじめ関係者300人が出席して「玉浦西」の造成工事がスタートします。

そしてそれから1年4カ月後の平成25年12月21日、玉浦西地区第1期宅地引き渡し式を催行。
平成26年3月29日、第2期宅地引き渡し式。
4月16日、災害公営住宅建設工事着手。
4月27日、第3期宅地引き渡し。

平成27年2月11日、災害公営住宅引き渡し。
3月25日、災害公営住宅建設工事完了。
3月30日、集会所建設工事完了。
7月7日、商業施設オープン・・・・・・。

工事が終わったところから順番に、すぐ、まちづくりは始められました。
復旧しながら工事を進め、復興しながら、まちづくりも並行していきました。

そして、7月19日、玉浦西地区における防災集団移転促進事業の工事が終了。
海岸から約3㎞内陸。田んぼを埋め立てた約20ヘクタールの土地に、住宅が整然と立ち並ぶこの地で、まち開きの日を迎えることとなったのでした。
岩沼小学校金管バンドが青空に向かってファンファーレ
玉浦西地区の、宅地は171区画、災害公営住宅は210戸。
約1000人が暮らすまち。
すでに移住を予定している方の約9割が、もう引っ越しを済ませて住人となっています。

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この日の「まち開き」では、午前10時から岩沼市民会館で、まち開き記念式典「玉浦西のまちづくりと感謝の思いを伝える会」が催行されました。

開会に先立ち、東日本大震災で亡くなった方へ黙祷が捧げられました
玉浦まち開き実行委員会の委員長・中川勝義さんは
「まちづくりが進んだのは、集団で移転したいという住民たちの決断が早かったから。これからも皆で話し合いながらまちをつくっていきたい」とあいさつ。

菊地啓夫岩沼市長も
「コミュニティを維持した新しいまち。皆さんの強い思いが、このまちをつくった。でも、いまだ仮設住宅に暮らす方も多い。復興は道半ばです。これからも懸命に取り組んでまいります」
と話しました。

そして、玉浦中学校3年生の櫻井未夢さんが、感謝のことばを読み上げました。
左から菊地啓夫岩沼市長、中川勝義実行委員長、櫻井未夢さん
竹下亘復興担当大臣
「人と人との繋がり、助け合い、思いやりの大切さを知った4年間でした。新しい家では、自分の部屋ができて、好きなモノを飾れるのがうれしい。将来は誰かの役に立てる仕事がしたいです」

午後からは、新しい玉浦西地区のまちにある公園で「玉浦西まち開き感謝祭」が行われました。
メインステージの「楽々(らら)公園」では、子ども御輿、岩沼小学校金管バンド、子どもチアダンス、盆踊りなどが。
また、「まごころ公園」では、おもてなしのおにぎりや芋煮が振る舞われ、「うぐいす公園」には、子ども向け屋台などが並び、「大樹(たいじゅ)公園」でも餅つきやベトナム料理の振る舞いが行われました。
笑顔いっぱいのテント
豚汁もおいしかったです。
おにぎりを配っていたおとうさん。
新しいまちが新しいふるさと

JF(県漁協)さんは、鮭とホタテを焼きたてで
振る舞ってくださいました
ベトナム人留学生の皆さん。
本場の「フォー」は大人気














まち開きイベントは、この日の開催でしたが、新しい住宅はもう新しい町内会などはもう結成されています。
公園づくりやまちの緑化、そしてイグネの植樹も進められています。
ベトナム人留学生の皆さん。そして玉浦西の皆さん。
いろいろな交流が続いていってこそ、本当の「まち」になっていくのです
玉浦西地区のまちづくりには、もう一つ、工夫があります。

それは、かつて貞山堀に沿うように並んでいた6地区が、新しいまちでも、貞山堀を模した歩道に沿って、昔のコミュニティどおりに6つの地区が並んでいること。
貞山堀を模した遊歩道。
かつて暮らしていた地区の地形や地勢を映し出す
ふるさとの小径です

そして、思い出の木、思い出の橋なども再現され、歩道を辿れば、懐かしいふるさとの風景に思いをめぐらせることができます。
集合写真をもう一枚! 大樹公園でお餅を振る舞っていたお母さんたち。
「やっぱり玉浦が好き!」
思いやり、助け合い、感謝・・・。つまりは「コミュニティ」。

地域の皆の大切な「思い」は、新しいまちにに、そして子どもたちへと、確かに引き継がれて行くことでしょう。

(取材日 平成27年7月19日)