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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年8月22日土曜日

2015年8月22日土曜日13:37
こんにちは。kaiiです。
東日本大震災から4年5カ月が過ぎました。
図面の上に描かれた町が、少し現実の町として私たちの目の前に現れ始めています。

私たちが、4年5カ月に経験した大地震と巨大な津波。
昨日まで生活していた町が、家が「ガレキ」と呼ばれるようになりました。

東日本大震災から1週間後の気仙沼市大浦地区
対岸から漂着した重油と焼失した家屋と漁船
(撮影:平成23年3月18日)

「もうこの町には住めないかもしれない」そんな絶望を感じたあの日から4年。

震災から1年7カ後の鹿折地区の風景
地盤沈下した町は満潮時には冠水していました
(撮影:平成24年10月13日)

避難所から仮設住宅へ、そして終の棲家へ。

防災集団移転などで空室が増えてきた仮設住宅
今後の集約について調整が進められています
(撮影:平成27年6月)

生活も人間関係も地域も町も大きく変化しようとしています。


「おらぁ~いぎでるうぢに『まぢ』みだいもんだ」=私が生きている間に(復興した)町が見たい=

嵩上げされた土地を見上げてそんなことをつぶやくお年寄りたちもいます。

気仙沼市立南気仙沼小学校跡に建設された災害公営住宅
仮設住宅から災害公営住宅に入居した人たちは
「やっと落ち着ける場所ができました」と安堵の表情と
新しく始まる生活への不安を口にしていました
(平成27年4月撮影)
新しい病院、高速道路、防災集団移転用地、災害公営住宅など、あの絶望した日には考えられなかった「新しい町」が完成に向かって歩みを進めています。

気仙沼市の大島へ繋がる命の橋「大島架橋」工事も進められています
気仙沼市大浦地区の大島架橋道と防災集団移転の予定用地

(撮影:平成26年1月24日)

大島架橋道と防災集団移転用地の工事が進められる
気仙沼市大浦地区の様子
(撮影:平成26年5月25日)

新しいコミュニティーの形成には、時間と努力が必要です。

大島架橋道と防災集団移転用地の工事が進められ
私たちの目にも分かるようになりました。
(撮影:平成27年7月2日)
被災はしたけれど、震災前から住んでいた地域に住み続けている人と震災で一度地域を離れた人の間に、目に見えない「隔たり」が生じています。

気仙沼市三の浜と離島大島を繋ぐ大島架橋道工事(大島側)
トンネル工事も進められています
(撮影:平成27年7月30日)
コミュニケーションを図るために企画されるイベントへの参加も「限られた人だけ・・・いつも参加する人は同じ・・・」などの声が聞かれます。

気仙沼湾に添って防潮堤工事も進められています
(撮影:平成27年7月13日)
気仙沼市内で開催された、「まちづくり」を考えるイベントに参加した70代の女性は、

「地域から離れた人と久しぶりに会って近況などを話したいのに、イベントに参加する人はいつも同じ顔ぶれ」

漁港の復旧工事が進み漁船が停泊する気仙沼港の美しい風景が戻ってきました。
緑の山と青い海。白い漁船のコントラストはふるさと気仙沼を象徴する風景です
(撮影:平成27年7月10日)

「若い人たちにも、地域の行事に積極的に参加して『地域つくり』に参加してほしいと思っています」と話しています。

気仙沼市本吉町小泉地区では橋の架け替え作業が進められています
気仙沼市の高齢化率は36%です。
防災の観点からも「地域づくり」は大切です。
「人」を守れる「共助」の関係性がある地域づくりへの取り組みをハード面の構築と一緒に考える必要がありそうです。

「自助」「共助」
地域の結びつきを大切に未来へ向かう復興の歩みが進んでいくことも大切だと思います


「自助」「共助」「公助」
東日本大震災が発生してから、公の手が届くまで、私たちは互いを助け合い励ましあいました。
幾度も災害を経験した先人たちは自分を守るための備えを私たちに教えました。

震災から4年。私たちは大切なもの、大切なことを学ぶ機会を見失いつつあるように思います。


(取材日 平成27年8月11日)