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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年7月5日日曜日

2015年7月5日日曜日9:47
こんにちはエムです。

東日本大震災が発生した時、自然災害の恐ろしさを目の当たりにした日本中の誰もが、そして多分世界中の多くの人が、“防災”について、“自分たちができる事”について真剣に考えたはず。
……ですが残念なことに、災害についての記憶、危機意識の風化は一般的には7年程度と言われています。

あのような悲惨な災害は二度と繰り返してはならないはず。
今もあちこちで起きている災害を前に、私たちは何をするべきなのでしょうか。

しかし今、“減災” “防災”についてあらためて考え、後世に伝えていこうという取り組みがさまざまな分野で進められています。
5月30日に山元町にある山元町中央公民館で開催されたシンポジウムもその1つです。

☆ーー☆ーー☆ーー 津波防災シンポジウム ーー☆ーー☆ーー☆
大震災から学ぶ教訓〜後世への震災伝承〜

「津波防災シンポジウム」は、毎年5月に定められている「みやぎ津波防災月間」の期間中に、宮城県内の沿岸市町を会場に開催されているものです。
昭和35年にチリ地震津波が襲った5月に由来し、毎年、津波被害の提言や津波防災意識の向上を図ることを目的に開催されています。

今回は神戸大学名誉教授で、防災の研究者でもある室﨑益輝さんの基調講演を中心に開催されました。


今回の講演では、「阪神・淡路大震災」の復興への取り組みの中で、一般の私たちが知らなかった「失敗・成功した対策」なども聞くことができました。
また、「東北は今までの災害から何を学んできたのか」、「これから何を伝えなければならないか」を問われる話はとても意味深く、よりたくさんの人にお聞かせしたい内容でした。

お伝えしたいことがたくさんあり長くなりましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。

沢山の参加者で会場は満席になりました

基調講演「大震災の教訓学ぶ、生かす、伝える」

室﨑益輝さんは20年前、阪神・淡路大震災で自らも被災しました。
その体験を生かして大震災の教訓を伝えるとともに、防災・復興支援など精力的な活動を行っています。
東日本大震災後、東北へもたびたび足を運び、講演は年間50~100回に及びます。

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阪神・淡路大震災での失敗例、成功例
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[被害が大きくなった原因を検証する]

東北は、または日本の人は、「阪神・淡路大震災」のことを学ぼうとしてないのではないか。と思うこともありますが、これは逆に「神戸は大震災の教訓を東北に伝えることができたのか」という問いでもあります。

神戸は震災以前の街としてのあり方や、復興を進める中で失敗もしました。その失敗を伝えることも大事なことだと考えます。

その当時の神戸は、「住まい方」「家の作り」「コミュニティのあり方」に問題がありました。

昔の日本で行われていた、事あるたびに家をメンテナンスすることや、きちんと整理整頓する文化を忘れ、家の中に物が溢れていたことが被害を大きくしました。
さらに昭和30年代に建てられた、短期間に作る工法の住宅がいかに粗末で危険な建物だったのかを知ることになり、古い日本の伝統工法の学習をしなければならないと思い知らされたのです。
核家族化が進み、地域のコミュニティが弱まっていたのも問題でした。

単に大きな地震、大きな津波で被害に遭っただけではなく、その原因には人間の弱さや社会の側に問題があったのではないかと考えます。

どうしてこんなに多くの人が命を奪われたのか、きちんと考察材料として考え、失敗から学び、反省を素直にする。同じ悲惨な被害を出さないように、反省をする勇気・覚悟が必要なのです。


[復興の成功と失敗例から学び、生かす]

本当の復興の力になるのは “自立再建” にあります。

神戸で行った、公営住宅だけに頼る復興は良くなかった点でした。
1人1人が努力して自分の家を作る、自分たちの町を作る、そうして個人の意欲を引き立たせることが重要なのです。

神戸が一番最初にやったことで良かったことは、地域の中に小さなビジネス(コミュニティビジネス、スモールビジネス、ソーシャルビジネス)を作ったことです。
お年寄りに食事を届けたり、子どもたちに遊びを教えるなどの仕事ですが、仕事があることで1人1人の復興への力と意欲につながり、1つの経済復興の形となりました。

それから神戸では「まちづくり協議会」を作りました。
二段階復興論で考える復興計画で、「住民同士」や「住民と行政」の間で、喧々諤々の議論をしてやっと将来の復興計画案を作りました。
何の花を植えるとかいうところまでみんなで相談してやっていました。
( ※二段階復興論:行政が復興計画を作り、まちづくり協議会が修正するという復興計画)

復興というのは結論ではなくそのプロセスが大切ですので、プロセスでできるだけみんなで議論してほしいと思います。

室﨑益輝さん

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災害に見舞われた世界各国、国内での復興への取り組み
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[良い復興例を取り入れる]

1998年に発生したサンフランシスコ地震の後、サンタクルーズという街では「ものがたり復興」と呼ばれている一つの復興手法を取り入れました。

サンタクルーズでは全ての市民を復興プロセスの中に巻き込む姿勢で、300回以上にわたり、あらゆる年代の市民が意見を出し合うワークショップを行いました。
みんながどういった復興をしたいのか意見を言ってもらい、それをつなげて最終的に1つの“ものがたり”にしました。
その後専門家により調整し、徐々に具体的なプランを策定していったのです。
http://www.hrr.mlit.go.jp/library/happyoukai/H21/0730/30kurashi/17_kensetu.pdf

この取り組みは2004年に発生した新潟県中越地震の復興手法に取り入れられ、中越では、震災遺跡、震災遺構(災害遺跡、崩れた崖、壊れたダム、川の中に取り残された住宅など)を全部観光資源にし、順繰りに回る“震災ツーリズム”という形になりました。
(「中越メモリアル回廊」http://c-marugoto.jp/activities/

また神戸で行っていた、行政とまちづくり協議会の二段階復興論で復興計画をつくる方式は、1999年に発生した台湾の921大地震で生かされています。

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室崎さんは他にも、1985年に発生したメキシコ地震の住宅再建で、2年半で30万戸が再建した例を挙げ、その早さの理由は個人の持家となる公営住宅を提供した「自力再建」にあること。
更に話題は1666年のロンドン大火災に及び、その時の皇帝チャールズ二世の取った「ロンドン以外の地域の建設工事を7年間禁止した」政策に、「東北の復興を重ねて考えている」と話しました。

真剣に話を聴く参加者

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東日本大震災の教訓を後世に伝えるためにするべき事
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[辛さ、悲惨さを伝える]

災害の本質は極めて残酷で冷酷で悲惨なものです。
一瞬で人生が狂うわけですから、災害がいかに残酷かを伝えなければならないのですが、人は辛いことはなるべく話したくはありません。

「人間ってこんなにすばらしい」「絆で助け合ってこんなに素晴らしい復興をした」と、人は良いことはしゃべります。
でもそれだけで災害を語ると、災害があったらまた助け合えば良いじゃないか。ということになって、本当のことが伝わらない。
これではまた同じような悲惨な出来事が繰り返されるばかりです。

本当に辛い思いをした人がそれを忘れようとするのではなく、その現実をしっかり受け止めて、どうしてそんなことが起きたのかをしっかり理解をして、そして自分の悲しみを人に伝えようとした時、初めて伝える力を持つのです。

[震災遺構を残す意味]

震災遺構を残すことは、「自らの過ち、責任を伝える」「自らの悲しさ(体験)を伝える」ことにつながります。
神戸の人たちは、悲しいことは早く忘れたかったので、これを拒否したため遺構はほんの2つだけしか残りませんでした。

震災遺構には、「鎮魂」「慰霊」「亡くなった人との心の会話」という面も備わっています。残すことで、辛さ・悲しみを受け止める行為につながるのです。

亡くなった人たちの写真や思い出などを展示するミュージアムにし、いつでもそこに行って対話ができる。あるいは亡くなった人のことを考えることができる。またはその場所を公園にするなどして日常的に使用する場所にする。
そうすれば、きちんとした鎮魂の場になると思います。

また本物があることで、自然を甘く見てはいけないこと、自然の力の前には人間はいかにちっぽけなのかを知ることができます。
それによってしっかり自然に向き合うことを考えたり、自然と共生する必要性を感じたり、自然から学んだりできるのです。

多くの犠牲者があった原因を考え、過ちを正すためのシンボリックな空間としても遺構は残さないといけないと考えます。
災害の記憶を“災害文化”として暮らしの中に根付かせるのです。

[遺構を残すための配慮]

これは本当に必要です。時間がかかっても遺族の人が本当に納得をして残すこと、さらに亡くなった人の遺志に沿う必要があると思います。

そして単に多数決で「残す」「残さない」を議論すべきではなく、悲惨な体験をしたひとが「残そう」と言うまで待つ……それには長い時間が必要です。
実際広島では「原爆ドーム」を残すと決めるのに20年かかっています。


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これからの東北の役割
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私たちは次こそ、1人でも多くの命を守りたいのです。
そのためにどうしたらいいのか。

方法は、世界や国内で起きた過去の災害や今回の大震災で得た教訓を大事にし、「コミュニティをしっかり作る」「自然とまっすぐ向き合う」「防災教育をしっかりする」「家の中の整理整頓をきちっとする」「学校での教育をしっかりする」……など、複合的にいろんなことをやっていかねばならなりません。

東日本ならば、次に同じように大きな津波が来た時に、できるだけ犠牲者を少なくしたいと思うはずです。

「良いこともあったけれど、こういうことはうまくいかなかった。だから二度とこういうことはしてはいけない」と、次の災害が起きる地域の方にお伝え願えればと思います。

そのお伝えいただくための1つのツールとして、震災遺構を大切に残していただければ大変ありがたいと思っています。

室﨑益輝さん
「いろんな問題があっても最後には必ず復興は成し遂げられます。
復興で失敗したところは無いのです」

最後に室﨑さんはココロプレスにメッセージを残してくださいました。

「本当に復興するためには、民間のアイディアがどんどん出てくるような仕組みを作らねばなりません。
その地域だけでがんばって独自のやり方でやろうとするのではなく、他の地域の人も……極端に言うと、全国の人を引っ張り込んで知恵をもらってやる。
そして行政との関係も良くしていくことです。
行政と市民が議論し、お互いに理解し合う良い関係を築いていくことが大事です。話し合いができると、お互いが抱えているストレスも減りますから」
そう熱く語ってくださいました。

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室﨑益輝:
神戸大学名誉教授、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構・副理事長兼研究調査本部長、兵庫県立大学防災教育研究センター・センター長。
40年以上にわたり火災や災害、災害復興や災害時の人間行動などについて研究し、多くの著書も執筆しています。

室﨑益輝ウェブサイト
http://www.murosaki.jp/index.html

(取材日 平成27年5月30日)