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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年3月10日火曜日

2015年3月10日火曜日9:31
東に塩竈湾を望む、坂総合病院中央の白い建物群
(写真提供:坂総合病院)
ザーリャです。
宮城県塩竈市にある、公益財団法人宮城厚生協会坂(さか)総合病院。大正元年の創立以来、100年以上にわたって、地域住民の安心の拠り所となってきました。

東日本大震災では、診療圏全ての自治体が甚大な津波被害を受け、災害拠点病院として救命の最前線に立ちました。発災から1カ月間で14,000名の外来診療を行い、救急搬送された全ての患者を受け入れました。また、病院職員が継続的に診療圏の避難所へ赴き、4,300人の避難者の診察と治療を行いました。

前編に引き続き、坂総合病院の事務局長佐藤孝一さんにお話を伺いました。

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2015年3月6日 金曜日
その瞬間、人々が大切にしているもの~坂総合病院~ 【前編】(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/03/blog-post_6.html
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◆震災関連死をどう防ぐか
震災から2週間後に、阪神淡路大震災の際に初めて「震災関連死」について指摘した、神戸協同病院の上田耕蔵院長が坂総合病院を訪れました。阪神淡路大震災の経験から、「関連死」で注意すべき点について、現場の医師たちに助言を与えてくれました。

関連死のポイントは、「科学的な因果関係を証明できない」という点にあると言います。

患者が「心筋梗塞」や「肺炎」といった症状で亡くなっていきます。通常であれば死亡診断書に「肺炎で死亡」と記録します。しかし、今回の東日本大震災では、被災した方々は、家族や生活の拠点を失うという精神的なショックや、長期にわたる避難所での不自由な生活、度重なる移動など、幾重にもわたるストレスにさらされ続けました。

来院した上田院長からは「ご家族から話を聞いて、亡くなった方がどのように過ごし、どのような状況で息を引き取ったのかを、診断書に記録するように」という助言がありました。それを受け、坂総合病院でも可能な限り、死亡診断書に「亡くなるまでの状況」を記録するように努めました。

連日にわたり、医師によるミーティングが重ねられました
(写真提供:坂総合病院)
塩竈市も多賀城市も、震災から1カ月の間に亡くなった方々のぼぼ100%が「震災関連死」に認定されました。

新潟県中越地震(2004年)の場合は、震災から1カ月以上を経過したケースについては、震災関連死は認められませんでした。

しかし、東日本大震災では、国や自治体による「震災関連死の期限」が取り払われました。津波や原発事故によって、生活の拠点が消え、逃げ惑い、長期間にわたって避難先を点々としなければならない人々が多かったためでした。

施設入所者の中には、6カ所もの移動を余儀なくされたケースもありました。
佐藤さんは、このようなケースは「医療のレベルを超えた事態」だと話します。

「その結果、生活が大きく急転換したことで、助けられる命が失われていきました。今後、医療機関のみならず、行政機関も交えて対策を検討する必要があります。そうすることで、『震災関連死』を防ぐことができる」

佐藤さんはそう強く訴えます。

◆医療の次に必要な、人々を「支える」こと
「医療という分野でできること。それは、実は『狭い』ということにも気付かされました」

佐藤さんはそう言います。

従来からリハビリテーションに力を入れてきた坂総合病院。職員は訪問先の仮設住宅や避難所にある段差や障害物の把握にも努めました。「急ごしらえ」の避難所では、高齢者の負担になる場所や危険箇所が、改善されないままに運用されていました。そのような場所については、手すりやスロープを付けるなど、関係機関へ改善策の提案も行いました。

職員は診療圏の避難所を回りました
(写真提供:坂総合病院)
「震災発生後の急性期の1週間は、医療の必要性が非常に高いのは確かです。しかし、その時期を過ぎて次に必要になるのは、『支える』ということなのです。医療から離れた『福祉的な視点』が重要になってきます」

佐藤さんは、被災した方々との「会話」の重要性を指摘します。
被災した多くの方々が、時間の経過と共に「そううつ状態」に陥るためだと言います。

震災直後は、「なんとかして頑張ろう!」という思いから、気持ちは「そう状態」にあります。しかし、ある時期を過ぎると「家が流された」、「仕事が見つからない」といった現実が重くのしかかり、気持が落ち込み始めると言います。

リーダーの立場にあった人ほど、「うつ状態」への落ち込み方が激しい傾向にあると言います。

「そのような辛い経験をした人たちから話を聞くと、立ち直りのきっかけとなる存在がありました。話を聞いてもらえたり、自分の弱音を吐くことができる、そんな周りの人たちの存在です。こうした『役割』は今後の医療機関に求められるもの。地域包括ケアや認知症対策にもつながっていくでしょう」


◆多くの教訓から求められる、「垣根」を越えた体制作り
患者の受け皿である医療機関と、患者のバランス関係が崩れ、救える命までもが失われてしまう大規模災害。
患者数が爆発的に膨れ上がるその異常な事態に、関係機関がどう対応するのか。佐藤さんはそれが大きな課題だと考えています。

また、震災によって引き起こされた問題が、時間の経過と共に顕在化しにくくなっていることに、佐藤さんは強い危機感を募らせています。

「震災によって生活に困窮している人が、震災から4年が経過したからと言って、ゼロになっているわけではありません。ただ、見えなくなっているだけです」

本にまとめられた坂総合病院の報告
(2013年:日総研出版)
震災によって仕事を失い、収入を断たれたままの人もいます。

「経済的な理由から、以前のように病院にかかることができない人もいます。重症度が高くなってから救急で搬入されてきて、『どうしてこんな状態になるまで病院に来なかったのか』と、私たちは思います。でも、それを責めることはできません」

医療が必要であるのに、受けることができない。それは、患者一人一人の立場で考えれば、大規模災害直後の状況と大差がない。佐藤さんはそう言います。

「大規模災害が発生したときには、需要者である患者さんと、供給者である医療機関のアンテナの方向が、たまたま一致する。だから問題が見えやすく、万難を排して問題を乗り越える取り組みが行われます。今、社会が通常の状態に戻り、問題が顕在化しなくなっている。私たちには見えないのです。だから、『孤独死』というものがあるのです」

安定してしまうと、一人一人には光が差さない。佐藤さんは、避難所や支援物資の例を見ても、「多くの教訓が、蓄積されている」と言います。

昨年9月には125回を迎えた、仮設住宅への訪問。
その状況は「院内報」で職員に共有されています。

「早急な治療を必要とする人たちがいたのは、避難所でした。そこから動くこともできず、医者もいない。だから教訓化したのは、『避難所にも第一線の医者を配置する必要がある』ということでした。衛生環境も病院の比ではなく悪い。だから、『保健所も必要だ』と。避難所とはそういう場所だと分かりました。それが教訓です」

また、本当に支援が必要な人たちが自宅に取り残されました。

「避難所には支援物資が届きます。しかし、独居のお年寄りや、動けない人たちが、自宅にずっと取り残されていました。誰かが行かなければ気づかれない。そこをどうカバーしていくかが、私たちのこれからのテーマでもあります」

佐藤さんは、既存のさまざまなネットワークを工夫して活用することで、これらの問題を解決する手段はあると言います。

しかし、これらの教訓を活かすためには、医療機関だけではなく、行政機関や民間企業も交えた、「垣根」を越えた体制づくりこそが不可欠だと指摘します。

「コミュニティが壊れた時に行政組織が先頭に立って、それをどう立て直すかということが重要です。行政の取り組みに力を集中させながら、私たち医療機関や、さまざまな組織がそれに『相乗り』して、本当に支援を必要としている人々を支え、孤独死を無くす。それは必ずできるはずです」

震災によって残された教訓は、神戸から、中越、そして今回の東日本大震災へと、つながっています。

「これらの教訓を活かしていけば、これからはきっと、良い方向に変わって行くはずです」。

佐藤さんはそう信じています。

(写真提供:坂総合病院)
(取材日 平成26年9月16日)