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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年3月12日木曜日

2015年3月12日木曜日12:09
ココロデスクです。

4年前の3月11日14時46分。
私は仙台駅前にある、このビルの28階にいました。

仙台駅西口に立つAER(アエル)
地上31階 (145.5m) 

「AER(アエル)」という、東北でも指折りの高層ビル。最上階の31階には展望テラスがあり奥羽山脈と仙台平野を一望できます。

この28階にある会議スペースを借りて、仙台市や近郊の食関係の方々を集めた勉強会を開いていました。

28階のロビーもまた眺めが良く、宮城野区蒲生や岡田、若林区荒浜などの田園地帯の向こうには仙台港が見えます。

その日は朝から快晴で、昼を過ぎてやや雲が出てきたものの、フェリーや貨物船が往来する様子が良く見渡せました。
海岸線を南にたどれば、名取市の閖上漁港、さらに岩沼市、亘理町、山元町。

「あの、遠くに見える煙突は?」
「(福島県にある)相馬共同火力発電の新地発電所だと思いますよ」

開会前のひと時の、こんな会話を覚えています。

AER展望テラスから真東を望む風景。市街地の向こうに蒲生、岡田、荒浜などの田園地帯と海岸が見えます
(2011年3月11日14時26分)

勉強会が始まって15分ほどたったでしょうか。

「チャリン チャリン チャリン・・・」

胸がざわつくような不協和音のチャイム。
互いに顔を見合わせていると間もなく、床が揺れ始めました。

「地震!?」と誰かがつぶやいたのと、激しく突き上げるような揺れが襲ったのは、ほとんど同時でした。

それでも初めのうちは皆、案外落ち着いていて、テーブルの下にもぐったり、「棚が倒れるといけない。気を付けて」などと声を掛け合っていました。

ところが、揺れはなかなか収まりません。

そこそこ「地震慣れ」している私たち宮城県人でさえ、誰も体験したことのない揺れの長さ。

「とうとう、宮城県沖地震が来たか」

今、自分たちは28階にいる。
そのことが急に脳裏に浮かび、いろいろなことが頭の中をめぐりました。
「覚悟」のようなことも考えたと思います。

恐る恐る窓の下をのぞくと、交差点を挟んだ20階建てのビルがゆらりゆらりと大きくしなっています。
「あっちは5メートルくらい揺れている。こっちは10メートルくらいかな」
まさか現実にはそんなに大きく揺れるはずはないのでしょうが、それがその瞬間の実感でした。


近隣のビルが、大きくしなって揺れているかのように見えました

揺れが少し収まったところでビルの職員が来て、私たちを先ほどのロビーへと誘導してくれました。
次の指示を待つ間に携帯ラジオをつけてみると、最初に入ってきた言葉は、

「大津波警報が発令されました」

津波ではなく「大津波」。
初めて聞く言葉でした。

「5、6メートルか、それ以上」
そうも言っていたかもしれません。

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3時を少し回った頃、私たちは職員の後をついて階段を下りていきました。
ビルに居合わせた人々は皆しばらくの間1階のロビーで揺れが収まるのを待ち、三々五々、ビルを立ち去りました。

そのあと私は同僚たちと会社に戻りました。
道々私たちは、建物の崩落に気を付ける係と、路面に異常がないかに注意する係とに役割を分担し、20分で歩ける道を30分ほどかけて注意深く歩きました。
戻ってみると、「今日は解散」という、社の決断が下りた後でした。


それから家にたどり着くまでに目にしたことは、また別の機会にお伝えできるかもしれません。



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徒歩で2時間半。真っ暗になってしまう寸前に、とにもかくにも帰宅すると、幸い家族は無事でした。
有り合わせのものをお腹に入れて少し落ち着き、暗闇の中でラジオを聞いていた22時頃。

「仙台市宮城野区の荒浜地区では・・・・・・」
「南三陸町では・・・・・・」

このニュースの本当の意味を映像とともに知ったのは、電気が復旧した3日後のことでした。




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その日のことを振り返ろうと、その時にいたこの場所に戻ってみました。
空模様はあの午後と似ていましたが、変わってしまっているはずの遠景がその時どんなものだったのかは、とうとう思い出せませんでした。

避難案内の掲示(AER展望テラス)

展望テラスには数組の人々しかいませんでした。

私と同じ方向にカメラを向けていた男性が、
「年々、少なくなっているね」
とつぶやきました。

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ビルを出て、街を歩いてみました。

JR仙台駅のコンコースには「第3回国連防災世界会議」のウェルカムバナーが

JR仙台駅のコンコースには、「第3回国連防災世界会議」の開催を謳う大型のバナーが掲げられていました。
街の角々にもポスターがにぎやかに貼られ、仙台は今、3月14日から始まる国連防災世界会議一色です。

半面、東日本大震災で犠牲になった方々を追悼する空気は、年々感じ取りにくくなっていることも事実です。

もちろん、県内各地でたくさんの追悼行事は催されており、仙台市内にも追悼の場が幾つか設けられました。

私はアーケード街に向かいました。

震災の後、仙台・東北の観光・物産・起業を支援するために
仙台市が開設した「東北ろっけんパーク」。
追悼のための献花台が設けられました

「ご通行中の皆さまにお知らせします。東日本大震災で犠牲になられた方々の冥福をお祈りするために、午後2時46分より1分間の黙とうを捧げます。皆さまもどうぞ・・・・・・」

アーケード街にアナウンスが流れる頃には、すでに多くの人々が献花台の周りに集まっていました。

そして、14時46分。

「黙とう」の声とともに、皆、静かに手を合わせました。




震災からの4年間の長さは、人それぞれ違ったものだったと思います。
だから、黙とうの1分間の長さもそれぞれだったことでしょう。


「来年の3月11日、自分はどこにいるのだろうか」

次の1年、何を見て、何を伝えればよいのか。
そんなことを思いめぐらしつつ、再び歩き始めました。


(取材日 平成27年3月11日)