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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年3月9日月曜日

2015年3月9日月曜日9:59
こんにちはエムです。

平成23年3月11日に発生した東日本大震災。
沿岸部を襲った大津波は、たくさんの命を奪うと同時に、地域の絆や歴史、文化、そして芸術やそれを育んでいた環境を破壊し、ガレキという名前に変えてしまいました。

そんな震災発生から間もない平成23年6月9日、仙台市在住のピアニスト庄司美知子さんと宮城教育大学教授で作曲家の吉川和夫さんらを中心に「被災地へピアノをとどける会」が発足しました。

平成23年11月、石巻市荻浜中学校へ贈ったグランドピアノ
(画像提供/ピアノをとどける会)

震災でピアノを無くし寂しい思いをしている希望者と、ピアノを寄贈してくれる人をつなぎ、現在までに合計427台のピアノを届けています。
全てのピアノにはメンテナンスと調律を施し、この先何年も使えるような質の高い状態にして手渡しているのだそうです。
音楽を愛する人たちが集まり立ち上げたこの活動は、4年たった現在も続いています。

しかし当時は衣食住が優先して求められる中、どのようなお気持ちで、どのような方々が、どんな方法で活動を始めたのか。それをお聞きしたくて、庄司さんが主宰を務める仙台中央音楽センターに伺いました。


事の始まりは平成23年4月。庄司さんの元に届いた、南三陸町歌津からのコンサートの依頼でした。
会場は歌津地区の泊浜(とまりはま)で避難所となっていた泊浜生活センターでした。

「その当時、私たちが行くことが果たして良いことなのか、行って何ができるのか悩みましたし不安でした。
電気さえ通じてなかったんですが、『自家発電をするから電子ピアノを持って来て』と言われ、さらに『海の歌』を歌ってというご希望だったのです」

4月30日、庄司さんは意を決して電子ピアノを車に積み、バイオリニストで友人の渋谷由美子さんとバリトン歌手の草刈伸明さんと共に整備もまだされていない道を歌津に向かいました。

「とどける会」が最初に贈った電子ピアノの中の1台。
東松島市の保育園に寄贈されました(画像提供/ピアノをとどける会)

泊浜生活センターの大広間には、支援の食べ物が山と積まれ、たくさんの子どもやお年寄りが毛布を頭からすっぽりとかぶり、固まって座っている姿がありました。
声を掛けても、演奏が始まっても何の反応も無く、聞いているのかすら分からない状態だったのだそうです。

何曲目かの時、今までかぶっていた毛布をはいで頭を持ち上げ、曲に聞き入る姿がありました。

「その時、1人が泣き始めたの。そうしたら周りの人たちも泣き出して……ついには号泣していました。『一緒に歌いましょう』と声を掛けたら、泣きながらみんなで歌ってくれたんです。
最後は泣いてるんだけど、ニコニコしながら『また来てください』って言ってもらったの。
『音楽の力』ってその当時あちこちで言われていたけれど、こういうものなのかな。そう思えた出来事でした。

さらに小学生3人がボロボロの楽譜を持ってきて『ピアノを触らせてください』って言うの。その子どもたちの家もピアノも流されてしまったのだそうです。
持っていた楽譜は一冊だけ残っていた楽譜だったんですね。
ひとしきり弾いた後、『いいなぁ、私もまたピアノ弾きたいな』と言って、私に小さな紙切れに住所と名前が書いてあるのを渡してくれました。

その時はピアノが本当に必要な物なのかも分からなかったんですが、歌津の出来事がずっと気になっていたんです。それで、吉川先生に相談したのが始まりです。
この体験がなかったら、この活動はしていなかったかもしれません」

吉川和夫さんと庄司美知子さん

庄司さんはそのことがきっかけになり、「被災地へピアノを届けたい」と考えるようになったのだそうです。
そして庄司さんの気持ちに賛同した吉川教授と歌津に一緒に行った渋谷さん、仙台フィル事務局の長谷山博之さんの4人が集まって話し合った最初の日、平成23年6月9日を「被災地へピアノをとどける会」の立ち上げの日と決め、会がスタートしました。

しかし、「誰から提供してもらうのか」「どうやって引き取ってくるのか」「誰に届けるのか」など、何から手を付けたら良いのか全く分からないゼロからのスタートは、体制を整えるにも更なる応援者と時間、経費も必要でした。

「とにかく音楽関係者に声を掛け、協力と支援をお願いすると同時に、きちんとした会の体制を整えるために、発起人として名前を貸してくださる方を募りました。
個人の名前だけでは信用されないと思ったのです」

そして話は音楽という共通の世界を通して広がり、仙台フィルなどのオーケストラや、一般社団法人全日本ピアノ指導者協会などから、たくさんの支援や協力者が集まりました。
関係者の個人の厚意で「ピアノをとどける会」の正式な募集チラシとホームページもでき上がり、会の最初の作業は、完成したチラシを各方面の方々に発送することだったそうです。

「ピアノをとどける会」が寄贈したピアノには全て
このステッカーが貼られています(画像提供/ピアノをとどける会)

その後、7月に最初の依頼があり、「ピアノをとどける会」は動き出しました。
メンバーはそれぞれの仕事が終わった夜になってから毎週のように集まり、ピアノを届けるという慣れない活動をする中で次々に発生する問題に取り組み、いろいろなことを決めていったのだそうです。

その中でも特筆すべきことは、きちんとメンテナンスをしたものを届けていることです。

吉川教授が言いました。
「我々は音楽関係者であるからには、右から左とただ手渡すのは、やってはいけないだろうと思うんです。
これから何年と使う物なので、すっかり中をきれいにし、磨きをかけてピカピカにして新品のようにして差し上げています。特に話し合いはしなかったけれど、無言のうちに当然のこととして行っていました。
1台に対して本当に時間と手間をかけています」

ピアノを整備しているのは株式会社河合楽器製作所の調律師、阿部隆さんです。
阿部さんはまた、日本ピアノ調律師協会に働きかけて、寄贈したいとするピアノの状態を、全国どこの場所にも調律師が赴いて確認に行けるような体制を作ってくれました。

そして預かったピアノを一時的に保管・整備する場所の提供と、配送までを引き受けてくれる業者(仙台ピアノサービス)の協力も得ることができました。

試行錯誤の中、活動スタッフもそれぞれに苦心や工夫をしながら体制を整えてきた「ピアノをとどける会」。

「あの頃は無我夢中で、何をやっていたのかあまり覚えてないの」
そう庄司さんが漏らした言葉に、その時の様子を垣間見た思いがしました。

次回は「ピアノをとどける会」が届けているピアノについてや、どのような方法で活動を続けているのかなどをご紹介したいと思います。

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平成27年3月19日 木曜日
被災地へピアノをとどける会〜その2[活動編](宮城県、県外)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/03/2.html


第3回は・・・・・・
2015年3月21日 土曜日
被災地へピアノをとどける会~その3[手紙編](仙台市、県外)
http://kokoropress.blogspot.jp/2015/03/3.html



仙台ピアノサービスの倉庫(画像提供/ピアノをとどける会)

★詳しくは下記を参照ください。

「被災地へピアノをとどける会」
仙台市青葉区中央4-4-4(仙台中央音楽センター内)
電話:022-264-1846
FAX:022-398-6623

(取材日 平成27年2月13日)