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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年1月7日水曜日

2015年1月7日水曜日11:02
岩手県普代村の鵜鳥神楽の陣幕。

ザーリャです。

新年の初めとして、私のふるさと、隣県の岩手県のお話をご紹介します。

宮城県と同様に、岩手県も復興への道のりを歩み続けています。
足元を見つめながら、一歩一歩険しい山々を越えるように。

今は、どこまでも青い大槌湾

年の瀬が迫ったある日、私は岩手県の釜石市を訪れました。
翌日に大槌町で行われる、民俗芸能祭の舞台を観るためでした。

“芸能の宝庫”とよばれる岩手県。
津波による沿岸部の被災は、そのままそこで受け継がれた民俗芸能の危機を意味していました。

「郷土芸能を演ずる場ができれば、復旧に尽力する芸能団体の励みになる。そして、芸能がよみがえれば、離れ離れになってしまった住民の心もまた、ふるさとに帰ってくるだろう」

そう考えたのが、岩手県釜石市に住む笹山政幸さん奈奈子さんのご夫妻でした。

奈奈子さんの実家は、長年にわたり神楽巡行の舞台である「神楽宿」を努める家であり、また、政幸さんが当主となる笹山家は、代々「南部藩壽松院年行司支配太神楽」の神楽衆を努めてきました。
南部藩より拝領する家紋「向かい鶴」。
地域で伝承されてきた祭りや芸能が、その地に生きる人々にとって、いかに大きな心の拠り所であり、また誇りや喜びをもたらすものなのか。

南部藩の時代から伝統を継承する家に生まれ、また「神楽宿」を守り続けてきたご夫妻は、そのことを誰よりもよく知っていました。

大槌湾に面した釜石市箱崎半島の白浜地区。
津波で多くの人命が失われた集落です。この高台に「神楽宿」を努めてきた奈奈子さんの実家があります。2013年、奈奈子さんは実家を開放し、地元沿岸部の芸能団体を招いて、初めての「お祭り」を開きました。

神楽宿を守り続けてきた笹山奈奈子さん。
被災芸能団体に声掛けを行い、実家を開放しました
呼び掛けを行った奈奈子さんの名前は、いつしか祭りの代名詞として親しまれ、やがて祭りそのものの名前になりました。

「自分の名前が、生きているうちに祭りの名前になるなんて、きっと、アントニオ猪木さんと奈奈子さんぐらいだべって、みんなで話してたんだ」

奈奈子さんの実直な人柄に親しみを込めて、地元の方がそう話してくれました。

今では釜石でも知られる「奈奈子祭」。
その開催も、昨年12月で4度目となりました。

南部藩壽松院年行司支配太神楽
入場は無料。申し込みも不要。
祭りの日は、送迎バスが地元の仮設住宅を巡回し、多くのお年寄りの足となっていました。

笹山政幸さんは言います。
 「地元の人々にとって、祭りとは『神様が降りる』とても大切なもの。そのことを理解していただけるのであれば、どなたでも歓迎しています」

全国から泊りがけで訪れる観客も増えています。すべての人々が会場に入って見られるように、今ではホテルの一室を借りて開催しています。

すべての演目を見るには、丸一日を要する「奈奈子祭」。その規模は、民俗芸能祭としては岩手県でも屈指のもの。観客だけではなく、地元の芸能団体や関係者も、その開催を心待ちにしています。

陸中弁天虎舞。釜石市の周辺には多くの虎舞があります

国指定重要無形民俗文化財であり
ユネスコ無形文化遺産である早池峰神楽の岳神楽

全ての舞の最後に舞われる「権現舞」。
権現様は、人々を苦しめるすべての災厄を、払い清めます
前日に釜石に到着した私は、その日、笹山さんのお住まいである鵜住居(うのすまい)地区の仮設住宅に泊めていただきました。

平野部がことごとく津波に呑まれた鵜住居地区。仮設住宅は、鵜住居川の上流部、狭隘な谷間に沿って建ち並んでいます。貞任高原から吹き降ろす荒々しい季節風が、一晩中窓を叩き続けました。

しかし、ご家族が団欒する仮設住宅の中は、とても暖かでした。
ご家族を見守るように、神棚には「権現様」が奉られていました。

荒れ狂う風の音を聞きながら、時に笑い、また涙しながら、夜更けまでさまざまな話をしました。

「津波によって流されてきた権現様をいくつもあずかり、その持ち主を捜していること」
「震災の2日前、奈奈子さんとお母さん、そしてお祖母さんが、まったく同じ神楽の夢を見たこと」
「沿岸部の神社の多くが、津波の及ばない場所を『選んで』建てられていたこと」
「釜石の街が少しずつ復旧し、真っ暗だった街に再び明かりが増えてきたこと」

・・・・。

私にとって、それは忘れられない夜でした。



笹山奈奈子さんは言います。

「私たちの住む岩手県でも、震災によって多くの人が住み慣れた土地を離れ、散り散りになりました。宮城県でも状況は同じだと聞いています。

でも、またいつか、それぞれが生まれ育った土地に戻ってきてほしい。私はそう願っています。

それがかなわず、たとえ他の地に移り住むことになっても、『お祭り』には戻って来てほしい。それは、残った者にとっても大きな喜びであり、励みになるからです。

津波で町の様子は変わっても、でも、人の心は変わらない。
できることなら、これからも一緒にいたいのです。震災がなければ、私たちはずっと一緒にいるはずだったのですから。

岩手県も宮城県も、本当の『復興』には長い時間が必要です。共に被災地に生きる者として、お互いの姿を確かめながら、一緒に歩いていければと願っています」


神楽衆でもある笹山政幸さんの話です。

「被害にあわれた宮城県の皆様、心中をお察し申し上げます。
宮城県でも沿岸部で多くの芸能団体が被災され、継承にたいへんなご苦労があると聞いております。

私たちも、芸能の担い手の多くが津波で亡くなり、道具や修業場所も流失いたしました。しかし、本当に多くの方々からの支援があり、今こうして昔の姿を取り戻しつつあります。心より感謝申し上げております。

今回は実現しませんでしたが、宮城県の芸能団体にも、『奈奈子祭』へお越しいただきたいと考えていました。志を同じくされる方々だと思ったからです。

宮城県でも同様の取り組みがあれば、是非お手伝いさせていただきたいと思っています。私どもが外に赴くことで、芸能団体同士の新たなつながりが生まれることを願っています。

『被災地』と『被災地』の交流は、実は思いのほか少ないと感じています。被災したからこそ、お互いの本当の悲しみや苦しみ、そして喜びを分かち合うことができるはずです。

私どもの思いに賛同してくださる方がいれば、それは本当にうれしいことです。

仙台藩と南部藩、これからも力を合わせて参りましょう」








震災から今年で4年。

隣県にも、未だに故郷から引き離され、帰郷の見通しすら立たない方々がいます。

「その痛みを、被災地に住んでいるはずの私は、いつのまにか忘れてはいなかっただろうか?」

宮城への帰り道、車窓に流れる家々の明かりを見ながら、考えていました。



新たな年が明けました。

東北の人々にとって、新たな年が穏やかなものでありますように。

そして、被災地すべての人が、再び心穏やかな日々を取り戻せますように。


(取材日 平成26年12月21日)