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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2015年1月18日日曜日

2015年1月18日日曜日11:03
こんにちはエムです。

かつての閖上の町。名取市サイクルスポーツセンター屋上からの眺め
(平成22年9月4日撮影/画像提供:名取復興支援協会)

東日本大震災で壊滅的被害のあった名取市閖上の海岸には、かつて「名取市サイクルスポーツセンター」という施設がありました。
1周4キロのサイクリングロード、レストラン、海浜プールなどを備え、夏はもちろん、四季を通して大勢の子どもたちや家族連れ、スポーツ大会などでにぎわう楽しい場所でした。

長年その施設の指定管理者を務めた川崎正男さんと職員でセンター長だった太田幸男さんたちが立ち上げた「一般社団法人名取復興支援協会」をご紹介したいと思います。

左から:東北復興支援販売所、JIFAこどもハウス、震災慰霊碑

[名取元気ボランティアネットワークの発足]


「名取復興支援協会」の前身は、震災直後の平成23年3月に立ち上げた「名取元気ボランティアネットワーク」です。
名取市の復興が早く達成できるようにとの思いを込めて約6名のメンバーで立ち上げ、いろいろな形で、行政ではできないきめ細やかな支援活動を行ってきました。

太田幸男さんは元航空自衛官
メンバーの中心になって動いている太田さんは震災当時、勤務先の名取市サイクルスポーツセンターにいて被災しました。

かろうじて無事だった太田さんは、波が引いた後の閖上の悲惨な様子を目にし、その足で自衛隊災害派遣部隊と現地の建設会社(株式会社ワタケン)と共に救助活動に参加。
悲惨で過酷な状況の中、人命救助に尽力しました。

同時に名取市災害対策本部に身を置き、安否情報・支援要請などの配信、支援物資やボランティアの受付案内、閖上地区へ向かう人への自転車無料貸し出し……など6月初旬まで、自分や自分の家族を後回しにし、災害対処のボランティアとして名取市にそのまま残り懸命に活動していたのだそうです。

「その当時やることは山のようにあり、身内や仲間の無事は祈るしかなかった。
携帯電話もつながらず、そのうち携帯の電池も無くなり連絡をとることもできなくなりました。
結局、人命救助に当たっていた3日間は誰にも連絡をすることもできず、身内や仲間には津波で死んだと思われていました。インターネットの『尋ね人』の欄に自分の名前があったのを後で見つけました」

当時は名取市の住民ではなかった太田さんですが、1人でも多くの命を救いたい一心で約1,700名の人命救助作戦に協力し、またせっかく助けた命を消すことがないようにと、避難所支援活動を実施したのです。
その活動に対して翌年に、社会貢献支援財団から表彰を受けた太田さんですが、家族や仲間の信頼を取り戻すためには時間がかかったと、寂しそうに笑いました。


「名取元気ボランティアネットワーク」のメンバーによる支援活動も多忙を極めていました。

当時は個人や団体でボランティアに来る人や、支援物資なども多く、受け入れ先の調整や分配方法を考える必要もありました。
行政では判断に困る場合が多く、地元を知ってるからこそできる対応が求められていました。

代表理事の川崎正男さんと、奥様でメンバーの川崎幸子さん

「震災後間もない頃はボランティア支援ということが理解されず、『人の手は借りたくない』『いくら時間がかかっても家族や自力でやる』という人が多く、個別に訪問して説明したりしてボランティアの人との橋渡しをやってきました。

生き残った我々がこの状況をどうにかしなきゃいけないという思いでこの活動を始めましたが、とにかく行政では対応しきれないことは全てやっていました。
あの頃は我々も仙台市内で毎週支援イベントを行っていたし……忙しかったです」

当時を振り返りそう話す川崎さんも、名取市の住民ではありません。
しかし長年名取で働いてきた川崎さんや太田さん始めメンバーの皆さんが、お世話になった人や友人など大切な人をたくさん亡くし、この活動へと駆り立てられた思いには、計り知れない壮絶なものがあるに違いありません。

日和山からの眺め

[避難所から仮設住宅へ]

避難所から仮設住宅やみなし仮設住宅へと住民が移るにつれ、また別の対応が求められました。
仮設住宅での新しいコミュニティ形成や、自治会運営、住民の孤立を防ぐためのサロンの開催などの支援などです。また同時に、全国から送られてきた支援物資や支援団体の受け入れ先などの相談を受け、その調整や紹介などの活動をしてきました。

つまり各自治会と支援者をつなぐ “橋渡し” の役割を担ってきたのです。
それができたのは地元住民と細やかな話し合いを重ね、信頼を得ているメンバーだからこそでしょう。
(現在は仮設住宅の運営支援は名取市社会福祉協議会の「ひより」が、民間借り上げ者や在宅被災者は名取市サポートセンター「ドット・名取」が対応しています)

他にも比較的被害が小さかった自力再建被災者の住む地域での、町内会組織再生支援、支援物資・支援団体の受け入れや配分調整、各種イベント支援など、広範囲にたくさんの要望に対応してきました。

「日本うたごえ祭典 IN みやぎ」に出場した名取市小塚原北町内会
(自力再建被災者地区)有志による合唱団
平成26年11月24日(画像提供:名取復興支援協会)

[東北復興支援販売所オープン]

自分たちの生活も立て直さなければならない中、こうした活動を続けていた川崎さんたちは、食べ物や住居などの問題が落ち着いてきた平成23年夏頃、そろそろ手を引こうと考えました。

しばらく時間が経過した後、川崎さんは地元の人から相談を受けました。
「今閖上には何も無いから、誰かお店を出したらどうだろう。
何かあった方が閖上の人たちが集まりやすいのではないだろうか」

しかし地元住民の被災した心情を考えた時、閖上出身ではない自分がやるのが適切と判断した川崎さんは、自分たちで引き受ける決心をしたのだそうです。
お店に置く品は地元名取の商品はもちろん、名取のみならず東北の被災した会社から取り寄せた商品を販売することにしました。
それが平成25年6月22日にオープンした「東北復興支援販売所」です。

「東北復興支援販売所」についての詳しい記事はこちらをご覧ください。
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平成26年8月28日 木曜日
閖上の人たちを応援したい(名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/08/blog-post_46.html
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[一般社団法人名取復興支援協会を発足]

復興の象徴・鎮魂の場として残っている閖上5丁目の日和山。
その麓にオープンした「東北復興支援販売所」は、日和山を訪れた人が立ち寄ってくれる場所になりました。

責任者としてお店に立つことにした川崎幸子さんですが、お客さんからよく言われ気になる言葉がありました。

販売所前の自販機はこの地域の大事な灯りです
「閖上は片付けるのは早かったけど1年以上たっても全然変わってないよね」
「閖上は変わらないね」

代表理事の川崎さんはそれを聞き考えました。
「だったらもう1回、前やった仲間に声掛けをして、この辺りの整備をしよう」

そうして「名取復興支援協会」を結成し、再び立ち上がったのだそうです。 

「ただ、震災後にやってきた活動に対してどこからも資金の支援や協力がもらえず、全て自分たちの持ち出しだったのです。
それで活動も苦しく厳しくなってしまっていたので、きちんと法人化して補助金の申請ができるような体制を作る必要がありました」

このような経過を経て平成25年9月、「一般社団法人名取復興支援協会」が設立しました。

一般社団法人となった名取支援復興協会がこの後から現在に至るまで、安心して支援活動を続けることができているのか、その状況については回を改めてお伝えしようと思います。

細く長く、できる事をできるだけ続けます!
(右から)一般社団法人名取復興支援協会、理事太田さん、代表理事川崎さん
東北復興支援販売所、責任者の川崎幸子さん

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この協会の活動は賛助会員を中心とするの皆さまからのご支援で成り立っています。
詳しくは下記のホームページを参照の上、お申し込みください。

ボランティアを随時募集しています。
★ 「賛助会員」も募集中。

一般社団法人 名取復興支援協会
http://natorifukkou.com/
https://www.facebook.com/fukonatori

(取材日 平成26年12月17日)