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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年12月15日月曜日

2014年12月15日月曜日12:37
平吹善彦さんの案内で、海岸林の深部に入っていきます

ザーリャです。
前編に引き続き、「SAVE JAPANプロジェクト」による「自然再生を考えるバスツアー」の模様をお伝えします。

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2014年12月12日 金曜日
よみがえる干潟を歩く。自然再生バスツアー【前編】(仙台市)

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第1部では、蒲生干潟の再生の現場を歩いた私たち。
第2部では、バスで七北田川右岸の南蒲生(岡田新浜地区)へ移動、海岸林の深部へ入りました。

現地での講師は平吹喜彦さん(東北学院大学教養学部教授)です。
平吹さんの専門は景観生態学と環境教育。震災後は地元の動植物や自然環境に精通する専門家に呼びかけを行い、「南蒲生/砂浜モニタリングネットワーク」を立ち上げ、津波による動植物の被災状況とその後の再生過程を継続調査しています。

「仙台湾岸の海岸林は、防災と自然との調和を考える重要な場所」
そう語る、平吹善彦さん

「仙台湾岸の60キロメートルに広がる海岸林は、津波の後、一切の人の手が加えられていない場所です。森がどのように破壊され、どのようなプロセスを経てよみがえっているのか。それを調べることによって、私たちが自然と調和した防災対策を考える際に、非常に有益な情報を与えてくれる場所です」

平吹さんは、仙台湾の海岸林が持つ重要性を指摘します。

岡田新浜の津波の高さは9メートル。森は震災当時の姿そのままです

長い歴史の中で繰り返される、津波や河川氾濫による自然環境の「かく乱」。
平吹さんは、「人間に傷を癒す力があるように、自然にも治癒力(レジリアンス)がある」と言います。

「仙台湾に広がる海岸林は、もともとは人によって植えられたクロマツの森です。植林から60年の間、十分な手入れがなされずに、いわば『放置』されてきました。しかしその間、鳥や動物によって新しい植物がもたらされ、いつしか複雑な生態系を作るようになったのです」

“生みの親”は「人間」、“育ての親”は「自然」。
その成り立ちは特異でありながら、しかし、命あふれる豊かな森。それが仙台湾の海岸林です。

「生き残った動植物が、今まさに、懸命に自然を作り出そうとしている。この森は、そんな場所なのです」

写真の前方が海。櫛の歯状に木々がなぎ倒されています
森の中を進むと、やがて不思議な光景が見えてきました。
海岸から内陸に向かって、立木が筋状に並んで残っています。上空から撮影された写真でも、この現象が海岸林の広い地域で発生したことが確認されています。

「なぜこうした残り方をしたのか。残った場所と残らなかった場所は、なぜ生まれるのか。さまざまな条件が重なっていると思われますが、その原因はまだはっきりとは分かっていません。しかし、その仕組みが解明されれば、津波に強い森づくりに活かせると考えます」


ふと足元を見ると、なぎ払われた倒木の根元に、小さなクロマツの苗木が顔を出していました。

地表に堆積していた落ち葉は、津波によってすべて流失しました。植物を育んでいる現在の土は、震災後に新たに積もった落ち葉でできています。生き残ったクロマツがその新たな土壌に種を落とし、苗が育っているのです。

「森では今、新たな植林の必要がないほどに、自力でたくさんの苗木が育っています。こうした自然の仕組みを上手に利用すれば、お金も手間をかけない森の復元が可能ではないか。私たちはそう考えています」

津波によって砂浜から種が運ばれ、内陸で芽吹いた「ウンラン」
小さなオレンジ色の花は、盛りの中でひときわ目を引きます
足元に、小さなかわいらしい花が咲いていました。

「これは『ウンラン』という砂浜に育つ花です。ここは海岸から700メートル離れていますが、津波によって運ばれた砂が、約10センチの厚さで堆積しました。その海砂の中に、砂浜の植物の種がたくさん含まれていました。それがこうして生き延びているのです。この花たちは、どうやって浜辺に帰って行くのでしょうか。興味を引くところです」

平吹さんは、こうした浜辺の植物の種や苗を移植し、再び海岸に戻す活動も計画しています。

日当たりによっても、生育する植物がまったく異なります

しばらく森を進むと、明るく開けた場所に出ました。倒木はほとんどなく、周辺よりも地盤が低くなっています。貞山掘の堤防に沿った西側の一帯です。

「ここは堰堤を乗り越えた津波が、地表と激しく衝突した場所です。すさまじい水圧によって地面が掘り下げられ、窪地ができました。それがこの湿地帯です。開墾される以前の仙台平野も、このような風景が広がっていたことでしょう。地盤高の違いで、全く違う植物が育っています」

仙台平野には、かつてこのような湿地帯が広がっていました。
たくさんの生物で溢れています

小さな湿原が一帯に点在しています。たくさんのトンボが飛び交い、水際には小さなカニが歩いています。その静謐な光景は、さながら動植物たちにとっての楽園のようでした。

津波によりアスファルトが剥がされ、植物が道を覆っています
震災前の仙台亘理自転車道路。左を流れているのが貞山運河です
高さ10メートルの津波が、向かって左から右方向へ押し寄せました
2001年5月撮影:髙橋親夫氏

貞山掘の堤防上には、仙台亘理自転車道路が整備されていましたが、現在は震災により閉鎖されています。そのため、海岸林に人が入ることがほとんどありません。

櫛の目状に失われた海岸林の跡に、湿原が広がっています

貞山掘から西の内陸側を望むと、広大な湿原が広がっていました。平吹さんが指摘をする、櫛の目状に海岸林が失われた地点です。

津波被害があった地域とは思えない、美しい景色が広がります。珍しい野鳥である、「エゾビタキ」が梢の上に遊んでいました。

今や希少種となった「カワラナデシコ」
「蒲生を守る会」の熊谷さんは、閉会にあたって次のように語りました。

「今回の巨大な津波でも、多くの生物が生き残りました。しかし、野生の動植物は自然の力による『かく乱』に強い一方、人工的な『かく乱』には極めて弱いという側面があります。自然災害に備えると同時に、次世代に貴重な自然を残していく。その自然環境を維持するためにも、『点』で残すのではなく、ある程度の『連続性』を持たせる必要があります。そのための活動をこれからも続けていきます」

今回のバスツアーに参加した仙台市の女性は、「震災後に初めて蒲生に来ましたが、これだけ自然が再生していることに、とても驚きました。これからは、以前のように時々蒲生海岸を訪れてみたいですね」と感想を語りました。

人と自然が共存し、減災の手立ても考えられた復興。
その手法が、仙台湾沿岸で模索されています。


(取材日 平成26年9月21日)