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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年11月17日月曜日

2014年11月17日月曜日18:59
kaiiです。
秋の深まりを感じますね。今年も残すところ1ヶ月半ほどになりました。
振り返ると、食料品の値上げと気象災害の多い1年だったように思います。
平成26年8月に広島県、兵庫県、京都府で起こった大雨による土砂災害はたくさんの人の命をのみこみました。
気仙沼市には東日本大震災後、行政業務の応援に大雨被災地の広島県広島市と兵庫県丹波市から職員が派遣されていました。

町の復興のための工事は進む宮城県気仙沼市鹿折地区
(撮影:平成26年11月10日)

私たちは、東日本大震災後、他県の自治体から来たたくさんの応援職員の皆さんやボランティアの人たちに助けられ、少しずつ復旧、復興していく町で生活しています。

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大雨被災地の広島県広島市の山田一雄さんは、気仙沼の子どもたちに野球用品や支援金などの支援を続けている「チーム気仙沼」の監督を務めています。
今年も8月に気仙沼市の野球少年たちに野球用品と支援金、お好み焼きの炊き出しを届けていただいたことを「ココロプレス」でもご紹介しました。

2014年8月29日 金曜日
笑顔のお好み焼きを気仙沼へ届けます(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/08/blog-post_99.html


8月の気仙沼市での活動を終え、山田さんが、地元広島へ戻ってから1週間ほどした平成26年8月20日未明、豪雨と土砂災害が起こり、広島市で74人もの尊い人命が奪われました。

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土砂災害から2カ月半後、広島県安佐南区へ行ってきました。


被害の大きかった広島県安佐南区八木地区
壊れた車が撤去されずに残っていました
(撮影:平成26年11月8日)
「東日本大震災の被災地で活動していてよく話に聞いたのは「ドン」という轟音がして間もなく津波が来たという話でした。広島の被災地でも多くの被災者が同じように「ドン」という轟音がして、あっという間に山が崩れてきたと話すんですよ」と山田さんは話しました。

大きな岩が雨水と一気に山肌を滑り下りてきたのを感じます
(撮影:平成26年11月8日撮影)

「夜が明けて、被災した地域に住む先輩の消息を探しに向かいました。駅前の会社から通常だと車で20分ほどの場所まで4時間もかかりました。やっとの思いでこの地域に来ると、道路に濁流が流れ大きな岩が民家を押しつぶし、言葉にできない風景でした」

門壁が壊された民家
(撮影:平成26年11月8日)
「自衛隊、警察、消防が危険な地域の捜索をしていました。一刻も早く不明の人を救出したい、そんな思いを感じる活動でした」

この日も多くのボランティアが溝の泥カキ作業をしていました
(撮影:平成26年11月8日)
「私たちも安全を確保しながらできることを被災地の人たちのために始めました。翌日には沖縄からそして東日本大震災の被災地からスコップを担いでボランティアに多くの人が駆けつけてくれました」


「支援物資も全国から私のところにだけでも18トンも届けていただきました。3日間は店も開けられないほどの、全国の皆さんの『広島がんばれ』という温かい思いに励まされました。ありがとうございました」

土砂災害の傷跡が残る広島県安佐南区八木地区
(撮影:平成26年11月8日)
「気仙沼市からも多くの人たちがボランティアに来てくれました。その思いがとてもうれしくて抱き合ってボランティアに来てくれた人たちと泣いたこともあります」と山田さんは振り返りました。

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山田さんは、東日本大震災が発生した後、自分にできることを探しました。山田さんの仕事が「プロ野球の用品の販売」ということもあり、多くの人の協力を得ながら、気仙沼の子どもたちに野球用品の支援を続けています。
山田さんは、これからもこの活動は続けていくといいます。

広島市の被災地で地元支援と
「チーム気仙沼」の監督として気仙沼市の支援を続ける山田一雄さん(右)
広島市の被災地でボランティアの支援を続ける
被災したお好み焼きのお店「うつろ木」の女将さん(左)
「この空がつながっているように私たちもつながっています。私たちも東日本大震災被災地のことは『忘れない』」と山田さんは話していました。

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東日本大震災から3年8カ月。広島の土砂災害から3カ月。
めまぐるしく動く社会情勢の中で、被災地への関心は薄れています。
山田さんは、東日本大震災後、広島の土砂災害の後に「伝えること」の大切さをあらためて考えていました。
「未来へ私たちができること」それは「伝えていくこと」だと被爆2世でもある山田さんは話します。

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第二次世界大戦の終戦から69年。来年は70年を迎えます。戦争の体験を話せる人が減り、戦争について私たちが知ろうとする時、資料を参考にするしかない時が刻一刻と迫っています。

山田さんと広島の「原爆ドーム」を訪れました。

原爆ドーム
(撮影:平成26年11月8日)
たくさんの尊い命が奪われた戦争があったこと、アメリカ軍が原子爆弾を投下したこと、原子爆弾の投下後広島の人たちがどんな苦しみを経験したのかも歴史の中に埋もれ始めています。

私たちは、広島の戦争苦しみの記憶が消えゆこうとする今に習い、次世代に東日本大震災の記憶を語り継ぎ、「命を守ること」の大切さを伝えていかなくてはならないと強く思いました。

(取材日 平成26年10月8日)