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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年11月9日日曜日

2014年11月9日日曜日10:52
kaiiです。

今年は港町気仙沼には暗いニュースが続きました。
大西洋でのマグロの漁獲制限の拡大、大型ホテルのフカヒレの提供の中止、カツオの不漁など今後の気仙沼港のそして漁業の存続を左右する問題が突き付けられています。


気仙沼魚市場の風景
(撮影平成26年10月6日)

「港町気仙沼」の存続のために努力する一人が宮城県北部船主協会の吉田鶴男(よしだたづお)さんです。

「港を存続させるためには漁業が存続できなくてはいけません。漁業を担う漁船員の不足に対する手当てが急務です」と吉田さんは話します。

国土交通省から無料船員職業紹介所の資格を受けている宮城県北部船主協会は、「海のハローワーク」として船員の仕事を紹介することができます。

「3K」仕事とやゆされる海の仕事。少子化の影響もあるのか、北海道、東北の海洋系及び水産高校を訪問し希望者を募っても、平成16年度から平成20年度までの5年間は志願者はゼロでした。
平成21年春から希望者が年間3、4人現れ出しましたが、その矢先に東日本大震災が発生。港町気仙沼も大きな被害を受けました。
船を持つ会社の多くが被災し書類なども全て失い、船主として会社を存続できるかどうかも分かりませんでした。

宮城県北部船主協会の事務所も津波の被害を受け、事務所を移転するなどしながらも洋上で働く人たちの仕事を支えました。

平成23年9月から、「漁船員になりたい」という乗船希望者が集まり始めました。
吉田さんはスマートフォンなどを多くの若者が利用していることに気付き、平成24年2月から船主協会のブログ「漁船員(漁師)になろう!」を立ち上げました。


「若い漁船員の成長を楽しみにしています!」と話す
宮城県北部船主協会 労務部長 吉田鶴男さん

吉田さんは、ブログ「漁船員(漁師)になろう!」の立ち上げを、震災前から考えていました。
しかし、「海の男にインターネット(ブログ)は似つかわしくない」と断念していたそうです。

しかし、スマートフォンが発売されたことで、「海の男にもインターネット(ブログ)で呼び掛けることはは可能」だと思い直し、普及率が25%を超えたらブログを立ち上げようと決めていました。
スマートフォンの普及は想像以上に早く進み、平成24年1月にテレビニュースでスマートフォンの普及率25%達成が報じられるとすぐに行動に移りました。

ブログの内容は、募集活動や実技訓練の様子、乗船についての心構え等を中心に書き続けています。
吉田さんは「安易に漁船員として生活を始めても、途中で挫折すると本人のためになりません。内容の9割は洋上での厳しい生活を伝えることにしています」と話します。

厳しい話を聞いても、気仙沼で「漁船員になりたいと希望して来る若者」は、現在も増え続けています。


台風18号から気仙沼港に避難する漁船
(撮影 平成26年10月6日)

船主協会のブログを吉田さんが書き始めて2年8カ月。
漁船員として働きたいという若者が50人を上回りました。
全国から漁船員として働きたいという問い合わせのほとんどはブログを読んだ方だと言います。

「気仙沼で漁船員になりたい」

せっかくそんな若者たちが増えても、震災後の気仙沼には、その人たちを受け入れ出港までの間、宿泊ができる場所がないのが課題だと言います。

「おかえりなさい」

そう言って長い洋上での生活を乗り切ってきた人たちを迎え入れる環境が、震災前の気仙沼にはありました。
しかしそうした漁船員のための施設も、津波被害をで無くなりました。

「港町気仙沼が好き」「将来は気仙沼に住みたい」と漁船員になった若者の中には気仙沼への移住を希望する人もいると吉田さんは言います。

今の急務は漁船員の育成。船があっても漁船員がいなくなれば「漁」はできない。

漁船員として働く人たちが「休める」「出港の準備ができる」施設が必要だといいます。
施設を建てることについて、「費用対効果と言われると回答し難い問題ではありますが、『人』がいて『仕事』ができるのは洋上も陸上も同じだと思います。ワンルームマンションほどの機能があるだけでいいと」と吉田さんは宿泊施設ができることを切望しています。

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「貨幣経済の感覚では洋上の仕事は続かない」と吉田さんは話します。

初めての航海から帰った若者に洋上での生活や仕事のことを聞くと、「仕事はしんどいけど、マグロが釣れた時の感覚が忘れられない」と話したそうです。

漁船員として航海に出て行った若者の離職率は高くないといいます。再び航海へ出て行く人が多いそうです。
しかし、洋上から吉田さんのところに届く「洋上日誌」には辛さと楽しさが綴られてくるとも言います。

吉田さんは航海を終えて帰った若者が海の男として成長していく姿を見ることが何よりうれしいと話し、家族のような気持ちで、洋上で働く人たちを見守っています。


宮城北部船主協会事務所からの気仙沼魚市場の風景
(撮影 平成26年10月6日)


マグロといえば、私たちはその資源としての面について話題にすることはあっても、漁船員が不足していることやその人たちが洋上でどの様な生活をしているのかを耳にする機会はなかなかありません。

帰港した漁船員さんたちがゆっくり休める場所がないことも、今回の取材を通じて私は初めて知りました。

厳しい環境の中で苦労して漁を行い、マグロなどの魚を私たちの食卓に届けてくれる人たちがいることも私たちは忘れてはならないと感じました。

(取材日 平成26年10月6日)