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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年11月4日火曜日

2014年11月4日火曜日13:07
市役所内に設けられたスタジオの様子(写真提供:BAY WAVE)
ザーリャです
塩竈市本土を襲った、高さ4.7mの津波。
塩竈市の港から200mに位置していたコミュニティーFMBAY WAVE(以下、ベイウェーブ)は、その直撃を受けました。

震災翌日、泥だらけでスタジオに戻った専務取締役の横田善光さんが見たものは、スタジオ機材が、海水に浸かった姿でした。

「スタジオから放送を再開したい」。そのわずかな望みを断ち切る光景でした。

「今でも、被災者の目線での番組作りを心掛けています」と話す、横田善光さん

ココロプレスでは、横田さんの講演の様子もご紹介しています。こちらをご覧ください。
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2012年12月23日 日曜日
震災で地域FM局が果たした役割(多賀城市、塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2012/12/fm.html
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「地元のメディアとして、でも、何かをしなければならない時だ」

スタッフとの打開策を探る話し合いは、一晩に及びました。

次の日の朝、横田さんが訪れたのは、市役所の防災課でした。
「100Wもいりません。それだけあれば、ラジオが再開できる」。

一切の明かりが消え、避難した市民であふれる塩竈市役所。そこで横田さんに対応したのは、日頃から「塩竈市に何かあったら、その時はお願いします」と話していた防災課長でした。

「間もなく、市内各所の防災無線の電池が切れます。そうなれば、防災無線室の電池の使い道がなくなり、『空き』が出る。その電源を使って、なんとか放送を再開してください。私たちには情報発信の手段が何一つない。なんとか、お願いします」

ポータブルの機材で、放送を再開。長机一本だけの小さな臨時局でした。
(写真提供:BAY WAVE)

すぐさまスタッフと共に市庁舎2階の「防災無線室」へ機材を搬入、1本の「長机」の上に収まる「仮設放送局」を設置しました。

震災から2日が経過した、13日の18:40。提供された電源を使い、放送を再開しました。

初めて流されたのは、災害対策本部がまとめた緊急情報。真っ暗な部屋で、懐中電灯で原稿を照らし、凍てつく指でA4の
原稿をめくりました。

◆「宮城県沖地震」に備えた、地域コミュニティFM
塩竈市のコミュニティFM「ベイウェーブ」が開局したのは1997年。
当時放送事業の許認可を行っていた郵政省(現在は総務省)は、阪神淡路大震災(1995年)でラジオが大きな役割を果たしたことを教訓に、「1自治体に1放送局」という政策を推進していました。

「宮城県沖地震も間違いなく発生する。だから、塩竈にもラジオ局が必要だ。そのような考えで設立されたのが、『ベイウェーブ』だったんですね」

設立準備からベイウェーブに関わってきた横田さんは、設立の背景をそう話します。

「出発点が、宮城県沖地震に対する『備え』。当然ながら、震災発生時の『災害マニュアル』もできていました。もちろん津波も想定したものでした」

スタジオに押し寄せた津波の様子(写真提供:BAY WAVE)

当時想定していた津波の高さは、「1~2m」。塩竈市が作成していた津波浸水マップでも、微高地上にあるスタジオは、津波の及ばない「安全地帯」になっていました。

「その根本の部分が崩れてしまった。当然のことながら、そのマニュアルはまったく役にたたない状況に追い込まれました」

◆「臨時災害放送局」として
震災から1週間が経過した3月18日、それまで連絡が取れなかった総務省東北総合通信局と電話がつながりました。
市役所からの放送を「臨時災害放送局」として承認し、出力をそれまでの10倍、100Wに上げることが認められました。
出力が大きくなれば、視聴エリアが大幅に拡大され、孤立する浦戸諸島にも電波が届くかもしれません。

「新局開設の申請は、この電話で受付します。後の申請は後日で結構なので、横田さん、なんとか、塩竈の人たちのために頑張ってください」

電話口の担当官が、そう言いました。

臨時災害放送局として、屋上にアンテナが新設されました
(写真提供:BAY WAVE)

それらを受け、すぐさまスタジオを市役所4階に移動して、出力100Wに対応できるアンテナを屋上に設置しました。

すべての切り替え作業が終了した14:20、新たな放送局「しおがまさいがいFM」が放送を開始しました。これに伴い、コミュニティFM「ベイウェーブ」は「放送休止」の扱いとなりました。

「ここまでスムーズに準備できたのは、多くの方々の協力があったからです。当初からラジオの再開を全力で支援してくれた宮城ケーブルテレビ、場所と電力を提供してくれた塩竈市、『いつでも再開できるように』と機材の準備を整えてくれた民間業者、そして国。どこか一つでも欠けていたら、放送の再開は難しかったでしょう」

◆塩竈市との防災協定
地元メディアとしての地域貢献。
その一つとして、ベイウェーブは平成16年4月に塩竈市との「防災協定」を取り交わしていました。

その内容は、緊急時に市からの要請があった場合、無条件で緊急放送を行うというもの。市内のさまざまな企業もそれぞれの分野での協力を約束していました。

横田さんは、「市の避難訓練や、防災会議に出席するなど、事前の震災への『心構え』としては大きな役割を果たしていた」と話します。

塩竈市長も、避難する市民へ呼び掛けを続けました
(写真提供:BAY WAVE)

「しかし、これほどの災害で現場は混乱しきっていました。協定を交わしていた企業自身も被災するなど、協力できなかった企業も多いと思います。しかし、当時の塩竈市では『協定』の有無に関わらず、協力を申し出る企業もたくさんありました」

今回の震災を受けて、見直しが行われ塩竈市の地域防災計画。それに合わせ、より効果的な運用を目指して、防災協定の検討が図られています。

◆「被災地神戸」からの大きな支援
今回の津波により、ベイウェーブは約半数の機材を失いました。被害額は2000万円に上ります。
その支援の申し出が、阪神淡路大震災の被災地から上がりました。

神戸の「神戸須磨ロータリークラブ」を中心とした5つのロータリークラブの皆さんでした。

「被災地の苦しみを、身を以て経験されているからなのでしょう。神戸の皆さんからの度重なる温かな支援を、私たちは決して忘れることができません。」

(写真提供:BAY WAVE)

今もスタジオのあちこちに貼られた、「ロータリークラブ」のステッカー。
横田さんは、ステッカーを見つめながら話しました。

「臨時災害放送局のスタジオを、私たちはいつからか、『ロータリースタジオ』と呼んでいました。その神戸からの心からの支援に、スタッフみんなが、感謝を込めてそう呼んでいたのです。これからも、私たちはその皆さんの思いに応えたいのです」

ロータリークラブによる、セレモニーの様子(写真提供:BAY WAVE)


◆強化された放送システム
震災後、放送が中断したという教訓。
それを受け、放送システムを強化する整備事業が進みました。そのもっとも大きなものが、高台に位置する塩竈ガス体育館(海抜77m)に併設する、新送信所の建設です。

新設されたアンテナ(写真提供:BAY WAVE)
送信機材(写真提供:BAY WAVE)

高さ28mの新アンテナに加え、震災時でも放送が継続できるように、自動で起動する発電機など、バックアップの機材も配備。これによって、ベイウェーブの出力も震災前の2倍(20W)に増力され、浦戸諸島も含めた塩竈市全域で放送の受信が可能になりました。

また、緊急時には「臨時災害局」として、出力を100Wまで増力できるようになりました。震災前の設備では、対応できなかった大きな出力です。

新送信所が整備されたことから、市役所や、車両内など、どこに放送局を設置しても放送を継続できる体制も整いました。

海岸通りに新スタジオが完成しました
(写真提供:BAY WAVE)

ソフト面でも防災に向けた整備が進みました。
新しく平成25年から運用が始まった、「緊急情報伝達システム」。塩竈市の防災行政無線が鳴ると、その内容がラジオ放送に「自動割込み」して流れる仕組みです。同様に、気象庁の特別警報や、政府のJ-ALARTにも対応するこのシステム。住民への情報の周知に大きな役割を果たします。

塩竈市では、今年の12月をめどに、このシステムに対応する「防災ラジオ」1000台を、災害時要支援者へ配布する計画です。

「台風や豪雨、そして冬季など、窓を閉め切ることで、防災無線は聞き取りにくい状況になります。この緊急情報システムは、市民の『情報格差』の発生を防ぎ、安心安全な『まちづくり』の推進に寄与するものだと考えています」

新スタジオの外観
◆地元メディアの役割
東日本大震災でベイウェーブの放送が休止した2日間。
横田さんは、その2日間を「短いようで長かった」と振り返ります。

「せめてその半分の時間で放送ができていれば、もっと市民の皆さんも安心できたのでは」

地域に密着した放送局の役割。それは、そこに暮らす人々の生活を「ケア」することだ。
横田さんの信条です。そして「ケア」が止まった2日間を振り返り、横田さんは心を新たにしています。
「放送の中断を、もう繰り返さない」。

横田さんは今、全国からの取材や講演依頼に対して、精力的に応えています。
近年、巨大地震発生の危険性が指摘される東海、東南海、南海地方。
東日本大震災の発生を受け、各地の自治体では、被害予測の見直しを進めました。その結果、今までの予想をはるかに
超える予想が公表されています。その対応に、「私たちはどうしたらいいのですか?」と、戸惑い悩む方々も多いと横田さんは言います。

「震災が起こった時に、東北では何が起こり、どう対処していったのか。私たちの経験を話すことが、次の減災に、きっとつながります。語り続けることもまた、放送業務と同様に、私たちが途絶させてはならない重要な努めです」

訪問先の地域の人々と共に、その「減災」への手立てを考えたい。

地域に密着したコミュニティ放送の経験。
その教訓は今、地域の枠をはるかに越えて、全国で活かされようとしています。


(取材日 平成26年9月16日)