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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年11月21日金曜日

2014年11月21日金曜日13:09

ザーリャです。
日ごとに寒さが深まり、先週からは雪をいただいた蔵王連峰や泉ヶ岳を見ることができるようになりました。仙台平野に吹き下ろす風も、一層肌を突き刺すようになってきました。

しかしながら、その冬の訪れで楽しみなのが、東北の冬の味覚。その代表的なものが、宮城県沿岸で収穫される「カキ」でしょう。


宮城県のカキ養殖の歴史は古く、西暦1600年代には始まったと言われています。ホヤが好物だったという伊達政宗ですから、おそらくカキも好んで食べていたに違いない(・・・と私は思っています)。

ちなみに、カキの産地として宮城県と並んで有名なのは広島県ですが、広島県のカキのほとんどが加熱用であるのに対して、宮城県のカキの多くは生食用だそうです。

養殖方法にも違いが。広島では「いかだ式養殖」による企業的経営なのに対して、宮城県は「はえ縄式養殖」による個人養殖。しかも養殖専業の家は少なく、多くの場合は他の漁業との組み合わせで養殖されているそうです。

その養殖業を襲ったのが、2年続いた津波被害でした。平成22年のチリ地震津、平成23年の東日本大震災によって、それまで年間4500トン前後で推移していたカキの生産量は激減し、震災翌年にはその1/9である500トンにまで落ち込みました。

しかし、その後の養殖家の皆さんの努力や、さまざまな支援により、再び宮城県のカキが味わえるまでに復旧が進んでいます。

11月16日(日)、塩竈湾に浮かぶ浦戸諸島の桂島で「桂島牡蠣まつり」が開催されました。



桂島までは、塩竈市のマリンゲートから塩竈市営汽船での23分の船旅。船には多くの家族連れの皆さんも。

強い北風が吹き付けましたが、甲板には美しい景色を楽しむ皆さんであふれました。


無事に桂島に到着!島陰で北風も遮られ、静かで暖かな桂島漁港。「自然の良港」であること感じます。


漁港から歩くこと5分。カキ祭りの会場であるカキ処理場前広場へ向かいます。


ふと海を覗き込むと、どこまでも澄み渡っています。大きな魚の群れが回遊しているのが見えました。とにかく、海がきれいです。

会場に到着!入り口では島の皆さんが整理券を配布していました。


この日は来場した皆さんに、焼きガキとカキ汁の振る舞いがありました!
手作りの整理券は、そのためのもの。取材の私にも整理券をくださいました!一瞬、取材を忘れそうになる私。失くさないようにしないと。


会場では、漁協の皆さんによって既にカキが焼かれていました。白い蒸気がふたの間から噴き出しています。「蒸し焼き」のようです。「あと5分。もうちょっと待ってねーーー!」。島の皆さんが、待ちわびている来場者に声を掛けます。


焼きガキに心を惹かれながらも、さらに会場へ。毎年大人気の生ガキの販売には、すでにたくさんの人が並んでいます。500グラムで1,200円。さすがに本場の産地のお祭り価格。一人で何本も購入される方がほとんどで、あっという間に売り切れてしまいました。


こちらがふるまわれていたカキ汁。船旅で冷え切った体が温まります・・・!口に入れた途端に、濃厚なカキの香りが広がります。

「カキ汁もカキ飯も、結構たくさんカキを入れないと、味が出ないんだよ。どうぞ、いっぱい食べていってねー」


会場はまさに、「カキ尽くし」。ふるまいのカキ汁に加えて、カキ飯、カキカレー、カキ焼きそば。



会場ではどのコーナーも長蛇の列です。島の皆さんが生産した漬物や味噌、カキの佃煮などの加工食品も人気を集めていました。


会場でにぎやかに食事をする皆さんにお会いしました。島のおばあちゃんと、本土から来たお孫さんたちだそうです。


カキが焼き上がりました・・・!ふたを取ると、回りが真っ白になるほどの水蒸気が上がります。


焼きあがったカキは、島の皆さんによって手際よく開けら、来場者に振る舞われました。


「今年のカキは、とても実入りがいいんですよ。例年ですと、これぐらいまで成長するには、年明けを待たなくてはならないのです。どういうわけかは分かりませんが、天候なのでしょうかね」

塩竈市浦戸桂島地区カキ部会部長の内海公男さんは言います。


「震災の年、最初はもうカキを作れないかと諦めていました。ところが、野々島と朴島に無事だった種カキがあるということで、都合してもらうことができました。それで、震災前の5割ほどの量のカキを作ることができたのです」

浦戸諸島の島々に到達した津波の高さは8メートル。カキだけではなく、養殖に必要な港湾施設やカキ処理場も被災しました。その中で、唯一大きな被害を受けなかったのが、桂島漁港だったと言います。

「桂島では38軒の家が流されました。しかし幸いだったのは、人的被害が無かったことと、作業に欠かせない船の被害が無かったことです。すぐに復旧に向けた作業に取り組めた家もありました。今回の津波では、地形によって被害の状況が大きく異なりました」

浦戸諸島で、唯一残った桂島のカキ処理場。震災の年は、施設を失った寒風沢島、野々島、朴島の皆さんも、共同で桂島の処理場を使い、牡蠣祭りも共同で開催しました。

「震災によって島からだいぶ人が出て行ってしまいました。しかし、その一方で、いろいろなところからご支援をいただいて、震災以前にはなかった交流が増えました。そうした方々の力をお借りしながら、産業を伸ばして島を盛り返したいですね。震災を機に、震災以前以上に発展すればと願っています」

処理場にはこばれた新鮮なカキ

桂島でカキ養殖を行う方々は9人。その1人である内海春雄さんにもお話を伺うことができました。

「年々行列も長くなっています。やっている我々も、とてもうれしいですね。今日も、お昼前に売るものが無くなってしまいました。本当に、ありがたいですね」

春雄さんは、そういって顔をほころばせました。
再会を喜ぶ内海春雄さんと、山形市東部公民館の大江さん

震災によって島全体が孤立する経験をした浦戸諸島。しかし、どの島の島民も、力を合わせて苦境を乗り切ることができたと内海さんは言います。「島のコミュニティは小さなものですが、それなりのつながりや絆を感じた出来事だった」と、春雄さんは当時を振り返りました。

後編につづく

(取材日 平成26年11月16日)