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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年10月3日金曜日

2014年10月3日金曜日10:30
こんにちは、にゃんこです。

宮城県の最南部に位置する亘理郡山元町。
東は太平洋、西は阿武隈山地の丘陵地帯があり、山と海に囲まれた自然豊かな町です。

そんな平穏な町を突然襲った3.11の大震災。

あの日この町で何が起こったのか―。
震災がこの町にもたらしたものは―。

その記憶を後世に語り継ぐため、さらに歴史や自然など山元町の魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと、2013年7月「やまもと語りべの会」が発足しました。

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やまもと語りべの会「山元案内人」ガイド

予約・問い合わせ
事務局代行 (有)橋本商店 
TEL.090-4316-9899 FAX.0223-37-0146

渡邉修次会長Facebook
https://www.facebook.com/shuuji.watanabe.395

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未来のために“山元を語っていこう”という「山元案内人」です。
中心となるのは、会長の渡邉修次さん
渡邉会長は、震災当時は山元町立山下中学校の校長を務めていらっしゃいました。

震災時、山下中学校は避難所として約1,000人もの避難者を受け入れました。
それは約4カ月にも渡る長いものでした。その指揮をとったのが渡邉会長です

「震災後、各地で語り部ガイドができるなか、山元町にはなかなかできなかった。元々私が個人的に活動していたこともあり、何度か研修会を開いて『やまもと語りべの会』を立ち上げました。

山元の案内人なので、被災地ガイドだけではなく、山登りや歴史探索、そば打ち体験などもあります。例えば野草に詳しい方とか、その人の得意分野で山元の魅力を発信していくんです。山元の『人』が財産です。山元の“匠”、“達人”を有することで、他地域との差別化を図る。そうすることで被災地のガイドも生きてくると思うんです。これまでの山元の歴史の中に、震災も1ページとして入れ込むことができれば、山元の活性化、さらに交流の入り口や観光地としてもつながることができるのではないかと考えています。

山元町には観光協会がないんです。集客や観光は役場が中心となってやっていました。震災後は特に発信力が勝負なのに予算も人も足りない。被災当時から報道が少なく、補助金も少なかった。ボランティアも少なかったんです。でも今からでも遅くないと発信したかったんです」


まだまだ暑さが厳しい8月下旬、被災地体験学習のために山元町を訪れた群馬県館林市立第一中学校のバスに同乗させていただき、私も被災地ガイドに参加してきました。

この日は、JR常磐線旧・山下駅から南下し、旧・坂元駅や中浜小学校を回るルートです。

現在の旧・山下駅。駅舎やホームはなくなり、トイレのみが残されています




震災時の写真を掲載した看板。被害の大きさを知ることができます。
この看板は、町内の各場所に設置されているそうです


渡邉会長も講師としてバスに乗り込みガイドを務めます。


山元町の人口や特産品など町のあらまし、震災当時の被害状況について、さらに仮設や現在の復興状況まで分かりやすく説明してくださいます。

「当時の山元町の人口は約1万6,000人。震災で635名の尊い命を亡くしました。大半の方が津波です。約5,000人の方、面積の約4割が津波をかぶったんです。現在の人口は1万3,000人まで減ってしまいました」

当時山下中学校の校長をしていた渡邉会長さんご自身も、4名の生徒を亡くされています。

バスは「山下第二小学校」付近を通過します。
山下第二小学校は海から約400mの地点に位置します。

「高さ約9mもの大津波が6.2mもある防波堤を軽々と乗り越え、小学校に襲い掛かりました。それでもその時学校にいた児童201名全員の命が助かりました」


バスから見える景色は、草が一面に生い茂った草原ばかり。
初めて訪れた私には、つい3年前までここに集落があったことさえも想像するのが難しいほどでした。



しばらくすると空き地となった場所に建つ慰霊碑に花を手向けられていらっしゃる方が見えました。
ここは、20数名もの教習生が犠牲となった「常磐山元自動車学校」です。

震災後の「常磐山元自動車学校」。建物は解体され今は空き地となっています
(写真提供:みんなの写真館)

「ここら辺は災害危険区域に指定されていて、自分の土地があってももう家が建てられない場所。私の家もこの線路の東側にありました。もう50年も住んでいましたが、今はもう住めません。もし住むとしたら1m50cmの土盛りをしなければならない地域です」


約12mもの津波が押し寄せたJR常磐線旧・坂元駅
私も大学生の頃何度か利用したことのある思い出の場所です。

今は跡形もなく残骸が残るだけです。
大津波で破壊されたJR常磐線旧・坂元駅
(写真提供:みんなの写真館)

「ここはこれから県道が走る予定です。津波の襲来に備えその進行を遅らせるため、5m以上の土盛りをして作られるそうです」


そして、見学場所となる「中浜小学校」へ到着です。


(中編へ続く)

2014年10月6日 月曜日
悲しんでばかりはいられない~「やまもと語りべの会」[中編](山元町)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/10/blog-post_6.html

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ここで少しブレイクタイム!

山元町の特産品についてお勉強したいと思います。

山元町はイチゴ、リンゴ、ホッキ貝の産地としても有名です。特にイチゴは東北有数の生産地です。

(写真提供:宮城県観光課)


震災で129軒あったイチゴ農家は5軒だけを残し、全部流されてしまいました。
それでも1年目で19軒が復活、現在は約90%以上の農家が復活しているそうです。

イチゴと言えば「とちおとめ」や「紅ほっぺ」などさまざまな品種がありますが、
亘理、山元町のイチゴと言えば…皆さんご存じですか?

そう「もういっこ」です!

大粒の果実とさわやかな酸味が特徴で、ついつい「もう一個!」と手を伸ばしたくなることから
名づけられた宮城のブランドイチゴです。

元気になったイチゴ農家の方やおいしいイチゴに会いにぜひ亘理、山元町にいらしてください!

そして、これからの季節はホッキ貝!
今年はおそらく12月中旬頃からホッキ飯も登場する予定です。

ホッキ飯(イメージ)
写真提供:宮城県観光協会

貝の旨みがギュッと凝縮したホッキ飯をぜひ食べにいらしてくださいね。

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(取材日 2014年8月21日)