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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年10月11日土曜日

2014年10月11日土曜日8:00

桟橋には、羽を休めるたくさんのウミネコ。港の沖合には、緑の島々が重なり合い、たくさんの船が行き交っています。真っ青な海を渡り、観光客を迎える心地よい海風。しばし、取材を忘れて、その美しい風景を眺めました。

ザーリャです。
宮城県塩竈市にある松島湾観光の拠点、旅客船ターミナル「マリンゲート塩竈」。その西側の「みなと広場」に、「しおがま・みなと復興市場」(塩竈市海岸通仮設施設)はあります。オープンは2011年の8月。宮城県内の仮設店舗商店街としては、最も早く設置された仮設商店街です。鮮魚店や食品、衣料など15の店舗が向かい合い軒を連ねます。

その復興市場で代表を務めているのが、佐藤鮮魚店佐藤秀治さん
震災前はJR仙石線本塩釜駅からほど近い、「塩釜海岸中央鮮魚市場」(通称「闇市」)で鮮魚店を営んでいました。お店は佐藤さんのご両親が、戦後間もないころに開いたもの。佐藤さんも、高校生の時からお店を手伝い、以来50年以上にわたって魚一筋で生きてきました。

「お客様には心を込めておもてなししたい」と話す佐藤秀治さん

「一度立ち寄ってくれたお客さんがね、応援したいと言ってね、遠くからまた来てくださるのです。本当にありがたいことです」

昭和35年(1960)のチリ地震津波から再建した「闇市」の店舗も、今回の東日本大震災の津波で再び被災し、周りの店舗と共に取り壊されました。最盛期には20軒以上の鮮魚店が軒を連ねた「闇市」の跡地は、震災後に塩竈市が進める「海岸通地区市街地再開発事業」の予定地となり、更地のままの状態が続いています。

「店舗がここに移転したことを知らないお客様がね、以前のお店のあった闇市に来てね、驚く人もいますよ。すっかり、何にも無くなってしまったからね」

◆直感した、津波の到来
東日本大震災の発災当時、いつものように店舗にいた佐藤さん。その異常な揺れに、「津波の到来を直感しました」。迷うことなく、お店はそのままで、藤倉地区にある自宅へ家族と共に避難したと言います。多くの方々が、かつてのチリ地震津波を経験していた市場の皆さん。その避難は、「非常に早かった」と佐藤さんは振り返ります。

震災の発生から1時間16分が経過した16:02。塩竈市の本土側に、高さ1.5m~4.8mの津波が到達し、市街地中心部を飲み込みました。佐藤さんが、再びお店に入れるようになったのは、津波の去った2日後。市場の様子は、「とても手が付けられる状態ではなかった」と言います。

かつて「塩釜海岸中央鮮魚市場」(通称「闇市」)があった跡地。
今もほとんどが更地になっています
◆再び歩き出すために
「仮設店舗ができるまで、さまざまな後片付けに追われました。それでもお客様から商品の注文があれば、何とかして手に入れて、発送していました。手に入らないものは、仙台の市場まで出てね、探しました。お客様がね、離れてしまいますからね」

仮設店舗ができるまでの間、車での移動販売も行いました。営業場所は「あそこでやればいいよ」と、お客さんが教えてくれました。干物などの調理が簡単な商品が良く売れたそうです。

そうして迎えた6月。「しおがま・みなと復興市場」のプレハブ店舗が建設され、準備ができた店舗から、入居が始まりました。営業を再開するためには、流失した機材を買いそろえなければなりません。物不足が続く中で、入居する皆さんには大変な苦労があったと言います。佐藤さんの営業準備が整い、本格的に営業を再開したのは8月でした。すべての店舗が入居した全面オープンは、10月を待つことになりました。

再開した当初は来客数は非常に少なかったのですが、報道や口コミなどで復興市場の存在が知られるようになると、徐々に来客数は伸びていきました。仕事やボランティアで塩竈を訪れた人々が、復興支援の一環として、復興市場を訪れました。

「ここに来てよかったのは、毎日、お客さんに会えるということだね。お客様に、なんだかんだで勇気がいただけます。おかげさまで、私も健康に働かせていただいています。お客様とのコミュニケーションを大切にしてね、おもてなししてね。私はね、それが一番いいと思うのですよ」


◆「復興市場」―減少する来客者数と、移転先の問題
復興に向けて、さまざまな試練を乗り越えて営業を再開した復興市場の皆さん。しかし、震災から3年半が経過し、さまざまな問題にも直面しています。

「一つには、お客様の数がだいぶ減ってしまったということですね」

震災後の2年間は、「復興支援」の活気にあふれていた復興市場。3年目を経過したころから、次第に来客数が減少し、経営も厳しくなってきていると言います。生活を建て直し、力をつけるための仮設店舗の営業が、商店の努力だけでは乗り越えられない「震災の記憶の風化」という現実にさらされています。

また、「しおがま・みなと復興市場」には、もう一つの大きな課題があります。
復興市場の営業期限が、来年平成27年の1月15日で終了するという事です。

復興市場に出店しているそれぞれの店舗は、その期限までに、自力で代替え地を見つけて移転しなければなりません。「今後どうなるのか、まったく先が見えない」と佐藤さんは言います。

「本当に大変になるのは、今からだと思っています。まだそれぞれの商店の代替え地も決まっていませんし、移転には新たな土地と資金が必要になります。しかし、被災した商店には、それだけの体力がまだ付いていません。街の再開発も進まない中で、個々の商店が独力で移転再開するということは、今はまだ大変難しい時期だと思うのです」

現在の「しおがま・みなと復興市場」のある「みなと広場」は、市場の閉鎖の後、防潮堤と高架式の津波避難デッキが建設される予定になっています。

できることであれば、現在の復興市場のように、罹災した店舗が集まって、営業を続けていきたい。「しおがま・みなと復興市場」の皆さんはそう考えています。

そのためには、何より、営業をするための土地が必要です。

「そのような場所を提供していただければ、皆移りたいのです。場所さえあれば、私たちは、まだまだできる。私たちが復興するためには、やらなければいけないことが、まだいっぱいあるからね」

復興へ向かうための道が、今も模索されている復興市場。
佐藤さんをまた再び訪ねる約束して、ウミネコが鳴く復興市場を後にしました。


(取材日 平成26年9月11日)