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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年10月16日木曜日

2014年10月16日木曜日11:55
穏やかな塩竈の内海。マリンゲート塩竈からの眺め
ザーリャです。
宮城県塩竈市にある観光の拠点、旅客船ターミナル「マリンゲート塩竈」。
その西側の「みなと広場」にあるのが、震災の年の8月に設置された仮設商店街、「しおがま・みなと復興市場」(塩竈市海岸通仮設施設)です。鮮魚店や食品、衣料など15の店舗が軒を連ねます。

ココロプレスでは、その復興市場の様子をご紹介しています。
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2014年10月11日 土曜日
失われた「闇市」。そして「復興市場」へ(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/10/blog-post_11.html
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その店舗の中で、宮城県漁業協同組合に所属するのが、「共栄丸水産」、「幸進丸水産」、「いとう水産」、「赤間水産」の4店舗。長年にわたり、塩竈湾で漁業を営んできた方々です。復興へ向け、海での共同作業を行いながら、漁協の直営店として塩竈湾の海産物の販売・PRを行っています。

◆全国で評価される「塩竈産」をめざして

「震災後、再びワカメを種から培養してね、丹精を込めて育ててきました。その結果、昨年になってやっと『三陸産』にも負けない品質のワカメができたのです。本当に、やっと、やっとさ。うれしかったねぇ」

そう語るのは、しおがま・みなと復興市場で「共栄丸水産」の店舗を営む水間正夫さん
水間さんは、宮城県漁業協同組合・塩釜市第一支所の元運営委員長です。「組合員すべての復興」を果たすために、委員長を退任する今年の6月まで、わが身を振り返る暇もなく、被災地を奔走してきました。

震災当時、漁協の運営委員長だった水間正夫さんと、
隣でワカメの袋詰め作業を行う、妻の水間みちゑさん
塩竈湾の天然昆布を初めて商品化していた水間さん。20年前から養殖品目をワカメと昆布に絞り、以来、試行錯誤を重ねながら、養殖技術の開発に努めてきました。栽培方法の開発は苦労の連続だったと言います。

「出荷量が少ないというだけで、市場で正当に評価されてこなかった」という、塩竈湾のワカメと昆布。その美味しさを広め、塩竈のブランドとして定着させるために、国道45号に面した越ノ浦漁港に直営店を開きました。

◆2年続いた津波と、施設の全滅
長年にわたり、地道な開発努力によって品質向上に努めてきた養殖漁業者の皆さん。その結晶を奪ったのが、前例の無い津波の被害でした。

「私たち養殖漁民は、実は2年続けて養殖施設が全滅する被害に遭っています。東日本大震災の大津波と、その前年(平成22年)のチリ中部沿岸地震による津波です」

東日本大震災の前年、平成22年2月28日。
チリ中部沿岸地震(M8.8)による津波が発生し、太平洋側沿岸の養殖施設に大きな被害をもたらしました。この津波の最大波高は、塩竈市で1.1m。人的な被害はなかったものの、塩竈市の養殖漁業者は壊滅的な被害を受け、その総額は5億円に上りました。
政府はこの被害を「激甚災害」に指定、国を挙げて復旧の支援に当たりました。

右上が東日本大震災による店舗の被害。
それ以外はチリ中部沿岸地震(M8.8)による養殖棚の被害。(写真撮影:共栄丸水産)
水間さんの養殖施設もすべてが流失し、その復旧には相当の経済的負担を強いられました。

「そうやって、何とか養殖施設を復旧させた矢先に起こったのが、東日本大震災の大津波でした。努力して、タンクを据え付けて、種の培養施設まで作って、『これで完璧だ』というものができたところでした。多くの組合員が船と施設を失い、大切な種となるメカブも、すべて流出してしまいました」

しおがま・みなと復興市場に出店している店舗のうち、水間さんの「共栄丸水産」をはじめとする4店舗(「共栄丸水産」、「幸進丸水産」、「いとう水産」、「赤間水産」)は養殖漁業を生業とする漁協の組合員。同様の壊滅的被害を受けました。

「命こそ助かりましたが、もうショックでね、立ち上がれなかったですね。何もかにも、すべて流されたから。もうとにかく、『なんじょすっぺ』と。まず、腰が折れてしまったんだわなぁ。『やる気』までもが、流されてしまったんだねぇ。人と会うのも嫌になってしまってねぇ」

水間さんは、そう当時の心境を振り返りました。

◆背中を押してくれた、娘三姉妹の姿
塩竈市が復興市場の計画を進める中で、水間さんは出店を考えることができずにいました。漁協の組合長として多忙を極めただけではなく、心の底に沈んだ鉛のような虚無感と疲労感が、水間さんの気力すらも奪っていました。

「おとうさん、おかあさん、そんなに考えても仕方がないのだから、前向きに、考えようよ。まず、店を再開しよう。そうしなければ、何も始まらないのだから」。

打ちひしがれる両親を支え続けたのは、さわ子さん(長女)、さと子さん(次女)、さく子さん(三女)の水間さんの3人の娘さんでした。
最初に『再開することの大切さ』を語りかけたのは、三女のさく子さんだったと言います。

「海をよみがえらせ、もう一度父の養殖事業を再開させる」。
その日から、さと子さんとさく子さんは、自ら船に乗り込み、来る日も来る日も塩竈湾の瓦礫を引き上げました。
長女さわ子さんは、商品の新しいパッケージデザインや広告を担当。海産物を用いた料理教室を企画するなど、漁協の商品を少しでも多くの人々に知ってもらうために奔走しました。

水間さんたち漁協グループで生産した塩竈湾のワカメ。
デザインのアイデアや裏面のメッセージは、
長女さわ子さんによるものです

今年から漁協の新商品となった、「塩竈産」の昆布。
新しい塩竈の特産品として、期待が高まっています

「娘たちがね、呆然自失している私たちのために、いろいろと代わってやってくれたからね、そうやって一所懸命に動いてくれる姿を見てさ、自分の娘たちに、背中を押されたんだっちゃね」

水間さんはそう言って、丸めて保管されていたカレンダーを広げました。「これにも、娘が出ているんですよ」。
アメリカの企業が、日本の復興支援のために作成したというカレンダー。その一面で紹介されていたのは、ご両親を支えるため、物産展で懸命に商品の紹介をしている長女さわ子さんの姿でした。

◆多くの出会いがあった、新しいにぎわいの場
多くの観光バスであふれる、週末のマリンゲート。松島観光に訪れた人々が、復興市場での買い物を楽しみます。

「ここにお店を構えたことで、以前にも増して、さまざまな地域のお客様と会えるようになったのね。私たちのことを話すとね、関心を持ってくださるんだね。遠くの方から『おいしいワカメに出会えた、また送ってください』と手紙が来ることもあります。塩竈の商品が受け入れられ、着実にお客様の裾野が広がっていることを実感します」

観光客でにぎわう、日曜日の復興市場。緑色の看板が共栄丸水産の店舗。
漁協の4店舗は並んで入居しています
震災前、お客の多くは近郊から自家用車で来る方々がほとんどでした。
しかしマリンゲートに隣接する現在の復興市場に移ってから、観光客は全国から、そして海外からやってきます。
水間さんは、「ここに出店させてもらっている私たちには、大切な役割がある」と言います。

「漁協に所属する私たち4店舗には、生産した商品に付加価値を付けて、ブランド化し、宣伝をするという務めがあります。塩竈の養殖漁民として、他地域に負けない品質の商品を生産し、自らが全国へPRしていく。そのために、それぞれが一所懸命に知恵を絞っています」

水間さんたち漁協のメンバーが懸命に取り組むのは、塩竈の浅海漁業の将来を支えるためでもあります。

「現在、第一支所の漁協の組合員は70人、その半数は80歳を超えています。将来を担う30代までの若手組合員はせいぜい5、6人。度重なる災害の負担に、廃業を考える組合員もいます。私たち浅海漁業に携わる人間が努力することで、漁業を活気に満ちた魅力あるものにしたい。そうすれば、新しい担い手も育ちます。それは、塩竈の復興を支えていくことも繋がるはずです」

◆再建にかかる時間と、復興市場の閉鎖の問題
水間さんの漁業の拠点であった、塩竈市越ノ浦漁港。その嵩上げ工事は今年いっぱい続く予定だと言います。
再び越ノ浦漁港に戻れるのは、いつごろになるのでしょうか。

「嵩上げ工事が予定通りに終了し、その後の手続きがスムーズに進んだとしても、店舗の再建に着工できるのは来年の平成27年、12月。実際に営業できるようになるのは、まだ1年以上先になりそうです」

「しおがま・みなと復興市場」の営業期限は、来年の1月15日まで。それ以降は、漁港の店舗が再建できるまで、自力で「仮設店舗」の営業場所を確保しなければなりません。しかし、2度にわたって壊滅的な被害を受けた養殖漁民にとって、これ以上の経済的負担は不可能だと、水間さんは現状を語ります。

マリンゲートから見る市街地の様子
塩竈市の復興計画では、正面のJR本塩釜駅からマリンゲートをつなぐ
全長350mの「津波避難デッキ」が建設される予定です。

「できるならば、石巻市や気仙沼市のように、塩竈市にも『仮設の仮設』となる店舗を、どこかの場所に作っていただけると、本当に助かるのです」。復興商店街の皆さんの願いは一致しています。

「支援してもらったものを、早く返さなくてはと、皆焦っています。しかし、私たちの努力だけでは、どうにもならない現状があります。そのために、私たちが自力で立ち上がるまでの時間の猶予を、もう少しだけいただきたいのです。今はまだ、立ち上がるための手掛かりを、もがきながら探しているところなのです」

震災後、被災した人々が寄り集まって、足並みをそろえて歩んできた復興市場。
「迅速な復興を目指していても、しかし時間をかけなければできないこともある」と、水間さんは言います。

「一つ一つはとても小さな店舗ですが、それでも今は、新しい一つの『まち』となり、塩竈のひとつの顔になっています。
なんとか、存続できることを願っているのです」

塩竈市との話し合いを重ねながら、しおがま・みなと復興市場の皆さんは、長く続く復興への道を歩もうとしています。



共栄丸水産
〒985-0002 宮城県塩竈市海岸通226-5 しおがま・みなと復興市場A棟 1F
TEL:022-366-1163
 

(取材日 平成26年9月11日)