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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年9月16日火曜日

2014年9月16日火曜日11:58
石野葉穂香です。

8月30日、南三陸町で「八幡川かがり火まつり福興市」が開催されました。

「八幡川かがり火まつり」は、〝今夏もがんばったね〟と互いをいたわり、
山海の恵みに感謝するお祭り。
だから大漁〝祈願〟ではなく〝満足〟なのです

「八幡川かがり火まつり」は、震災前から、毎年8月末に行われていた志津川の晩夏のお祭り。
志津川の鎮守様である上山八幡宮からいただいた御神火を、子どもたちが街へと運び、高さ約2mの鉄製の灯籠に「篝火(かがりび)」として点していました。

そして、店舗や家々の前には多くのロウソクが並べられ、灯火ほのかな幻夜の風趣の中で、夏の名残を惜しむという、志津川の風物詩です。

震災後は、毎月最終土曜日に開催されている「福興市」と併催していて、この日は「南三陸さんさん商店街」近くの広場が会場でした。

ずらりと設営されたテントでは、地元はもちろん、県内外、遠くは北海道や群馬県、愛知県などからの出店もあり、各地自慢の産品が南三陸にやってきました。

群馬県前橋東部商工会の皆さん。焼きまんじゅう、おいしかったです


















十勝地方東部から本別町の皆さん。
大盛りのジンギスカン、ごちそうさまでした

























また、イベントステージでは、のど自慢大会、コンサート、浴衣コンテストなどが行われ、祭りを盛り上げます。





浴衣コンテスト。男性参加者のほうが多めだったのがちょっと残念(?) 

会場にかがり火が点されたのは、午後7時。
御神火は、会場に設けられた上山八幡宮の祭壇でいただき、場内約40基の鉄製灯籠に点されました。
夜市のような、縁日の夜のような雰囲気が会場にあふれてきます。

会場に祭壇が設けられました

幻灯に景色が揺れる夜のお祭り。夏の終わりの寂しさも・・・

南三陸町の「福興市」は、この日で40回目の開催でした

そして、午後8時からは、会場の南側の空き地で、花火が打ち上げられました。
といっても、いつものお祭りで私たちが見慣れている「打ち上げ花火」ではありませんでした。
この日の花火は、愛知県の東部地方で、古くから受け継がれてきた「三河手筒花火」です。

東三河は別名を「ほの国」といいます。
「ほ」は、稲穂の「穂」で、実り豊かな国という意味。
手筒花火の炎も、風に揺られる「穂」のようです

「手筒花火」は、文字通り、筒を手でもって打ち上げる花火です。
だから「打ち上げ」というよりも「噴き出す」といった方がぴったりかも。
花火の分類では「噴出煙火」と呼ばれ、打ち上げることは「放揚」というのだそうです。


「徳川家康のお膝元として、東三河に火薬の取り扱い技術を伝承したことが手筒花火の始まりとも言われ、今でも三河地方や遠州地方(静岡県西部)では手筒花火が盛んに行われています。発祥は豊橋市の吉田神社と言われ、400年の歴史がある花火なんです」
と教えてくださったのは、南三陸町役場企画課の篠宮彰里さん。

篠宮さんは、今年4月から南三陸町役場へ派遣職員として赴任されている新城市役所の職員の方です。

打ち合わせ中の後ろ姿をパチリ

この日の打ち上げは、篠宮さんが「復興支援のイベントとして手筒花火をやりたい」と南三陸福興市実行委員長の山内正文会長へ提案されたことから実現しました。

来町されたのは、新城市内の手筒花火愛好団体の方々を中心とした新城市民有志の皆さん。
さらには新城市の市長さん、教育長さんも来られました。

こちらが手筒花火です。
筒を作るのも、火薬を詰めるのも、打ち上げるのも、
すべてを市民の皆さんが行います。
プロの花火師はいません

「手筒花火」は、太さ約20㎝、長さ約1mの孟宗竹に荒縄を巻き、そこに火薬を詰めて作ります。
そして、地面に置いて点火したあと、火花を吹き始めたら、それを身体の脇に抱えます。
激しく吹き上げる火柱が燃え尽きるまで約30~40秒。
降り注ぐオレンジ色の火の粉の中で仁王立ちする煙火者の姿は、あるいは戦国武者のよう・・・。

最後は、「バスンっ!」という大砲のような衝撃音とともに、竹筒の底が破裂(「はね」といいます)して終演となります。

江戸時代、泰平の世となったあとも、徳川幕府は、家康のふるさとである三河地方の人たちにだけ、火薬の製造や貯蔵を許したそうです。
花火は、今も愛好会や保存会の皆さんが自ら作りあげ、自らの手で打ち上げています。プロの花火師ではありません。
昔、男は、この手筒花火の放揚を経験することで、成人の仲間入りとみなされたのだとか。


「すごい。かっこいい!」「こんなキレイな花火は初めて!」「怖そうだけれど自分もやってみたい」
会場からも盛大な拍手が送られました


この日、披露してくださったのは、筒を斜めに構えるパターンと、垂直のパターンの二通り。
他にも、片手で持つタイプの「ヨウカン」と呼ばれる花火や、櫓に据え付けて噴出させる「大筒」と呼ばれる花火など、
さまざまな演出や放揚の方法があるそうです。


まるで「火の雨」。この日の放揚は15本でした。
本場・三河のお祭りでは800~1000本も揚げられるとか。
「来年もまた、新城市や東三河の仲間を巻き込んで、南三陸で手筒花火を披露できたらいいなと思います。続けていきたいですね。そして、これが、南三陸町の新しい風物詩になってくれたらうれしいです」と篠宮さん。

今年、見逃してしまったという方は、来夏、またチャンスがありそうです。


花火を放揚してくださった新城市の皆さん。
メンバーの半分は女性でした。
(後列中央の白ヘルメットの方が派遣職員の篠宮彰里さんです)

震災直後、全国の自治体は、津波被害が大きかった被災三県の市町村支援に乗り出してくださいました。
できれば、すべての被災市町村を支援したい・・・。でも実際には、それはムリです。

過去に何かしら交流があったとか、そんな〝縁〟があれば、キッカケになりやすいのですが、宮城の海辺の小さな町と〝縁〟があった自治体は、そう多くはありませんでした。

「東三河広域連合(当時は広域協議会)」も、会議で「どこを支援しましょうか・・・?」というお話になったそうです。
そのとき、東三河の自治体のひとつ・北設楽郡豊根村の村長さんが
「ウチの村に、宮城県の南三陸町ってところからお嫁さんに来た女性がいます」と、お話されました。

これがキッカケとなって、「東三河広域連合」は、自治体職員の派遣などを通じて、ずっと南三陸を支援してくださっているのです。

出会いは、何がキッカケとなって生まれるか分かりません。
そして、結ばれた〝ご縁〟が、さらにどんどん深まって行く先に、どんな「みんなの未来」が広がっていくのでしょうか・・・?

新城市の皆さん、ステキな花火をありがとうございました!

(取材日 平成26年8月30日)