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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年8月29日金曜日

2014年8月29日金曜日10:38
kaiiです。

このたび中国、四国、近畿地方で発生した、豪雨、土石流災害で被災された皆さまに心からお見舞いを申し上げます。

中国地方などから気仙沼を支援し続けている「チーム気仙沼」は、この夏も気仙沼の野球少年たちにボールやバット、義援金などを贈るために訪れました。
「チーム気仙沼」の山田一雄監督の地元広島で豪雨による土砂災害が発生し、70人以上の死者10人の行方不明者出る大災害が起きたのは、「チーム気仙沼」のメンバーが地元に戻って10日後のことでした。
亡くなられた方のご冥福を祈るとともに被災された多くの方にお見舞いを申し上げます。

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「チーム気仙沼」のメンバーは8月8日に気仙沼入りし、翌9日に気仙沼市階上地区にある「気仙沼リトルシニア専用球場」で野球用具を贈呈し、野球少年や近くの仮設住宅の住民などに「広島風お好み焼き」を提供しました。その時の様子をお伝えします。


「チーム気仙沼」の山田監督は
「今年も気仙沼の人たちに会いに来ることができました。私たちは気仙沼を第二のふるさとだと思って活動しています。『支援』なんて思っていません。気仙沼の人たちの笑顔に会いに来ています」
と話します。

広島から支援活動を続けている「チーム気仙沼」の山田一雄監督

広島県出身で被爆2世の山田監督は、
「広島風お好み焼き」は第二次世界大戦後『復興食』として広がりました。
私たちが『広島風お好み焼き』を気仙沼で焼くことで、『広島に原爆が投下され、終戦を迎えた後、広島が戦争と原爆から復興したように、東北の被災地の皆さんにも震災から復興を成し遂げてほしい』というメッセージ伝え続けていきたいという願いがあるからです」
と話します。



気仙沼リトルシニアの関係者と「チーム気仙沼」のサポーターによる
広島風お好み焼きの準備風景
(平成26年8月9日撮影)
山田さんたち「チーム気仙沼」のメンバーがお好み焼きを提供した8月9日は、長崎県に原子爆弾が投下されて69年目の「長崎原爆の日」でした。

気仙沼市では午前11時02分の原爆投下の時刻に合わせてサイレンが鳴り、戦争の犠牲者の冥福と恒久平和を祈って「黙祷」が捧げられました。

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震災から3年が過ぎ、震災の風化とともに「チーム気仙沼」も少しずつメンバーが減っています。
しかし山田さんたちは「メンバーが少なくなっても、年に一度でも気仙沼が復興するまで広島風お好み焼きを焼きに来たい」と話します。

今回も「チーム気仙沼」の活動に賛同する方々が、福岡県、香川県、兵庫県、東京都などから参加し、オタフクソース株式会社の全面的な協力を受けて気仙沼の人たちに広島風お好み焼き230枚の提供を行いました。

お好み焼きの具材などはオタフクソース株式会社からの支援です
福岡県から「チーム気仙沼」に参加した有住哲平くん(小6)は
「被災地に初めてきました。3年経ってもまだ復興が進んでいないことに驚きました。自分ができることで被災地の応援を続けていきたいです」
と話します。
「チーム気仙沼」メンバーとサポーターのみなさん
広島風お好み焼きを230枚焼きました
(平成26年8月9日撮影)
哲平くんの父壽一さんは、
「気仙沼市に来るのは初めてですが、初めての気仙沼の風景でショックだったのは、町のあちらこちらに大量にもられている土でした。あの土を見てとても複雑な気持ちになりました。様々な立場や色々な考えがあると思いますが、私たちは気仙沼が良い町に復興してほしいと願うばかりです」
と話しました。

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全国から集められたボールや支援金などが「気仙沼リトルシニア」に贈られました。

チーム気仙沼から気仙沼リトルシニアチームに贈られた野球用具
トスバッティング用のボールは社会人野球チームから贈られました

気仙沼リトルシニアチームの郷古会長に多くの人から預かった支援金を贈る
チーム気仙沼の山田監督
山田監督から野球用具を受け取る気仙沼リトルシニアの選手たち
トスバッティング用のボールは社会人野球のチームの人たちが1つずつ古くなった皮を剥いでビニールテープでテーピングしたものです。

チームを代表してキャプテンがお礼の言葉を話しました

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山田監督は「気仙沼に震災が発生した平成23年8月から今年で6回来ています。1年目に来た時は子どもたちに笑顔がなかったのがとても心配でした。しかし、最近は子どもたちが自分たちのことを私たちにいろいろと話してくれるようになりました。私は気仙沼の子どもたちも自分の子どものようにかわいいと思います。
気仙沼に来ると自分たちが『生きる勇気』をもらって帰ります。この先もずっと『チーム気仙沼』の活動を続けていきたいと思っています」
「被災地の復興と恒久平和の願いを込めた広島風お好み焼きを気仙沼に焼きに来ます」
と話します。

中日ドラゴンズの大谷選手直筆のサイン
以前ココロプレスで紹介した「チーム気仙沼」のキャプテン瀬尾康平さんであるお父さん瀬尾法行さんは、
「私たちも人生の中でさまざまな困難や悲しみ、痛みを抱えていました。東日本大震災の後、被災地で暮らす皆さんと関わるようになって、東北の皆さんの『生きよう』とする姿に励まされています。震災から3年が過ぎ、被災地以外で暮らす人たちは少しずつ東北支援に無関心になってきています。私は東北の痛みが自分の痛みであると感じ続けてほしいと思っています」
と話します。

以前ココロプレスで紹介した瀬尾法行さんの記事

2014年6月27日金曜日
息子の遺志「被災地への思い」を届ける~「チーム気仙沼」~(気仙沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_27.html

「忘れない」瀬尾法行さんは
東北の痛みは私たちの痛みと感じるべきだと話します
「チーム気仙沼」の広島風お好み焼きを楽しみにしていたという仮設住宅に住む高齢の女性は、
「私たちは仮設住宅で毎日イライラしながら生活をしています。こうして気仙沼に思いを寄せてくれる人がいるとうれしいです」
と話していました。

仮設住宅からも「チーム気仙沼」の焼くお好み焼きを
楽しみにしていた人たちが訪れていました
東日本大震災から3年5カ月が過ぎました。
息の長い活動を続けてくださるみなさんに心から感謝しています。
暑い中で、汗だくになりながら230枚ものお好み焼きを焼いている「チーム気仙沼」の人たちの、東北の人たちに寄り添い続けていきたいとの思いを心強く感じました。

「忘れない」そんな言葉が心に染みた1日でした。

(取材日 平成26年8月9日)