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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年8月27日水曜日

2014年8月27日水曜日9:02
ザーリャです。
先月12日に塩竈市で行われたワークショップ「3.11のイマを訪ね歩きましょう。」
その模様は先日のココロプレスでもご紹介しました。

平成26年月8月25日 月曜日
かつて、この場所に何があったのか?「第3回塩竈市東日本大震災記録誌ワークショップ」(塩竈市)


参加者に配られた、東日本大震災時の塩竈市内の写真。
その撮影現場を訪れ、現在の様子を写真で記録するワークショップです。

震災当時から、3年と4カ月が経過した今、街中の様子はどう変化していたのでしょうか。
ワークショップで訪れた、いくつかの定点観測ポイントの「当時」と「現在」をご紹介します。

2011年3月12日 (提供/津川登昭さん)
2014年7月12日

震災翌日の午後に撮影された写真です。
塩竈で一番の繁華街は、黒い泥に覆われ、異臭が立ち込めていました。道路の中央部で自転車を引く人物が小さく写っており、車両の通行もまだほとんど無いことが分かります。

私たちが訪れた7月12日。街のシンボルであったアーケードはすでに撤去され、多くの商店も解体され更地に変わっていました。
街の印象が大きく変わり、私は「塩竈の空が広くなった」という印象を受けました。


2011年3月14日(提供/笠原真里子さん)
2014年7月12日
震災から3日後に撮影された塩竈市本町(もとまち)の様子です。
被災当時の写真には、右奥に路上を塞ぐ被災車両が見えています。海岸に至る道路が通行できず、車両が手前で迂回していることが、路上に残る轍(わだち)の跡を見ても分かります。

現在では、震災の様子を感じることができませんでしたが、ショーウィンドーに震災当時の写真を展示する商店もあり、参加者は足を止めて当時の様子に見入っていました。



2011年3月18(提供/村上ゆかりさん)
2014年7月12日
震災から1週間後の同じく本町の商店前のスナップ写真です。八百屋さんが店頭にテーブルを出して、商品を販売しています。手前には空の段ボールがあり、すでに多くの商品が売り切れているようです。車が走行していますが、人々はみな長靴を履いており、塩竈の街がいまだに海水や泥に覆われていることがうかがえます。

現在、この建物は空き店舗になり、隣接する商店も解体されて、更地になっていました。


2011年3月18日(提供/村上ゆかりさん)
2014年7月12日
震災1週間後のJR本塩釜駅です。屋根にうっすらと雪が積もっています。
震災から1週間が経過しても、駅の入り口は立ち入り禁止のテープが貼られ、人影がありません。被災車両が路上にそのまま残され、駅前であっても復旧には手つかずの様子で、路上には強烈な津波で引き剥がされたアスファルトが散乱しています。

現在では、やはり津波の痕跡を探すことが難しくなっていました。


2011年3月14日(提供/平間眞一さん)

2014年7月12日
同じくJR仙石線本塩釜駅前です。
駅前にあった大きなビルが解体されました。参加者は「ビルが無くなった当時は、とても違和感を覚えました」と語っていました。


(提供/土見 大介さん)
2014年7月12日
JR仙石線本塩釜駅前のショッピングモールです。駐車場一面が泥に覆われ、車がほとんど見当たりません。津波によって流されてしまったことが分かります。

訪れた当日は、何事もなかったように多くの買い物客でにぎわっていました。




「記憶は上書き保存されちゃうから、日々の記憶ほど残らないですね」
ある参加者の方が、写真を見ながら話していました。

しかし、写真を見ることでよみがえる記憶があります。

記憶は「残っていない」のではなく、
思い出すための「鍵」を失くしているだけなのかもしれません。

記憶の「鍵」となる写真。
写真の持つ力を、あらためて感じました。

(取材日 平成26年7月12日)