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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年8月25日月曜日

2014年8月25日月曜日10:14
震災直後の写真を見ながら、撮影地点で「いま、何を感じるのか」を語り合いました。
ザーリャです。
人々の震災の記憶を「記録する」取り組みが、塩竈市で進んでいます。
市民が参画して作り上げる、「塩竈市東日本大震災記録誌」の編纂です。
市民の視点を織り込みながら、後世に残すべきものを共に考え、共に作り上げる取り組みです。

平成26年7月10日 木曜日
[前編]塩竈6,000年の歴史を聞く。「第1回塩竈市東日本大震災記録誌ワークショップ」(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/07/6000.html

平成26年7月14日 月曜日
[後編]東日本大震災と塩竈~震災と復興の歴史~ 「第1回塩竈市東日本大震災記録誌ワークショップ」(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/07/blog-post_14.html

平成26年8月7日 木曜日
あの年の桜を、私は憶えていない「第2回 塩竈市東日本大震災記録誌ワークショップ」(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/08/2.html


7月12日、その第3回目となるワークショップが、塩竈市内で開かれました。

今回のワークショップのテーマは「3.11のイマを訪ね歩きましょう。」
今回の一連のワークショップで初めてとなるフィールドワークです。

震災直後に撮影されたさまざまな写真。
その撮影場所を訪れ、参加者自身が現在の様子を写真で記録するというもの。

「記憶の共有には、語り合うことが何より重要です」
そう語るNPO法人20世紀アーカイブ仙台の佐藤正実さん

「現地では、3年4カ月前の震災直後の様子と比べると、だいぶ変化しているところがあります。まずは、被災地の現状をご自身の目で見ていただく。その後に、気付いた点を話し合い、記憶の共有を深めていただければと思います」

ワークショップを担当するNPO法人20世紀アーカイブ仙台佐藤正実(さとうまさみ)さんは、今回のフィールドワークの目的をそう語りました。

ワークショップには、「大学で地域構想を学びたい」という高校生から、塩竈市内でボランティア活動に参加する20代の女性、塩竈で生まれ育ち、海苔の養殖に携わってきた80代の男性など、さまざまな世代の方々が、さまざまな思いを胸に参加しました。

当日の仙台の気温は31.5度。
参加者の皆さんはしっかりと熱中症対策をとった後に、スタート地点となった塩竈市本町の「壱番館」を出発しました。

訪れた場所は8カ所。徒歩で回りました

ある参加者は、「自分の見方や考え方も、状況と共に変化しています。いま、現地で『自分は何を感じるのか』を知りたいですね」と語りました。

参加者は移動しながら、震災当時の鹽竈の様子を語り合いました
撮影ポイントでは、当時の状況の説明がありました
いま、現地で感じたこと
参加者した皆さんは、現在の様子を自らの目で見ながら、さまざまな感想を話していました。

「通勤で街を見ていると、変化には気が付きます。しかし、新しい記憶がどんどん『上書き保存』され、古い記憶は次々と失われています」

「通勤途中にある見慣れたビルが無くなった時は、とても『違和感』を感じました。しかし、今の私は、そのビルがあったことすら、忘れていました」

「一つの商店が無くなるだけで、印象が変わるものですね。商店街のアーケードが外され、いくつもの店舗が取り壊されたことで、塩竈の印象が大きく変わったように感じました。」

JR仙石線の本塩竈駅前。駅前のビルが解体されるなど、大きく様子が変わっていました

「解体して更地になってしまうと、以前そこに何があったのかを、なかなか思い出せません」

「震災前の街を思い出す、『目安』になるものがあれば、人は思い出すのかもしれません」

「街は変わる。街の模型のような『思い出すきっかけ』があれば、思い出すことができる」

「チリ地震の後に、塩竈の町が大きく変わったことを思い出した」

海岸公園に建てられた 『塩竈市 東日本大震災モニュメント』
モニュメントに刻まれた「波頭」は、塩竈を襲った津波の高さ「2.3m」に刻まれています
石碑には、塩竈市の犠牲者47人のお名前が刻まれていました

「壊すだけではなく、町に残るものを大切にすることも大事だと思う」

「マリンゲートの隣には仮設の商店街ができて、写真に見える津波の傷跡は残っていませんでした。復興が進み、痕跡を取り払った結果、震災の記憶が薄れている感じがしました」

マリンゲート塩竈にある仮設商店街
震災の痕跡を探すのは、困難になっていました
他県から訪れた観光バス。少しずつ観光客が戻ってきています
自動販売機にあった、津波の際の避難場所のサイン

「街からすっかり瓦礫がなくなって、活気も出てきたような気がしました」

「塩竈という地は災害が多く、市民の心構えができている気がします。繰り返す災害を経験しながらも、街は『前進』してきたという印象があります」


壱番館に戻り、ディスカッションが行われました

「塩竈市民はチリ地震津波の経験から、『津波は必ず来る』と考えていた人が多かったのでは。『その時』にどう行動すべきか、多くの人が考えていると思います」

「塩竈の人々は、地震があると『すぐ高台へ』という。災害に対する意識が高いように感じた」


「たくさんの人に復興が進む塩竈を紹介したい」。

「街の変化を止めることはできません。古いものを失うのは嫌です。しかしその一方で、大きく変わっていく塩竈を、実はとても楽しみにしています」
これからの鹽竈への「夢」も語られたワークショップでした
「市民の皆さんには、まだまだ語れきれない話や思いがあります」
ワークショップを終えて、NPO法人20世紀アーカイブ仙台の佐藤さんはそう語りました。

「私自身も塩竈で活動する多くのNPOや、市民の皆さんと連携しながら、塩竈の復興を意識し続けたいと思っています」


ワークショップで撮影された定点観測記録は、あらためてご紹介いたします。

(取材日 平成26年7月12日)