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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年7月16日水曜日

2014年7月16日水曜日16:00
石野葉穂香です。

「若き漁師シリーズ」の第3回目。
海を仕事の場として、宮城の水産業の復興と、地域の未来創造に向かって力強く前進している皆さんを紹介させていただいております。

なお、Part1とPart2はこちらです。

2014年5月19日 月曜日
豊かな森と海を守る、浜の日本男児(南三陸町伊里前)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_5197.html


2014年6月19日木曜日
「やっぱり海はおもしろい!」 若き漁師シリーズPart2 (南三陸町歌津)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/part2.html


今回、取材させていただいたのは、志津川湾でホヤとホタテを育てている小野具大(ともひろ)さん。
志津川漁港から船で約10分の沖合に、小野さんの漁場があります。

八幡川河口の水門です。
津波に壊され、さらに地盤沈下も。
漁港はこの写真の左手にあります


志津川漁港は、街の北から流れ込む八幡川と、北東から流れて来る新井田川の、ふたつの河口にはさまれた位置にあります。
東日本大震災の津波は、漁港を飲み込み、さらに川を遡って街の奥深くにまで侵入して、多くの建物をなぎ倒してしまいました。

鉄筋づくりだった具大さんのご自宅は、今も旧街区に形をとどめて残されていますが、居住はできず、小野さんは仮設住宅住まい。街のかさ上げ工事が進む中、やがては取り壊されるのだそうです。

昼頃までは雲が多く、ちょっと蒸し暑かった取材の日。具大さんと漁港で待ち合わせました。
「ホヤとホタテ、どちらが食べたいですか?」
具大さんが操る小舟で、沖の漁場へ連れて行っていただきました。


志津川漁港を出て沖へ。この写真の右手には大森地区の大森岸壁もあります。
魚市場は、このあと衛生管理型の新しい施設に生まれ変わります


船が波の上を駆け出すと、曇天はにわかに晴れ渡り、水平線が遠く明るく輝き始めました。
具大さんの漁場は2カ所。付近の水深は約27mあるそうです。
ブイとブイとに結ばれたロープ(イカダ)から、垂下連という育成用のロープが海底に向かって吊り下げられています。
具大さんがホヤのロープを引き上げて、見せてくださいました。

垂下したロープをたぐり寄せ、ホヤを引き上げます


「採れたてを食べると、ホヤのイメージがきっと変わりますよ」
そう言って、その場で剥いて、さっと海水で洗って差し出してくださったホヤは、甘くてみずみずしくて、ほんとうに美味でした。

たわわに育ったホヤ。これぞ「海のパイナップル」!

「ここは〝実験施設〟でもあるんです」
具大さんは、ホタテ養殖用のイカダで、「サラガイ(アカザラガイ)」を育てる実験に挑戦中。ホタテよりも小振りですが、加熱すると濃厚な味わいとなります。市場に出回ることはほとんどなく、大方は漁家さんの自家消費。

「他にも釣りエサとなるエラコ(ケヤリムシ科の環形動物)も試しています。一漁家としてはホヤとホタテを、漁協の部会(グループ)ではカキ、ワカメなども手掛けています。でも、これまでやったことのないモノや、新しい養殖も試してみたいですね」

ホタテも剥いてくださいました。
甘み深く、濃厚な味わいでした


具大さんは、漁家の次男でした。家業はお兄さんが継ぎ、具大さんは高校を卒業後、仙台で会社員に。
ところが、2011年3月、32歳の時、東日本大震災が発生します。津波は具大さんのお母さんとお兄さん、おじいさんをさらっていってしまいました。また、船も流され、1カ月後、岩手県沖で発見されました。
「もう船はいらない」。
お父さんは海の仕事から退く覚悟でした。

5月になり、具大さんは、勤めを辞めて、漁師になる決意をしました。
「葬儀などで帰って来て、街の人たちと話したり励まし合う中で、『志津川っていい街だったんだ、こんなにいい人たちが住んでいたんだな』ということに気づかされました」
そして9月いっぱいで退職し、10月から、地区の人たちと、イカダによるワカメ養殖と定置網漁を再開したのでした。


こちらはカキ養殖のイカダ。
今冬もまた、おいしい志津川産が食べられるはず


具大さんが「ミルキー」と名付けたウミネコ。別名? は「仲良し1号」。
船を出すといつも遊びにやってくるのでとか。
ちなみにホヤが大好物だそうです


「『海の仕事はもういい』って言う人たちも多かったけれど、自分は、漁家という家業を終わらせたくなかった。個人でできないなら、地区の皆で、生き残った船を使って皆でやろう、と」

港は破壊され、養殖イカダも流されて、さらには船もなくなりましたが、
「やるならゼロからやった方がいいと思ってた。母も兄もいなくなり、いずれは帰ってくるんだろうなと思ったとき、復興が進んで、できあがったところに帰ってくるのは何だかイヤでしたね」

まちづくりと、自分の未来づくりの歩調を一つに――。
震災後、打ちひしがれて海や町から去ってしまう人もいましたが、具大さんは、南三陸町の復興と、自分の未来図を重ね合わせていたのでした。


具大さんの愛船「雄美丸」。1年前に進水しました。
船の名前は、お兄さんとお母さんの名前から1字ずついただいたのだそうです


「震災がなければ、あのまま会社員を続けていたでしょうね。でも、ほんとうは〝自分は何をやりたいのか、何になりたいのか〟が決まっていませんでした(笑)。父は僕が漁師になることに反対はしませんでした。『じゃあ一緒にやろうか』という風で(笑)」

漁家の子だったから、まるっきり素人ではなかったにせよ、海の仕事は未知でした。
それでも、皆と海に出られる。ボランティアの人たちも応援してくれる・・・。

他の地方から来た人たちが、南三陸の海産物を「おいしいっ」と言ってくれるのも励みになりました。












具材さんが仕事の合間に撮影した志津川湾の写真。
こんなに素敵な海が〝職場〟です。
これらの写真を、具大さんはSNSで公開しています

「自営業は、やった分の見返りがあるし、いいものができたら、そのうれしさがまた励みにも、やりがいにもなります」

漁師となってもうすぐ3年。これからの夢は?
「次の世代へ、より良い海をつなげる事。それから何か新しい養殖にもチャレンジしたいですし、西日本にあまり流通していないホヤやメカブを、もっと広く紹介していきたいですね」

「志津川の〝志〟。そして海を志し、復興を志す」


もっといいものをつくりたい。新しい挑戦も続けたい――。
その道行きは、きっと、南三陸町の未来創造と重なっていくはず。

たくましくて頼もしい、海の男に出会いました。

(取材日 平成26年6月25日)