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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年7月26日土曜日

2014年7月26日土曜日11:37
ザーリャです。
東日本大震災で深く傷ついた東北地方。
その「復興の担い手となる人材育成」と「ダメージを受けた産業への支援」を目的に、2012年4月より動き出したのが「復興大学」です。
今回開催された「第3回復興未来カフェ」は、その事業の一つ。「復興大学 地域復興支援ワンストップサービス仙台センター」が主催しています。

復興大学地域復興支援ワンストップサービス ホームページ

ココロプレスでは、以前にもその取り組みを紹介しています。

「大学の力を、復興の力に」(2013/2/7)
「産学連携の実績を生かした復興支援~「復興大学」ワンストップ事業報告会」(2013/7/4)

「復興未来カフェ」は、復興支援に尽力されている若手社員・企業人・関係機関の方をお招きし、学生との交流の場を設けることで、未来を担う人材を育成することを目的に開催しています。

第3回のテーマは「復興と金融」。

金融行政と地方金融機関が、地域経済への貢献に向けて行う「地域密着型金融」の取り組み。
その最前線である「被災地石巻」の活動を紹介することで、金融への理解を深めてほしい。そんな願いを込め、復興大学と東北財務局が企画しました。

ゲストスピーカーとして、川瀬透・東北財務局総務部長と菅野大志・調査官が金融行政の取り組みを、また被災地の石巻信用金庫からは小野寺啓之・総務部長、また城南信用金庫(東京)から石巻信用金庫に派遣された羽鳥一也さん、渡邊拓美さんのお2人が現地での具体的な取り組みをお話ししました。

今回はその中から、石巻信用金庫の小野寺啓之・総務部長、また石巻信用金庫に派遣された城南信用金庫(東京)の羽鳥一也さんのお話をご紹介します。

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12店舗のうち、9店舗が津波の被害に
石巻信用金庫は宮城県の石巻市を中心に、東松島市、女川町など、に12店舗を展開し、昭和3年の創業当時から『地域密着』をモットーに運営してきました。

本店は石巻市の中心部で北上川の右岸に面し、河口から約2kmに立地しています。そのため東日本大震災の津波では高さ2mの津波が到達、店舗機能のあった1階部分が壊滅しました。また12店舗ある支店のうち、女川支店、門脇(かどのわき)支店、湊支店の3店舗が津波により全壊し、他の6店舗で床上浸水の被害を受けました。

石巻信用金庫は本店機能と対策本部を、津波被害の無かった向陽支店に移設しました。

「震災後、職員は着の身着のままで職務に当たりました」
石巻信用金庫の小野寺啓之・総務部長

当時の状況を、小野寺さんは次のように振り返ります。

「津波と火災によりライフラインは全て停止し、相当数の職員が、自宅の全半壊や車両の流失という被害に遭いました。
『復旧するにも、いったいどこから手をつければ…?』と、誰もが戸惑うほどの被害状況でした」

現金の「手渡し」で営業再開
震災から4日後の3月15日、断続的に大きな余震が続く中で、石巻信用金庫は津波被害の無かった3店舗の営業を再開しました。

他の銀行も少しずつ営業を再開しましたが、この地域では石巻信用金庫の再開が一番早かったために、大勢の人が店頭に並んだと言います。しかし、「営業を再開した」とはいえ、依然として電気の供給も止まっています。オンライン機能はまったく使えませんでした。

「窓口では、紙の『預金元帳』を手元に置き、お客様の一人ひとりの口座を確認しながら、現金をすべて手払いでお渡ししました。照明もないために、夕方になると、もう手元が見えなかったのを憶えています」

小野寺さんは当時をそう振り返ります。

石巻信用金庫のほとんどのお客様が、営業を再開した支店に集中しました。お客様の多くは、津波によって全ての通帳やカード、印鑑も失っていました。そのような中で、小野寺さんは「信用金庫の良さというものを、あらためて感じた」と言います。

「職員がお客様の顔を見ると、『ああ、この人は見たことがあるな』、『間違いなくこの人が本人だな』というように、お客様が誰であるか、分かるのです。これは誓って言えますが、そのおかげで、取引上の『事故』はありませんでした」

地域に密着し、『お互いの顔が見える』という、地域の金融機関ならではのエピソードです。


また、こんなこともあったそうです。

お客様が店舗に集中したことや、すべてが手作業による窓口対応だったために、かなりの方々が長時間並ぶことを強いられました。中には疲れてしまって、信用金庫の対応に気色ばむお客様もいたと言います。
ところが、そんな方を『信用金庫さんも一生懸命やっているのだから、私たちもがんばりましょう』と、周りのお客さまが懸命になだめる光景があったと言います。

「職員みんなが、その様子を見て涙を流さんばかりに感動しました」
小野寺さんは、当時を振り返りながら、少し言葉を詰まらせました。

模型で町を「復元」する
地域に生きる金融機関として、石巻信用金庫は、長年にわたり産・学・官・金の連携による、さまざまな地域貢献活動に取り組んできました。

その震災後の取り組みの一つに、石巻専修大学と連携した石巻市門脇地区の立体復元模型の製作があります。
模型となった石巻市の門脇地区は、現在に災害危険区域に指定されています。そのため、住居の再建は禁じられています。

模型は震災前の町の様子を、建物の一軒一軒にわたって正確に再現し、完成後は石巻信用金庫の店舗でも巡回展示されました。

「失われてしまった町を見ることができる」
そう聞いて、たくさんの方々が店舗を訪れました。中には模型の前で涙する見学者もいたそうです。


「これから」を支援するさまざまな活動
そのほかにも、石巻信用金庫ではさまざまな試みを行っています。
力を注ぐものとしては、ビジネスマッチングや外部支援機関等を活用した、取引先企業への販路開拓支援などがあります。地元企業の支援の要です。

講演終了後、ディスカッションが行われました
また震災復興を担う次世代の育成も、大きな活動の一つ。
若手経営者を育成する「石巻しんきん経営塾」や、被災した小学校を中心に巡回してお金について考えてもらう「しんきんマネースクール」も実施しているそうです。

全国の信用金庫のネットワークを活かした事業もあります。
「交流人口の増加」を目的とした視察・観光旅行の誘致活動や、取引企業の商品をカタログ化して旅行者に配布するなど、被災地の商品の紹介にも力を注ぎます。


「金融に携わる人間として被災地に」
羽鳥一也さんは城南信用金庫(東京)に勤務しています。平成24年、ボランティア活動で関係があった石巻信用金庫から職員出向の話があり、「すぐさま応募しました」。

きっかけは、「東日本大震災後の気仙沼信用金庫の取り組みをテレビ番組で見たことだった」と羽鳥さんは言います。

「ああ、信用金庫でもこんな取り組みをしているのか。東京では絶対にできないことだろうな」
そう思い、心を動かされたと言います。

「信用金庫に勤める人間として自分にも何かできないだろうか。募金をする、ボランティアをするということもできるが、
金融に携わる人間として、何か一つ復興に携わりたい」
羽鳥さんはこの番組を見て、強い思いにとらわれたそうです。

「金融の人間として被災地支援に当たりたかったのです」
そう語る城南信用金庫(東京)の羽鳥一也さん

被災地の石巻信用金庫へ1年間の出向が決まり、羽鳥さんは女川町の宿泊所の再建に携わります。多くの宿泊施設は津波で全壊し、亡くなった経営者もいらっしゃいました。羽鳥さんは、女川で最初の話を聞いた時に、「戸惑いを受けた」と話します。

「東日本大震災では、家族も私も直接の大きな被害は受けていませんでした。そんな自分が、被災地の方々と同じ気持ちになるというのは『おこがましい』と感じたのです。被災した人たちと、どうやって心を合わせていこうか、悩みました」

そんな羽鳥さんが初めに心掛けたことがあります。それは「まずお客様のお話をよく聞く」ということでした。

「どういう形で被害を受けたのか、どのような形で支援ができるのか。まずよくお話を聞いて、『私にできることはなんだろう』と考えていきました」

そうして羽鳥さんが支援に関わった宿泊施設、女川の「ELFARO」(エルファロ)はオープンしました。「再開発禁止地区」に指定された場所だったために、「建物を建築しない」、トレーラーハウスを使った宿泊施設です。

新しい形のホテル ELFARO(女川町)(ココロプレス 2013/4/15号)

「オープンの日に、支援した方から『羽鳥さんがいなかったら、この事業はうまくいかなかった。ほんとうにありがとう』と言われました。私は東京から復興支援をしたいと思ってきましたが、『私がいなければできなかった』と言ってもらったことは、私にとって涙が出そうなくらいうれしい言葉でした」

「これからは東京で、被災地の支援をしたい」と語る羽鳥さん
現在は東京の城南信用金庫に戻った羽鳥さん。東北の企業を紹介したパンフレットを配布したり、東京に東北各地の信用金庫を招いて、ビジネス商談会を開いたり、ビジネスマッチングも担当します。
今も、東京という土地で、東北の復興に関わり続けています。

「このような活動を通して、東京にいながらになりますが、石巻や東北の復興に携わっていきたいと思っています」

羽鳥さんはそう語りました。

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(取材を終えて)
今回はご紹介できませんでしたが、羽鳥さんと同じく城南信用金庫から派遣された渡邊拓美さんの言葉に、次のようなものがありました。

「信用金庫の職員は、地元で生まれて、地元で育った人間が多いのです。私たちは地元を知り尽くしている。地元の人たちのつながりを知っているから、『点と点』を『線』にできるという強みがあるのです」

「金融」という、どことなく無機質な言葉に、「難しい」と感じる方も多いかもしれません。
しかし、その被災地の金融の最前線にあったものは、被災地の方々とともに悩み、汗を流す皆さんの生身の姿でした。
「金融の原点は、人と人とのつながりなのかもしれない」
取材を終えて、私はそんなことを思いました。

(取材日 平成26年6月17日)