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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年6月9日月曜日

2014年6月9日月曜日14:28
御釜神社門前に立つ、明治初頭建築の旧えびや旅館(松亀園)
震災前の「松亀園」営業中の写真。木造3階建てであることがわかります
(写真提供:NPOみなとしほがま)
ザーリャです。
東日本大震災とその津波によって、大きな被害を受けた宮城県塩竈市。
取り壊しの危機にある歴史的建造物を、みずからの手で買い取り、保存活用しようとする取り組みが注目を集めています。

その中心となるのが 「特定非営利活動法人NPOみなとしほがま」
平成15年の発足から、塩竈の歴史・文化の調査研究や歴史的建造物の保存活用を行い、それらを活かしたまちづくりで大きな成果を上げています。その取り組みは2012年のココロプレスでも紹介しています。

(特非)NPOみなとしほがまHP http://blog.canpan.info/minatoshiogama/

ココロプレス 記憶と記録を残す~「写真集 塩竈 東日本大震災の記録」(塩竈市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2012/10/blog-post_2194.html

昨年17,400人が観光に訪れた「亀井邸」の保存活動や、酒造店株式会社 佐浦との協働による「鹽竈旧法連寺向拝(玄関)」の移築保存など、その取り組みによって解体を免れた建造物は、今やガイドブックにも紹介される屈指の観光名所となっています。
「海商の館」・亀井邸 http://kameitei.da-te.jp/
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旧えびや旅館(松亀園)とは
そのNPOみなとしほがま(以下、みなとしほがま)が、現在全力で保存・再生に取り組んでいる歴史的建造物があります。それが 旧えびや旅館(松亀園(しょうきえん):以下、旧えびや旅館)です。

みなとしほがま による「旧えびや旅館」(松亀園)基金のお願い http://blog.canpan.info/minatoshiogama/img/E69DBEE4BA80E59C92E59FBAE98791E38381E383A9E382B7.pdf

旧えびや旅館は、塩竈市の地名の発祥となった御釜神社門前にある木造3階建の建物です。近年のみなとしおがまの調査によって、その建造年代が明治初頭であること、塩竈大火(1867年)からの復興を象徴する唯一の建造物であることや、明治9年(1876年)の明治天皇の東北巡幸の際、大隈重信や土方久光といった政府要人の宿舎であったことも明らかになりました。東日本大震災では津波により一階部分が浸水被害を受けましたが、その後の耐震診断では「補強すれば活用可能」との結果が出ました。

今回は、その歴史的建造物保全の取り組みについてご紹介します。
「見えないところで、さまざまな人が支えてくれています」
そう語る 髙橋幸三郎 副理事長
塩竈の歴史的建造物の被災状況
「今回の震災で被災した塩竈市内の歴史的建造物は、私たちが把握するだけで30棟弱ありました。港町周辺の建造物などは、ほぼすべてが解体され、失われました」

副理事長の髙橋幸三郎さんは塩竈市の歴史的建造物の被災状況について話してくださいました。

「持ち主の多くは、愛着がある古い建物を残したいと思っていました。しかし、老朽化した建物の震災による被害は大きい。公費での解体の期限が迫ってくると、悩んだ末に泣く泣く取り壊すケースが続きました。古い建造物を守るには、所有者がたったひとりで頑張るしかないのが現状です」
国指定有形登録文化財の「高橋家住宅」(宮城県登録第1号)も、震災により解体されました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
国指定の有形登録文化財の「高橋家住宅主屋(旧煙草専売局) 大正11年)」(宮城県登録第1号)を始めとして、塩竈の歴史を物語っていた文化財指定のない歴史的建造物が次々と解体されてしまいました」
解体される文化六年(1809年)建造の「仲忠 鈴木家」。江戸から昭和まで魚問屋として塩竈の発展を見守ってきました。
みなとしほがまによって建築部材が保存されています(写真提供:NPOみなとしほがま)
そのような中でも、みなとしほがまでは、解体を阻止できなかった建造物のひとつ、文化六年(1809年)建築の宮城県の伝統的町屋建築である「仲忠 鈴木家」の建物調査と部材の保存、また塩竈の歴史に関する歴史資料や古民具などの緊急的な保存活動を行っていました。
取り壊し以前の「仲忠 鈴木家」の室内。
仙台藩領の伝統的な町屋建築を伝える建造物でした
(写真提供:NPOみなとしほがま)
旧えびや旅館の緊急調査
平成24年、震災翌年の11月。旧えびや旅館 の取り壊しの事実を把握したみなとしほがまは、斎藤善之・東北学院大学教授、高橋恒夫・東北工業大学教授の両氏の協力を得て緊急調査を行いました。その結果、旧えびや旅館 が建造物として重要な価値を持つことが分かりました。
「取り壊し予定」の報を受け、
みなとしほがまと有識者によって緊急調査が行われました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
明治時代初頭の希少な木造3階建ての建造物で、随所に江戸時代の工法が見られること、二階には船底をかたどった「船底天井」の部屋があり、長押(なげし)には塩竈(松島)の海をモチーフにした象嵌細工、3階の桜の間には天井一面に桜が描かれるなど、意匠を凝らした建造物であり、幾度にもおよぶ津波にも耐えた港町の旅籠建築として保存が望ましいという調査結果が出たのでした。
船底を模した「船底天井」。板材は屋久杉ではないかと見られています
長押には塩竈(松島)の風景が象嵌細工で散りばめられています。
「フナクイムシ」によって穴の開いた材を海に見立てています
水玉で波を表現した小壁。
部屋全体が海原に浮かぶ船をイメージしています
欄間(らんま)にはめ込まれた「フナクイムシ」の材
三階の「桜の間」の天井。一面に満開の桜が描かれています
(写真提供:NPOみなとしほがま)
建物取得のための募金活動と借入金
みなとしほがまの動きは素早いものでした。「建物を買い取るしか保存の道がない」と判断したみなとしほがまは、用地取得に向けた募金活動を決定します。取り壊しの最終申請まで、猶予は2カ月。その間に費用の1000万円を準備しなくてはなりません。会費以外に事業収入がほとんどないみなとしほがまにとって、その費用は高額でした。

「たった2カ月で、私たちになにができるだろうか?」
保存活動を決めたものの、髙橋さんたちは残された時間の短さに悩んだと言います。

「ともかく、市民の皆さんに知ってもらうことが重要だ」と考えた髙橋さんたちは、年が明けた1月に2回の見学会と緊急の講演会を開催しました。その様子が複数のメディアでも取り上げられ、延べ300人が見学会に来訪し、200万円もの寄付が寄せられました。しかし、目標額にはまだ遠く及びません。
見学会には市内外から述べ300人の方々が訪れました
(写真提供:NPOみなとしほがま)
みなとしほがまは最終的に、旧えびや旅館 を買い取るために銀行から資金を借り入れる決断を行いました。
しかし、巨額の資金を借用するということに、ためらいはなかったのでしょうか。

「口は出すけど、お金という現実の問題を解決できないのなら、きちんとしたものは残せません。保存活動を表明して市民の皆さんに呼び掛けた以上は、最終的な責任もあります」

期限が迫る2月下旬、なんとか銀行からの融資が決まり、みなとしほがま は 旧えびや旅館 の取得契約を結ぶことができました。

「今回ここまで決断できたのは、以前に 『鹽竈神社別当旧法蓮寺向拝(玄関)』 や 『亀井邸』 の保存活動の経験があったからです。
現在は一般公開されている旧亀井邸
(写真提供:NPOみなとしほがま)
『仲忠 鈴木家』は、部材の保存しかできませんでしたが、本来建造物は現存地にそのままの形で残すことが、「まち」にとって一番良いことと考えました。以前に取り組んだ『亀井邸』の場合は、何とか残すことができました。だから、今回も何とかなるだろうと思いました。たった2カ月の猶予でしたので、迷っている時間もなかったですね」
最後に髙橋さんは、みなとしほがま の保存活動が成果を上げている理由について、こう語りました。

「保存活動ができているのは、名前が出ない志(こころざし)のある市民の皆さんと、多くの協力者が支えてくださっているからです。その方々の有形無形の協力は、とてもお金に換算できません。私たちはその方々の思いの受け皿になっているだけなのです」

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みなとしほがま の決断によって保存されることになった旧えびや旅館。建物の取り壊しは回避されましたが、本格的な保存活用へ向けての準備は始まったばかりです。次回の「中編」では、保存から活用へ、試行的に行われている「旧えびや旅館」を使ったまちづくりへの試みをご紹介いたします。

(取材日 平成26年5月17日)