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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年6月18日水曜日

2014年6月18日水曜日19:54
ザーリャです。

前回の前編・中編では、 東北大学災害科学国際研究所の蝦名裕一助教に、資料保全と解釈の問題についてお話を伺いました。

「古文書は残された。大震災からの歴史資料の救出~慶長奥州地震津波[前編](仙台市)」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html


「古文書は残された。ゆがめられた解釈~慶長奥州地震津波 [中編](仙台市、岩沼市)」
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_30.html

最終回の今回は、明らかになった伊達政宗の復興への取り組みについて、蝦名さんに最新の研究成果をお話しいただきます。
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仙台藩の復興事業

伊達政宗の施策
資料の再検証から、東日本大震災と同規模と推察される慶長奥州地震津波。この甚大な被害から、江戸時代の人々はどのように復興を進めたのでしょうか。
蝦名さんはその取り組みを、古文書や絵図、伝承などから多角的に検証しています。

「例えば、お隣の盛岡藩では1615年に藩主の南部利直が沿岸部を巡回しています。その際に宮古や大槌などでは『ここには市を立てなさい』とか、『ここは交通の要衝だから、伝馬のために町をもう一つ立てなさい』というように町づくりの具体的な指示を出しています。それらが後に藩の外港や要衝として発展してゆくことになります。
復興では政宗の政治手腕が発揮された


伊達政宗の場合は、当時の政策を紐解くことで、彼の復興に取り組む姿が浮かび上がってきます。

たとえば、元和年間(1615年~1624年:津波から5~10年後)には被災地への移住者をどんどんと募集していますし、元和7年(1621年)には村を捨てた人を赦免する法令を出している。つまり政宗は『土地を捨てた罪は問わないから、逃げた人も戻って来なさいよ』という政策を出して、開発を促しているのです。」




塩田を導入した川村孫兵衛
被災地に塩田を導入した 川村孫兵衛の像
仙台藩の復興事例の一端として、蝦名さんが着目している人物に仙台藩士の川村孫兵衛重吉がいます。もともとは長州出身ですが、政宗がその土木技術の才を見込んで召抱えた人物です。北上川の土木改修を行った人物として有名ですが、実は慶長奥州地震津波の復興事業にも深く関わっていたことを蝦名さんは指摘します。

「石巻に普誓寺(ふせいじ)というお寺があり、寛文七年(1667年)の縁起(「普誓寺開基略記」)の中に、孫兵衛の伝記が記されていています。その彼の業績に『海岸部に堤を作って、入浜式塩田を作った』という話が残っています。
孫兵衛が塩田をつくった地には、「釜」の地名が残る
資料提供 : 災害科学国際研究所 蝦名裕一助教


宮城県沿岸部の『釜』が付く地名は、孫兵衛が塩田の『塩煮釜』を設置したという伝承の残る場所なのです。つまり、孫兵衛は慶長奥州津波の被災地に、塩田を次々と導入していった。孫兵衛の知行地であった岩沼の早股村周辺を絵図で見てみると、沿岸部に新しい集落がいくつもつくられているのがわかります。それぞれ「早釜」、「相野釜」、「北釜」という地名で、今も残っています。」

逆転の発想の復興事業
それまで塩の生産がなかった仙台藩は、孫兵衛の事業の成功に後押しされ、さらに各地の塩田の開発に取り掛かります。復旧から復興のプロセスです。

「仙台藩の資料を見ると、慶長・元和の段階では塩の大量生産はしていません。それで孫兵衛は、同じく長州出身の伊藤三郎左衛門という人物に塩場の建設を命じます。その結果、豊かな塩田ができて仙台藩の塩の生産量が増えるのです。それにともなって、水をくみ上げたり、製塩道具を作る産業が住民の生業になっていきます。新たな産業の移植によって雇用が生まれ、地域の繁栄につながったのですね。

津波から20年30年たったあと、仙台藩は塩の専売制を導入します。それだけ製塩業が藩の主力産業に成長したのです。今でも沿岸地域は塩害で苦しんでいますが、『塩害で苦しむなら、そこに別の産業を持ってきて地域を振興させよう』という逆転の発想による復興事業といえます」

地の利を生かした、逆転の発想。津波によって一時は人がいなくなった被災地にも、今度は復興事業によって人や産業が集まり、繁栄を取り戻していったのです。これは盛岡藩も仙台藩も同じでした。

受け継がれる孫兵衛の復興事業
復興事業が非常に長期にわたって行われたことや、それが世代を超え未来を見据えたものであったことに、蝦名さんは注目しています。

「塩田を開発した孫兵衛には息子がいなかったため、孫兵衛の娘婿が二代目の孫兵衛を名乗ります。彼は初代孫兵衛の事業を受け継いで、仙台藩内の土木事業に携わります。その中で注目されるのが、浜辺に数千株の松を植えて、海からの塩害を除いたことが上げられます。

仙台藩の国絵図を見ると、津波から90年後の二代目孫兵衛の時代に、クロマツの林が防潮林として形成されているのがわかります。クロマツというのは極端に塩に強いうえに、水源を探して根を深く伸ばします。そのため、遠州灘などでも防潮林として植えられています。実際に孫兵衛がこのあたりから苗木を持ってきたという伝承も残っています。」

二代目孫兵衛が膨大な数のクロマツを砂浜に植えた理由は、防潮林としてだけではなかったと、蝦名さんは言います。

「クロマツは間伐材や落ち葉が製塩の燃料になるわけですね。製塩業にとって、燃料の確保は非常に重要な問題です。クロマツを植えることは、初代孫兵衛が導入した製塩の助力にもなります。間伐材や落ち葉を取ることによって、日光がクロマツの下まで通りますから、樹木として健康な状態で育ってゆく。人間側にするとクロマツが防潮林となり、その間伐材を使って、より事業を推進させることができる。いわば『一石三鳥』です。人間と自然とが適合した事業であると言えるでしょう。」

東日本大震災の津波被災地でも、内陸部の樹木が枯死しているのに、海岸部のクロマツが生き残っている光景をよく目にします。不思議な光景に見えますが、先人はこのクロマツの特性をよく理解していたのです。

現代は、古文書が必要な時代…記録から防災が始まる
400年前の慶長奥州地震津波について、古文書はさまざまな事実を私たちに伝えるだけではなく、復興や防災のヒントを示しています。津波の話を終えて、蝦名さんは現代において古文書が持つ意味をこう語りました。

「東日本大震災が発生したことで、古文書に基づいた災害研究が必要な時代になったと考えています。今回取り上げた古文書は、以前からその存在が知られていたものもあります。それらの文献を資料に基づいてあらためて読み直すことで、さまざまなことがわかります。資料保全から災害研究をして、それが防災につながります。

だから、先人たちが残してくれた記録を大事にするところから、実はすでに将来の防災が始まっているのです」

政宗の言葉 「子や孫の代には必ず重宝になるべし」
「伊達政宗は震災の復興だけではなくて、仙台藩内に杉の植林を推奨しています。その時に、『今は杉の苗木というのは役に立たないが、子や孫の代には必ず重宝になるべし』という言い方をしているのですね。今やっている事業は、子どもや孫の代には、きっと宝になる、そう言い残しています。

私たちがこの言葉から学ばなければいけないのは、、『子や孫のため』、つまり、『数十年、数百年単位での生き方』というものを考えていくべきだということです。復興や生き方の指標というものをもっと長期でとらえて、今を生きる自分の道しるべにしてゆくことが大事なのだと思います。
政宗をはじめとした先人たちも、同じようにして、400年前に震災を経験しました。そして、そこから復興して、私たちの先人は東日本大震災以前の世界を作り上げてきたのです」

蝦名さんはそう言葉を結びました。

「古文書は 先人からのメッセージ」 研究室では、今日も応急処置が続きます
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5/8に、蝦名さんの慶長奥州地震津波の研究成果をまとめた書籍が出版されました。
最新の調査結果がまとめられています。

『慶長奥州地震津波と復興  四〇〇年前にも大地震と大津波があった』 : 蝦名 裕一

蕃山房 HP :   http://banzanbou.com/sinkan01/
(インターネットから注文することができます)
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(取材を終えて)
「言葉の持つ重み」。
蝦名さんの言葉です。今回の取材で、その意味をあらためて考えました。私たちは意思の伝達手段として「言葉」を使うよりほかありません。命に限りがある以上は、「読む」、または「書き残す」という行為でしか、わたしたちは過去と未来へ関わる方法はありません。受け取った「言葉」に命を与えるかどうかは、私たちの問題なのです。

先人の言葉の持つ意味、言葉を受け取り方について、あらためて考えた取材でした。

ココロプレスではこれからも、「宮城歴史資料保全保全ネットワーク」と「東北大学災害科学国際研究所」の取り組みをご紹介していきます。

※本文中の写真は蝦名さんよりご提供いただきました。

(取材日 平成26年4月30日)